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席に着けない子を無理に座らせようとしてはいけない

静岡市の小学校で、低学年の子供に対する教師の不適切な指導が行われたことを、報道で知った。
離席をした子供に注意をしても従わなかったため、ガムテープで腿を椅子に固定したのだという。

詳しい経緯は分からないが、これは絶対にやってはいけないことである。
子供の身体を拘束し、自由を奪っている。人権上、許されることではない。

だが、これ以上のことについては、私は調査をしたり、裏付けを取ったりはしていないので、何も言うことはできないし、言ってはいけない。
従って、ここから述べるのは、あくまでも一般論である。

こうした問題が起こると、「障害をもった子がいると、先生も大変だ。通常級から支援級に移らせるべきだ」などの、感情に流されただけの意見を散見するようになる。それにより、現在、通常学級に在籍中の発達障害とされている子供たちやその保護者の方々が、不当な圧力を受けないかを、私は危惧する。

またその一方で、もしもこの件が契機となって、通常学級への支援員や特別支援学級の教師が増員されるようになるならば、それは大歓迎である。

しかし、本稿で述べたいのは、これらのことではない。
生きづらさを抱えている子供に対する教師の指導の原則の一つについてである。

それは、

「席に着けない子を無理に座らせようとしてはいけない」


ということだ。

このことは、ある程度の経験を積んだ教師にとっては、常識である。

子供が、席に着けないで出歩いてばかりいて、教師の注意を聞き入れない状態であったら、担任は別の教師や支援員に連絡をして、その子への個別指導を行ってもらうのが一般的な方法である。
教室の外はもちろん、校舎外に出てしまうこともあるので、その子を(また状況によっては周りの子供も)守るために、これは適切な対応方法である。

私が言いたいのは、そうした危険性が認められない場合についてのことだ。
特定の子供がただ教室内を立ち歩いているという、最もよく見られるケースにおいてである。
そんな時、「席に着きなさい」は禁句である。
注意をしても、その子は、まあ普通は座らない。
座らない理由があるからだ。
その子の特性もあれば、教室環境に原因がある場合もある。
ともかく、注意をされてすぐに座るようなら、問題と感じるほど頻繁に離席を繰り返したりはしない。

では、なぜ離席を繰り返す子供を注意をしてはいけないか。

それは、教師に「席に着きなさい」と言われることで、その子は、「先生の関心を引いた」と思ってしまうからである。
さらに、周りの子がその教師の注意に反応し、一緒になって注意をしたり、逆に言うことを聞かないその子の行動を「クスッ」と笑ったりしたら、その子は、「みんなの注目を集めた」と、感じてしまうのである。
つまり、「離席すると楽しい感情が得られる」ということを学習してしまうのだ。

こういうタイプの子供と一緒に教室で過ごしたことのある教師なら、注意や制止による指導を何度か行い、その結果失敗を繰り返して、このことに気付く。
もちろん、心理学上の知見にもなっている。

だから、「知っている」教師は、注意をしない。
注意をしないで、全体に指導をしつつ、教室内を歩き回っているその子をちらちら目で追う。安全確認をしながら観察をしているのだ。

すると、ある時、チャンスが訪れる。
教師が学級の子供たちに対して行った発問に、例えばオルガンの陰で遊んでいたその子が、
「それは、〇〇だからだ」
と、突然反応するのである。
教師はすかさずその発言を取り上げて、全体に返す。
周りの子が、その発言に反応する。
「すごい!」などと言われたりすることもある。
離席をして勝手なことをしていたその子が、みんなと一緒に学習を開始した瞬間である。

こうした経験を何度か繰り返すことで、その子は「みんなと勉強するのも、ちょっと楽しいな」ということを学ぶ。
やがて、席を立たなくなる。

逆に、「席に着きなさい」「こら、席に着け!」「お前は席にも着けないだめなやつだ。手に負えない!」と、注意され続けた子は、「教師」と「みんな」を嫌い、信じなくなる。
さらに、一緒になって席を離れる子が増え、「学級崩壊」につながることすらある。

これは、机上の話ではない。
全て経験したことである。私や私の周りの教師たちが。
だから、彼らは知っている。

「席に着けない子を無理に座らせようとしてはいけない」
「自分から席に着こうとするように指導をすればよいのだ」