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「排除ベンチ」を生活科の公園学習でどう扱うか悩む 教育に侵食してくる社会の病理?

「排除ベンチ」と呼ばれるベンチをご存知だろうか。
腰を下ろす面が仕切りなどで分けられているベンチのことである。
近年、この「排除ベンチ」が公園に設置されることが増えた。
 
公園に限らず、駅前などの公共空間にも多く見られるので、ほとんどの方が思い当たることと思う。
中には、「ベンチ」とは呼べないような異形のオブジェもあるので、「排除アート」と呼ばれることもあるようだ。
 
では、なぜ「仕切り」が付けられていたり、奇妙な形をしていたりするのか。
そう、ホームレスが寝転んだり、居着いたりすることを防ぐためである。
だから「排除」なのだ。
 
しかし、ベンチを利用するのは、ホームレスだけではない。
だが、仕切りがあったり長く座っていることができないデザインであったりするため、実は、すべての人にとって利用しづらいものになってしまっている。
 
この「排除ベンチ」には、二つの「問題」が内包されていると考える。
 
一点目が、特定の人間を排除することを目的とした物が、当たり前のように公共空間に設置されていること。
 
二点目が、その結果として、誰にとっても使いにくいものになっていること、すなわち公共空間の快適性が損なわれていることである。
 
さて、生活科の学習内容の一つに、次のものがある。
 
公共物や公共施設を利用する活動を通して、それらのよさを感じたり働きを捉えたりすることができ、身の回りにはみんなで使うものがあることやそれらを支えている人々がいることなどが分かるとともに、それらを大切にし、安全に気を付けて正しく利用しようとする。
 
ほとんどの学校の1年生は、この学習対象として「公園」に出掛けているだろう。
 
生活科の学習指導要領解説にも、「ここで取り上げる公共物とは、例えば、地域や公園にある…ベンチ…など、みんなが利用するものが考えられる。」と、明示されている。

この学習を進めていく上で、上述した「排除ベンチ」が、大変悩ましいものとなる。
 
指導要領解説には、さらに、次のように記述されている。
 
「…利用者だけではなく管理者にも視点を移しながら…自分たちの生活が豊かになっていることやそれらの社会的な役割について実感していく。」

「…生活の中にあるみんなで使うものの存在を、それらが目的に合わせて多様に存在することに気付くこと…。幼児,高齢者,障害のある人など,多くの人が利用していること、そうした多くの人が利用しやすいようにするための利用方法やきまり、それを支える人々の存在があることに気付いたりすること…。」

「…みんなで使うものは、自分にとっても、相手にとっても気持ちよく利用して生活するものであることに(意識を向けさせる。)…児童にとって…『みんなで使える場所がたくさんあることが分かったよ。私たちの町ってすごいね』などのよさを実感するものと(する)。」
 
「排除ベンチ」によって、果たして子供たちの「生活は豊か」になっているのだろうか。
多くの人が利用しやすい」ものになっているだろうか。
 
また、ホームレスを「排除」することが、その他の人々(それは「多数派」かもしれないが)にとって「利用しやすくなるきまり」であり、それを執行している「管理者」は適切な行動を取っているということになるのだろうか。
 
そして、そんな私たちの町が「すごい」のか。
 
 
これが高学年の学習ならば、「排除ベンチ」「排除アート」について議論を交わす学習を構築できる。
 
だが、1年生に、実際に「排除ベンチ」を見せて、座らせて、横にならせて、さて、何に気付かせたらいいのか。その働きをどのように考えさせたらいいのか。
公共物を使う「みんな」をどう捉えさせたらいいのか。
 
難問であると考える。
 
そして、私たちの社会は、いつの間にかこうした「難問」を生み出す社会に変化していること、さらに、この「難問」を放置しておけば、そういう社会が<豊か>で<健全>であるという認識を幼いうちから子供に刷り込んでしまう恐れのあることに危機感を覚えるのである。