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なぜ子供たちはマスクを外せないのか 国も学校も失った子供の信頼を取り戻そう

 5月8日から、新型コロナウイルス感染症は、感染法上の位置付けが2類から5類に移行した。
 それに伴い、「日常を取り戻す」といった文字がネットやテレビ、新聞の上に踊っているが、振り回された子供たちの心は果たして「取り戻される」のか。
 国は、責任をもって子供たちの心が「日常を取り戻す」ための努力をするべきではないのか。
 また、それは教師にも同じように求められているのではないのか。教師は学校において、国と一緒になって、また時として国がコロナ対策に求めている以上の価値を付加して子供の指導をしてきたのではなかったか。
 それは当時、教壇に立っていた私も同罪である。
 だからこそ、今文章に書くことを通して、私たちは何をするべきなのかを考えようと思う。

 以下、第1項では、2020年当時を中心に、学校現場のコロナ対策の様子を振り返る。第2項では、2023年春における国のコロナ対策転換が、子供に何をもたらすのかを考察する。それを踏まえ、第3項では具体的に国や学校は、今何をするべきかを考えたい。

殺気立った教室で

 休校が明けた小学校は、異様な緊張に包まれていた。新型コロナウイルスそのものへの知識も十分ではない中、ともかく対策方法だけが列挙された。
 子供たちにはマスクの着用が義務付けられ、忘れようものなら教師は厳しく注意をした。
 三密も徹底して指導され、休み時間に顔を近付けて話すことを教師は許さなかった。
 家庭で体温を測定してこなかった子供は、教室への入室、学校によっては校内に入ることさえ許されなかった。そういう子は、廊下や校舎の前で体温を測り、平熱ならば入室や登校が許可された。
 そう、まさしくそれは「許可」だった。一定の体温以上だった場合は、家に帰されたのである。
 
 給食再開後は、特に給食時の空気がひときわ殺気立った。手洗い、消毒が徹底され、黙食が強制された。学校によっては、マスクを着けたままで食べ物を取り、素早くマスクをずらして口の中に入れ、また元に戻すという方法が実施された。
 本来なら、給食の配膳方法を少しずつ学ぶはずの1年生の教室では、子供たちは身動きひとつせずに椅子に座り、校長や教頭、その他の手の空いている教師が黙々と配膳を行った。スプーン一つ落としただけでも誰かに怒鳴られそうなそんな空気が漂っていた。
 
 今の視点では過酷としか言いようのないこの耐久生活は、地域の方からも求められた。
放課後、子供たちが公園で遊んだりしたら、すぐに近隣住民から学校に「お叱り」の電話が入った。

 さらに学校は、子供たちにコロナ対策を自分でも工夫することを求めた。「距離を取っていてもできる休み時間の遊びはないか、コロナによる運動不足解消の方法はないかなど、自分で工夫しよう」と、校長が率先して子供に呼び掛けた。

 この「山盛りの非日常」を子供たちに受け入れさせるために、教師が用いた指導の言葉は、
「あなたと、あなたの大切な人を守るため」
であった。
 「この対策は、あなたの命とあなたの家族や友達などの命を守るためなのだ」と、言われたら、子供だって従うよりほかはない。私たち教師は、そこを突いたのだ。

 その後、社会全体では何回も感染大流行を繰り返すのだが、2021年度には、「withコロナ」「経済優先」という声がしばしば聞かれるようになっていった。子供にとっては、「経済優先」とは「お出掛けOK」の意味であっただろう。
 こうした変化に伴って、教育活動の規制が、微々たるものではあったが緩和されていった。

コロナ対策転換が子供にもたらすもの

 そして、2023年春、国、学校のコロナ対策は大きく舵を切る。
 学校では4月1日からマスクの着用が求められなくなったのである。

 文科省はそれに先立ち、卒業式でのマスク着用も義務付けないことを発表した。それを聞いた時、「最後は互いの顔を見て卒業をしていいよ」という「人気取りご褒美パフォーマンス」のように思わず感じてしまったのだが、やはり学校現場に混乱をもたらしただけであった。三年間、着け続けていたマスクは簡単には外せないのである。
 なぜなら、そのマスクは、「あなたと、あなたの大切な人を守るため」に必要なものだったからだ。外すのを躊躇するのは、「顔を見られることが恥ずかしい」という理由だけでは決してないだろう。もちろん、顔を見せたくないという思いをもたせてしまったことも、教育における問題の一つなのだが。

 この戸惑いと悩みは、4月1日からも変わらなかった。
 さらに5月、2類から5類になっても、学校での子供たちにとっては、変わらない。
 3年間、あれほど徹底して対策を「強制」されてきたのに、突然、「自己判断」を求められているのだ。子供たちの心の中は、次のようではないか。

 「自分の命と自分の家族や友達などの命を守るため」にマスクをしていたのではなかったのか。自分がマスクをしないことで、誰かに感染させたらどうしよう、感染させられたらどうしよう。全部自分の責任だ。

 自己判断には責任が伴う。そして自己責任には、懲罰的意味が内包されている。

 感染予防に、自己判断と自己責任を求めることは、大人にならまだ許されるかもしれない。しかし、子供にそれを求めていいのだろうか。

 何よりも、「あなたと、あなたの大切な人を守るため」は、どこへ行ってしまったのか
 これまでの3年間の我慢は何だったのか。
 子供たちが大人から手のひらを返されたように感じていても不思議ではないと思うのである。

なぜマスクをしないでいいのかを明示せよ

 何よりも、子供たちの不信感を煽るのは、政策転換、学校での指導内容転換の不透明さだろう。

 まず、前提である、この3年間のコロナ政策の検証はどのように行われたのか。私は寡聞にして知らない
 そして、新型コロナウイルスの研究はどうなったのか。弱毒化がそんなに進んだのか。治療薬は簡単に手に入り、例えばインフルエンザと比較して同程度に効果があるのか。これも私の耳には入ってこない。
 従って、マスクを外しても大丈夫であるというエビデンスがあるのかどうかも分からない。

 そう感じているのは、子供も、保護者も同様ではないのか。
 新型コロナウイルスがなくなったわけではないことは、子供でも知っている。
 今までと同じような新型コロナウイルスが、今までと同じように身の回りにあるのに、なぜ急にマスクをしなくてよくなったのか、それが分からない。だから、子供は不安であり、国や教師の言うことが信じられないのである。マスクを外していいと言われても外せないのである。

 ましてや、もしもその理由が「経済優先」であるならば、それは子供に「多少の命の犠牲を払っても、国民が、国家が経済発展をするためには仕方がない」ということを学習させることになる。それでよいのか。

 答えは明白なはずだ。
 
 今、国が、学校がするべきことは、次のことを国民・子供たちにすぐに明示することだ。

・現在、新型コロナウイルスの感染力はどの程度なのか。
・それは、学校生活において今求められている対応策で防げるレベルなのか。
・つまり、マスクをしないでも感染しないレベルなのか。それとも、やはりマスクをすれば、しないよりも感染を防げるのか。

 これらをエビデンスとともに、子供に分かるように示すべきである。
 3年前には、当時の西村新型コロナ対策・健康危機管理担当大臣や尾身茂氏が、毎日のようにマスコミの前に姿を表していたが、最近は、コロナに関するアナウンスがめっきり減少している。
 もっと上記の内容を頻繁にマスコミに乗せて、子供たちの耳に届ける努力をするべきではないのか。そして、それをさらに翻訳して子供に分かりやすく伝えるのが教師に役目であろう。
 それが子供にとって判断の材料になるのである。
 
 もし、残念ながら上記のエビデンスがまだない、検証も8月までは待つしかないというのであれば、以下の情報を子供に早急に示し、安心感を与えてほしい。
 
・もし、新型コロナウイルスに罹患した場合、現在の治療薬はどの程度効果があるのか。
・医療体制の現在の状況と今後の見通しはどうか。
・ワクチンの接種の見通しはどうか。

 つまり、仮にコロナに罹患しても、「自分の命と自分の家族や友達などの命を守る」ことが、できる状況にあるのかを子供に伝えるべきだと考える。

 さらに、これらもまだ途上であって子供に伝えられないというのであれば、マスク着用の緩和や5類への移行が見切り発車であったということだろう。
 正直にそれを子供にも伝え、マスクを外すことを急ぐ危険性のあることを知らせるべきだ。
 
 これ以上、子供を騙してはいけない。それが、3年間振り回し続けてきた子供に対する国と教師の責任ではないのか。