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#09 『プロ駐車場案内士②』

私はプロ駐車場案内士。現在はフルーツたこ焼きで一世を風靡しているお店の駐車場を担当している。満車になったら「満車」と書かれたプラカードを持って立つので、お客様への案内は比較的ラクだ。

「大変申し訳ございません。ただいま満車でして…別のコインパーキングへ…」とお伝えすればすぐに理解していただけるし、「満車」の文字を見た瞬間に移動してくださるお客様も多々いらっしゃる。

よって私は満車の看板を持ったただのおじさんに見えるだろう。週末によく交差点で見かける、オレンジの蛍光色で書かれた住宅のオープンハウスの看板を持って座っているおじさんと同じだ。

周りからは「いい歳こいてあんな仕事を…」と思われているかもしれない。
確かに妻子有りのアラフォーが平日の昼間から「満車」の看板を持って突っ立っているのだから、そう思われても仕方ない。

人はいつから他人と比較をするようになったのだろうか。

他人よりも優れていることを見つけると安心するのだ。これは別にいやらしいことではなく、自然なことだ。動物の本能だ。弱肉強食なのだ。

ホワイトカラー(頭脳労働)とブルーカラー(肉体労働)だって未だに差別するだろう?どちらも立派な仕事に変わりないのに。

ただ、歳を重ねることで気がついたことがある。本能的にもしくは社会の刷り込みによって身につけている弱肉強食的な考え方は現代において逆になりつつあることを。

例えば、学校の先生は、頭の良さ、教育者としての資質、安定した収入など
客観的に見れば立派な仕事に見えるはずだ。しかし現実は、問題児、モンスターペアレンツ、PTA、部活動、勉強会etc…絶対に1日8時間労働では終わらないし、専門外の仕事が多すぎる。社会的に強者なのに、身も心も疲弊していることだろう。もちろん先生に限ったことではなく、ホワイトカラー全体に言えることだと思う。

逆に、駐車場の案内係は、誰でもできそう、立ってるだけ、時間給など客観的に見れば立派な仕事には見えない。しかし現実は、定時に終わり、毎日家族との時間を取ることができるのだ。ブルーカラーの方がよっぽど人間的な生活を送れているのだ。

人それぞれだからどちらがいいとかはない。ただ、見た目で判断できる時代ではなくなってきていることに気がつくことが大事なんだと思う。

ただ、私自身このようにつらつらと駄文を書いて自分のポジションを正当化しようとしている、つまり他よりも優れているように言い聞かせようとしているのは自分がまだまだである証拠なのだ。

結局、人間はいつまでたっても変わらないのだ。弱肉強食の世界で生きていたいのだ。

ところで、多くの人にとって「いい仕事」とは何だろうか。お金の価値もだんだん変わってきているので、稼げる仕事が良いということはないかもしれない。人はいつか死んでしまうので、どんな仕事をしていたって結局は同じである。ただ、いい仕事をしてきた人の名は残る。歴史に名を刻めるのは、いい仕事の証拠かもしれない。後世に何かを残せる仕事がいい仕事なのだ。
そこにはホワイトもブルーも関係ない。肉体労働で作り上げた建物は地図に残る仕事であり、立派な仕事なのだ。生きている間に評価されるのは、そういった地図に残る仕事なのかもしれない。

私はプロの駐車場案内士。

この仕事を始めたての頃に、たくさんのカメラがついた車が1台、私の前を横切った。そして今、私は、グーグルのストリートビューに「満車」というプラカードを掲げて写っている。


そう、私自身が地図に残ったのだ。


へへへっ、どうだ。

100円くらい意志雄にあげてもいい、それすなわち、隠れイシシタン!