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進化論の嘘

進化論とは乱暴に要約して言うと現在地球に生存している人間も含む動物が「偶然に」原始的な単細胞生物という一つの種から進化の過程を経て現在の形態となった、というものです。

旧約聖書の天地創造の下りで述べられている「神が天地と人間を含む動植物を創造した」という説を覆し、ガリレオが非科学的なキリスト教会からの圧力にも拘らず地動説を唱え、現実は彼の主張が正しかったことが証明された、みたいな感覚でこの理論を捉えている方が日本では結構多いのではないでしょうか。

この進化論、日本では当たり前のように学校教育などで受け入れられ、人類はサルから進化した、なんて信じている人も多いと思いますが、それは日本だけの話で海外では進化論を信じている人は遥かに少なく、例えばアメリカでは50%位しかいないという調査結果もあります。

それは特に欧米ではキリスト教徒が圧倒的だから、つまり聖書を信じる人が日本ではほぼいないのに比べ多いからでしょう、と思われるかも知りませんが、進化論否定論者は科学に携わる人々の間でも増え続けています。

というか、最先端科学に携わる科学者ほど進化論を否定する傾向があるようです。

ある人がアメリカ人の知り合いに「私は進化論を信じている」という話をしたところそのアメリカ人は驚いて「え~、あなたホントに先進国の人? マジで信じているの、進化論研究の科学者が次から次へと見切りをつけて去っているのに?」と言われたそうです。

さて、結構誤解されているようですが、進化論ブームの元とされる「種の起源」という彼が書いた論文には人間の起源については触れていないし、「進化」という言葉さえ使われておらず、彼が「進化論」という論文を発表した訳でもありません。

進化論というコンセプトはこの「種の起源」に影響を受けたダーウィニストと呼ばれる人たちが人間の祖先は猿から進化したとか、もともとはアメーバがそのただ一つの種であり、そこから人間も含め多様な生物が生まれた、などと彼の元の主張を拡大解釈して行った結果です。

ダーウィンの履歴

話を続ける前に彼が生涯何をしてきたのかを見ていきます。1809年イングランド生まれで父が医師の裕福な家庭に生まれています。

そして家業を継ぐためにエジンバラ大学医学部に入学するのですが、当時存在しなかった麻酔なしで行う手術での患者の苦痛や、血が流れている状況などに耐え切れず、1年半で退学。

185センチの大男の割には繊細で優しい性格だったのでしょうか。その後ケンブリッジ大の神学部に入学して田舎の牧師をめざすのですが、もともと自然史学や地質学が好きであったため、田舎の牧師は暇だからこういった学問を追求しやすい、と考えたからなのでは、と言われています。

因みに自然史学とはウィキペディアによると「自然に存在するものについて研究する学問で、 広義には自然科学のすべて。狭義には動物・植物 などの自然物についての収集及び分類を行う学問」です。

そして彼は神学を学ぶ間にも昆虫採集や地質調査など自然の観察などを行い、その頃から熱帯地方での自然観察をしたいと願うようになっていったようですが、大学卒業後そのチャンスが訪れます。

イギリス海軍測量艦ビーグル号に乗ってみないかとの誘いが彼の元に届きます。船長が航海中の話し相手が欲しかったから、というのがその背景で且つ学のある人が欲しいという事だったようです。

しかも、私費で参加して欲しいという事だったのですが、彼の家はお金持ち、そして本人は有名大学で勉強したインテリ、ということで彼の参加が決まり5年間に及ぶ南米での熱帯地方巡りが始まり、ガラパゴス島なども訪れることになります。

この5年間に彼は訪れた先々で動物や植物などの観察を熱心に行い航海中「神以外の種の起源があるのでは」と思うようになったようで、航海終了後の1859年に友人であったアルフレッド・ウォレスと同時に「種の起源」という論文を提出しています。

1871年と1872年にそれぞれ「人間の進化と性淘汰(日本語訳)」と「人及び動物の表情について(英語版)」というタイトルで本を出版していますが、最初の本の原文はThe Decent of Man…(人間の祖先)であり、この進化という概念が勝手に独り歩きしていたことが窺えます。

そして、1882年に亡くなるのですが、地質学やら、自然史学に没頭し生涯どの職業にも一切就くことはなかったそうです。

種の起源の要点

先ほど述べましたが、種の起源には進化という言葉は使われておらず、「変化」と「変異」という重要なキーワードで「人間が観察できるほどの変化・変異」や「観察するのが困難」な程のものが観察した動植物には見られると述べています。

そして、それらの変化・変異を通じて動植物の環境に有用な個体だけが残り、そうでない個体は淘汰されているのでは、と考えこれを「自然淘汰」と名付けています。

種の起源にはこの2点しか述べられておらず、環境に対しての「有用さ」とは何かについても明確に定義されているわけでもなく、賢いのが有用なのかあるいは生物的に強靭なのが有用なのか、などについては触れられていません。

地球始まって以来氷河期などの大変動が起き、こういった環境の激変などに適応せず恐竜などが絶滅し、適応出来た人間を含む動物が生き残った、などと言われますが、例えば、同じ爬虫類のカメや、両生類のカエルなどは動きものろく、環境への適応力もなさそうな動物が現在存続していることの説明がつきません。

まあ、僅か5年間の間で彼が観察した、そういった変化や変異が何万年も前から徐々に起こっており、将来も永遠に続いていく、というこの推理にはちょっと無理があるのでは、としか思えませんが、実はこういった進化論の考えには決定的と言っていいほどの致命的な欠陥があるのです。

進化論の致命的な欠陥

非常に分かりやすい例を挙げましょう。もし、ある動物が自然淘汰で現在のような姿形になったと仮定します。例えばキリンの首が長くなったのは高い木の実を食べるのに有利だから自然の環境に適応する為で、そうではない個体は死滅していった、とします。

こういった変化が徐々に長い年月をかけて起こり、現在のキリンの姿になったのだとすると、キリンの原形(と想定される)動物と現在のキリンの間に首の中途半端に長いキリンがいた筈ですが、これを中間種と言います。

ダーウィンは種の起源で彼の推理には難点があることを認めており、それがこの中間種で、「今見つかっていないが後世に発見されるであろう」と述べています。

ところが、彼の没後これまでに動物の化石は数千万個も発掘されているのに、この中間種だと思われる化石は現時点でただの一つも発見されていません。

これをミッシング・リンク(失われた環)と呼んでいますが、彼の死後120年以上もたっているのに「未だ見つかっていない」有様です。

近年ではDNA科学が発達し、DNA解析により種と種の間には乗り越えられない強固な境界が存在していることも分かってきており、米ロックフェラー大とスイスバーゼル大共同で行った膨大な数のDNA解析の結果、中間種なるものは存在しない、しかも人間を含む動物は10から20万年前に一斉に誕生したものと結論付けています。

進化論に変わる理論

ダーウィンの進化論はもうすでに崩壊しているとしか考えられませんが、その代わりとして台頭してきたのが、インテリジェント・デザイン理論です。

インテリジェント・デザインとはダーウィンの進化論に対して、生命や宇宙の複雑な構造には変異や自然選択では説明できない「知的意図」が介在したと主張するアメリカ国内で近年台頭してきた理論で、学校教育への導入の是非をめぐり論争が続いています。

まあ、これは聖書の「神は動物を種別にそれぞれ種類ごとに創造した」とする所謂創造論に回帰したようにしか私には思えませんが、科学者として神という言葉を使いたくなかったのか、何らかの知性が・・と表現し、DNA解析やら宇宙の分析などを通じて科学的にその「知性」がもたらした仕組みを理解しようとする理論でしょうか。

この高度な知性を村上和雄という日本の分子生物学者で筑波大学名誉教授はサムシング・グレート(偉大なる何か)と呼び、その名づけ親となっています。

DNA科学が発達するはるか以前にこのインテリジェント・デザイン的な考え方をしていた人が万有引力の発見などで有名なアイザック・ニュートンです。このことを示唆する面白いエピソードがあります。

ニュートンは神の存在を信じる科学者でしたが、ある日、ニュートンの友達で無神論者の科学者がニュートンの家に訪ね机上にある、太陽と惑星と地球と月の精巧な模型を見つけます。

それは月を回すと地球が自転し、他の惑星それぞれの周期に応じて太陽の周りを公転するという精巧なモデルだったようです。

それを見た友人がニュートンに「これは立派な宇宙のモデルだな、一体誰がこんなすごいものを作ったのか?」、と聞くとニュートンは「誰でもないさ。勝手にそれが偶然に出来たのだよ。」と答えます。

その友人はむきになって「冗談はよしてくれ、こんな立派なものが勝手にできたとでも? そんなことは有り得ない、誰かが作ったに決まっている」と
ニュートンに迫ります。

そこで、ニュートンは「おやおや、おかしなことを言う。君は常日頃から、こんなモデルなど及びもつかないほど精巧で複雑な宇宙が、何人にもよらず偶然の産物によってできたのだと主張しているよね。

それなのに本当の宇宙に比べれば、はるかに単純ではるかに原始的なこのモデルが偶然にできることはあり得ないというのか? この矛盾をどう説明する
つもりかね」と答え、その友人は言い返す言葉を失った、ということです。

まとめ

動物の種と種の間には乗り越えられない壁が存在し、社会現象などにおける進化という現象はあっても、生物学的な進化というのは何万年経ても起こりえない、というのが結論である、と思わざるを得ません。

進化論とはどうやら科学的根拠が薄弱であることが露見する発見や分析が相次ぎ最早崩壊しているといっても過言ではない状況ですが、いまだに日本ではほぼ100%信じられており、米国のような教科書の見直しの是非の議論などはされないまま現在に至っています。

勘繰りすぎ、と言われるかも知りませんが、以前述べたように日本の教育界はいまだに共産主義礼賛の風潮がある為、無神論的なダーウィンの進化論が彼らに都合が良いとして、こういった世界のトレンドを無視しているのかも知れませんね。

あるいは日本は宗教的な話は興味のない人が大多数で、こういった話は受け入れられないだろうと考えてほったらかしにしているのか、あるいは教育界全体の勉強不足と怠惰のせいでそのままにしているのか・・・。

公平に言うと、ダーウィン以前に進化論的な説はあったようですが、特に根拠もなく主張されていた為大方無視されていた思想のようですが、彼が膨大な観察の結果をベースに理論を組み立てた、ということでこういった思想を科学の土台に初めて乗せた人、とその業績を評価する向きもあるようです。

ただ、この誤った理論は無神論者、共産主義者(神の存在を否定するので)、政治家などにとって都合の良い理論として利用され、最悪なのが優生学を助長し、それがまたナチスに影響を与えたことなどを考えると、本人にそのつもりは全くなかったとはいえ、良からぬ結果を世界にもたらしたのだろうな、と私自身は考えています。

今回は以上です。次回は「GHQの対日工作」というテーマで書く予定です。


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