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ユダヤ人とは何者なのか(1)

始めに

ユダヤ人というと有名どころでは科学者アインシュタイン、映画監督スチーブン・スピルバーグ、俳優ではエリザベス・テイラー、億万長者ロスチャイルド、政治家ではイスラエルのネタニヤフ首相、ガンツ国防相、などとされていますが、それではユダヤ人はコーカソイド系(白人種)の人種なのでしょうか? 

テレビなどでもイスラエルの住民は悉く白人種の人間に見えますよね。この人達は本当に民族的・血統的にあの旧約聖書で描かれるユダヤ人なのでしょうか、というのが今回のテーマになります。

このユダヤ人については実は歴史上の一大トリックとも呼べる出来事があって、現在の状況となっているのですが、日本を含む全世界の圧倒的大多数の人がユダヤ人=白人種という勘違いをしています。

これを理解するには歴史を旧約聖書の時代まで遡る必要があるのですが、「え~旧約聖書?これって歴史じゃなく、神話なのでは?」と思われるかも知れませんが、旧約聖書はノアの方舟の話も含め事実を書き記した史実かも知れないという研究結果が近年発表されたりしています。 

アララト山の麓に住んでいたアルメニア人親子が欧米の科学者を方舟と思われる残骸に案内し、船内に仕切りがあったことなどを発見しますが、この科学者達はアルメニア人親子を「見たことを公言したら、殺す」と脅しています。

その子供が後々科学者たちはもう死去したとして、実際に見たことを伝えた、という有名な話やその他の興味深い事実があるのですが、このノアの方舟については後日「本当にあったノアの方舟」というテーマで投稿する予定です。

ユダヤ人の起源

さて、神話のような話としてノアの方舟の話は有名な物語として日本でも広く知られていると思います。地球での大洪水の前にノアが神からの指示で大きな船を作り、ノア夫妻を含む8人とありとあらゆる動物のつがいを乗せて、大洪水が静まった後現在のトルコにある標高5,137Mのアララト山の麓に漂着し、そこから新たな人類の歴史が始まったというストーリーです。

この時ノア夫妻の子供達を含む6人は、白色人種、黄色人種及び黒人種の祖となったとされる人達でした;

ヤフェト (白人種) とその妻
セム  (黄色人種)  とその妻  
ハム (黒人種) とその妻

その後彼らは全世界へ散らばっていくのですが、ヤフェトとその子孫は西側、つまりヨーロッパ方面に、セムの子孫は東、つまりアジア方面へ、ハムとその子孫は南、つまりアフリカ方面へ移動したとされ現在の人種別の地理的な分布が出来上がります。

白人種のことをコーカソイド系人種とも呼びますが、これは旧約聖書で「洪水が引いた後ヤフェトとその一族は暫くコーカサス地方(現在のグルジア、アルメニアなどの地方)に留まっていたが、そのうち西側へ移動した」という記述に由来しています。

セムから数えて10代目にアブラハムという男が誕生しますが、その子供がイサクでそのまた子供がヤコブと呼ばれています。

ヤコブの息子12人が作った士族がイスラエルの12士族と呼ばれ、これがユダヤ人のルーツとなっています。つまりイサクがユダヤ人の祖だということですね。

アブラハムの息子はイサクのほかに、イシュマエルという子供がおり、これがアラブ人の祖となっています。つまり、ユダヤ人もアラブ人もアブラハムが先祖で、両者とも民族的に親類のような関係、またセムから続いている子孫は黄色人種、つまりアジア系の人間です。

言語もヘブライ語とアラビア語は色んな点で似通っています。

彼らはエジプト王国に奴隷として連れ去られた後モーゼに率いられて現在のイスラエルの地に古代イスラエル王国を作るのですが、話が長くなるので、そこは省略するとして、紀元前11世紀初頭ダビデ王により統一された王国はその後10士族の集まりである北のイスラエル王国と残り2士族が支配する南のユダ王国に分裂します。

両王国とも周辺の列強国に侵略されて住民が奴隷として連れ去られ、列強国が衰退した後に故郷に戻ることになりますが、時系列的にいうとまず北のイスラエル王国がアッシリア帝国により滅ぼされ、住民が奴隷として拉致されます。

その後南のユダ王国がバビロニア帝国により滅ぼされ北の同胞と同じように住民が拉致されるのですが、バビロニア帝国の衰退でもとの故郷に戻ります。

古代ユダヤ王国が北と南に分断されたのは、神への信仰心が揺らいだからで罰としてそうなったとされたので、解放された2士族は今度こそ北の10士族と一緒になって強固な国を作ろう、と故郷に帰ったものの、北の地域には10士族の人間は誰もおらず、忽然と地球上から消えてしまうという不可解なことが起きます。

これを「失われたイスラエルの10士族」といい世界史上最大の謎とされています。

その後残った2士族(ユダ族及びベニヤミン族)だけで国を再建するのですが、紀元6年頃からローマ帝国の属州となります。ユダヤ教を信じていた彼らはローマ人による統治に不満をつのらせ反乱がおきますが(第一次ユダヤ戦争)、これは鎮圧されています。

この王国は主にユダ族出身の王が統治することになったため、その頃から一般的に彼らを「ユダ人、もしくはユダヤ人」と呼ぶようになったということです。

こういった時代にキリストが生まれ布教活動が始まるのですが、彼もその母マリアもユダ族出身の人間で、れっきとしたセム系の人間、つまりアジア系の人間なのです。

彼らを金髪碧眼の人間としてヨーロッパの画家などが宗教画を描いていますが、勘違いもいいところですね。

キリストは布教活動のせいでユダヤ人、特に宗教界の人間から嫌われ、疎んじられるようになりますが、その理由として彼は自らを「救世主であり神の子である」と公言していたことが彼らの反感を買ったから、と言われています。

「お前がそんな存在であるわけがない」という訳ですね。その他にも彼はユダヤ教の律法主義などを批判しています。

ユダヤ教宗教指導者たちは彼を異教徒で危険な人間として当時ユダヤ王国を属州として統治していたローマ帝国の官吏に逮捕させ、キリストはローマ帝国の反逆者として処刑されますが、その際大勢のユダヤ人が「殺せ!十字架に架けろ!我々及び子孫代々が責任を取っても構わない!」と叫んでいます。

自分達で発した呪いがその後今日に至るまでユダヤ人の子孫に降りかかっているように見えますが、これは一般的に言われるユダヤ人虐殺やホロコーストのことではなく、全く別の事情についてのことで、そのことについては「ユダヤ人は何者なのか(2)」で説明します。

ユダヤ人のディアスポラ

同胞であるキリストを死へと追いやったユダヤ人はローマ帝国の支配に対する反抗を続け紀元2世紀に第2次ユダヤ戦争が起きますが、有名なマサダの砦の戦いでローマ軍に敗れ、国は消滅。

ある者はそのまま現在のパレスチナの地に残り、ある者は中近東一帯、特に北アフリカなどへ散らばっていきます。

紀元6世紀頃イスラム教をベースとするウマイヤ朝が興隆を極めるようになり、8世紀にはその勢力が北アフリカからスペインのイベリア半島を侵略、ほぼ全域を支配するようになりますが、この時大勢のユダヤ人がアラブ人と共にスペイン各地に入植しています。

ユダヤ人は手先が器用なことから鉱工業などに従事して重宝されたとされていますが、15世紀後半、コロンブスのアメリカ大陸発見の年1492年にはスペインがその領土を回復し、ユダヤ人はアラブ人とともにイベリア半島から追放され、北アフリカにそのまま住み着くか、パレスチナ地方へ戻ったとされています。

彼らのことをセファルディー系ユダヤ人と呼びますが、この名前はヘブライ語のセファラド(スペイン)から来ています。

系とか語尾についているものの、彼らが旧約聖書で言われている唯一の血統的に由緒正しいユダヤ民族ですが、後述するように民族的には何の関係もない自称ユダヤ人とする人達が現れた為そう呼ばれるようになっています。

ここまではイスラエルの12士族の内残った2士族の歴史ですが、消えた10士族はどうなったのでしょうか?

失われた10士族の行方

イスラエルは建国後1975年に10士族の行方を捜す目的でアミシャーブという特務機関を立ち上げ、全世界へ調査隊を派遣して消えたユダヤ人の行方を追っています。

その結果パキスタンのパターン族、インドのカシミール族やブネイ・メナシェと呼ばれる人々、ミャンマーのカレン族、中国の姜族などが10士族の末裔だとして特定されるに至っています。

ブネイメナシュ

チャン族

調査隊は日本にもやってきますが、ここ日本で調査中最大のサプライズに遭遇します。

日本の風習や儀式の有り方など数えきれないほどの古代ユダヤとの共通点が日本に存在することを発見するからなのですが、そのことにより調査隊は日本に対して並々ならぬ興味を持つようになったようです。

日本には以前から「日ユ道祖論」というのがあり、日本人はユダヤ人と共通の祖先をもつ、というかズバリ日本人=ユダヤ人という主張ですが、これは以下に述べる理由から決して荒唐無稽な話ではありません。

一例として神社の構造は古代ユダヤの神殿の構造と同じである、日本のお祭りは鳳凰を飾った神輿を担いで街を練り歩きますが、この神輿は古代ユダヤでは天使が2人羽を広げて向きあう契約の箱アークをかたどったものであり、且つ、その神輿は男子が肩で担ぐことになっていることも共通点として挙げられています。

この日本の祇園の祭りなどを来日して初めて見たユダヤ教のラビ(牧師のようなものです)は古代ユダヤの儀式とあまりにも酷似していたため、腰を抜かして驚いたという話が伝わっています。

その他にも神社にある賽銭箱もユダヤの神殿に備え付けられていたという事実や鳥居とその赤い色は昔古代ユダヤ人が殺戮の天使が自分の家を通り過ぎ去ってくれるように、と願って羊の血を玄関の鴨井に塗った事の名残りだとされています。

ユダヤの過ぎ越しの祭りに関連する話で、朱色は古代ユダヤでは魔除けの色とされていたようです。

また、神道や相撲あるいは正月の飾り物として使われる紙垂や縄はモーゼが
ユダヤ人を率いてエジプトを脱出した際に遭遇した豪雨や稲光の象徴とされています。

これら以外にも古代ユダヤと日本の状況は共通点が数えきれないほどあり、ウクライナ出身のユダヤ人ヨセフ・アイデルバーグという研究家が「ヤマト民族はユダヤ人だった」という著書を出しています。

この方は京都の神社で研究の為神官の見習いなどをやったりしていますが、特に神道には古代ユダヤの血が色濃く流れているとし、また日本語のうち3,000語あまりが古代ヘブライ語に由来していると述べています。

相撲は古代ユダヤでは神事として行われていたことは旧約聖書にも記述があるのですが、相撲はヘブライ語でשמו(シュモー) で、ハッケヨイノコッタの掛け声はヘブライ語で

נכהאתה הכאה יהי(ハカーヨヒ・ナカッター)となり、

「お前をやっつけて打ち倒してやる!」といった意味のようですね。

日本語でこの相撲用語のように、意味不明の掛け声などは古代ヘブライ語由来のものが多く、例えば、ヤーレンソーランは「私は一人で喜びの歌をうたう」という意味、といった具合です。

こういった風習や言語の類似性に加え近年では遺伝子研究が進み、Yap遺伝子という特殊な因子が中国人や韓国人には存在しないのに、主に日本人とユダヤ人に存在するという研究結果も日ユ道祖論を後押ししているように見えます。

全世界、特にアジアの中では文化や風習が似通っている国は一つもなく、確かに非常にユニークな国となっています。

イスラエル建国後のユダヤ人

すでに述べたように、ユダヤ人もアラブ人も人種的には親類関係にあるので両者は見た目ではまったく区別がつきません。

私自身イスラエルを複数回訪れ仕事上の関係で10社ほどの代理店との会議を行ったことがあるのですが、そのうち1社だけ社長以下全員セファルディー系ユダヤ人の会社で、頭のてっぺんにキッパーと言われる小さな帽子をかぶっている以外はアラブ人にしか見えない人たちばかりでした。

第二次ユダヤ戦争後アラブ人と一緒にパレスチナ一帯に住んで両者間で紛争も起こらず、スペイン遠征もアラブ人と一緒に行動したりしていることからも、1948年にイスラエル建国まで両者が平和に暮らしていたであろうことは容易に想像できます。

ところが、英国の2枚舌、3枚舌外交の結果イスラエルが建国されると、ユダヤ人とアラブ人達が住んでいたパレスチナ一帯は急速に騒々しくなっていきます。

ユダヤ人(セファルディー系)はそのまま残りますが、アラブ人であるパレスチナ人は強制的に追い出され、その後第一次中東戦争~第四次中東戦争と血なまぐさい出来事が連続して起きる地域へと変わっていくわけです。

世間一般では中東のいざこざを「ユダヤ人とアラブ人の争い」「ユダヤ教徒とイスラム教徒の紛争」などと勘違いしている人が多いようですが、1948年から現在に至るまでのパレスチナ地方における紛争の原因は全くそんなことではありません。

イスラエル建国後パレスチナ地方を追い出されたアラブ人たちがドキュメンタリー番組などで「あの人達(セファルヂィー系ユダヤ人)とは同じ場所にすみ、隣近所同士親戚付き合いのように仲良く平和に暮らしていたのに」といった嘆きの声が聞こえてきたようですが、そのことがイスラエル建国以前の両者の状態を良く物語っています。

「自らをユダヤ人と称する白人種の人たちが我々の土地に入ってきてから何もかもおかしくなってしまって、生活も破壊された」と言いたかったのでしょうね。

という訳で、現在セファルディー系ユダヤ人は建国後のイスラエルという国といまだに散らばったまま中東各地に住んでいる、という具合になっています。

以上がセファルディー系ユダヤ人についての話ですが、それではあの白人種に見える人達は何者?という疑問が残ったと思いますが、次回ユダヤ人とは何者なのか(2)で述べる予定です。

続編はこちら


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