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頑張り屋なあなたへ(130/365)

僕の周りには強い人が多い。

このご時世、生活に制限はあり、思ったようにいくことばかりでもなくて、多少なりともストレスは掛かる。

そんな中でも現状に不満を言うのではなく、今できること、今だからこそできることを模索して頑張っている人がいる。

SNSの発信なんか見ていても、色んな事をポジティブに捉えている。

たとえ辛くても常に前を見て頑張っている人がいる。

純粋に尊敬する。

しかし、そんな彼ら彼女を見て余計な心配をしてしまうこともある。

「時には愚痴でも弱音でもなんでも嘆いてもいいんじゃない?」って。

「頑張りすぎてない?大丈夫?」って。

 

頑張り屋な人ほど、自分に厳しく繊細で真面目で優しい。

そんな人が多いからこそ、こんなことまで思ってしまう。

僕もどちらかと言えば、元々ポジティブシンキングだった。

元々というくらいだから、今は逆にネガティブって訳なのかと言われればそうではないけど、常にポジティブでいるのは辞めた。

そりゃポジティブでいたほうが楽しいし前向きになれるけど、常にそれだと疲れてしまう。

自分でも知らないうちに、心がパンパンになっていたりする。

そしてあるとき、破裂して萎んでしまうなんてことになりかねない。

だから、僕は愚痴も言うし、ネガティブな事も言う。

「ネガティブな事を言う人にはネガティブな人しか集まらない。だからポジティブでいよう」なんて言われたことがあるが、果たしてそうだろうか。

確かに四六時中ネガティブだったら周りまで暗い気持ちになってしまうかもしれないが、時にはそういう感情を出すのも大切だと思う。

心の重荷を降ろしてあげる。

重荷を付けたまま飛ぶのは大変だから軽くして、力を入れなくてもラクに飛んでいけるようにしてあげる。

 

話せる人がいるなら話せばいいし、SNSに書いてもいい。

僕の場合それがnoteだったりして、シェアハウスの楽しい日常を綴る時もあれば、ちょっと重い内容について書くこともある。

人に話すこともあるけど、誰にでもって訳でもない。

もしそれで離れていってしまう人がいるなら、それはそれでいい。

離れてほしくないが為に、負の感情を押し殺してまで頑張ってポジティブでいるほうがしんどい。

 

僕は時にはネガティブな一面を見せてくれる人のほうが、人間らしくて好きだ。

別にネガティブだって、下を向いたって、立ち止まったっていいじゃない。

それも含めて貴方なのだから。

そんな貴方を受け止めてくれる人を大切にしたらいい。

 

負の感情も垣間見えるからこそ人を好きになる。

そんな感情も吐き出せるような、受け皿のような存在でありたい。

 

もっとラクに生きられるように。



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