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夏休み明けの初日は怪談話の読み聞かせ

高学年、特に六年生を担任していた時のことです。
夏休み明けの初日、私が時々行っていたことに、「怪談話の読み聞かせ」がありました。

別に子供を怖がらせて薄笑いを浮かべたかったわけではありません。
私はそこまで自分を悪趣味な人間だとは思っていません。

ですから、読み聞かせるのは、「トイレの花子さん」のような単なる「ホラー話」ではありません。

次の小泉八雲氏の作品です。

まず、「むじな(のっぺらぼう)」は外せません。

そして、定番とも言うべき「耳なし芳一」です。

私は、伝奇や怪異を扱った物語も立派な文学のジャンルの一つであると考えます。
しかし、日頃はなかなか子供たちに関心をもたせる機会がありません。

まして、今の子供たちは、先のような「おばけの話」を好む一方で、八雲文学からは遠ざかっている傾向が見られます。

そこで、巷では「納涼」が求められるこの時期なので、八雲氏の作品に子供を触れさせる好機ではないかと考えていた次第です。
 
文章を印刷して配付し、私が読んで聞かせる方法で行いました。
 
「むじな(のっぺらぼう)」の、あの正体を明かす語りの場面と、その繰り返しの構成の面白さは、子供たちにも伝わります。

また、「耳なし芳一」は、社会科の源平の合戦や国語の『平家物語』の冒頭部の学習とも繋がります。
琵琶法師の語りという伝統的な日本文化の一端に触れる機会にもなるとともに、「怨念」を語り継ぐ日本人の心性に対する理解の契機になるのではないかとも思っていました。
 
ただし、子供たちの中には、感受性が大変豊かで、信じやすいタイプの子もいます。
もし、この投稿を読んで「自分もやってもよう」と思われた方は、配慮が必要です。
 
 
ところで、「怪談話」ということで、高野和明氏『踏切の幽霊』(文藝春秋,2020)を先日読んだことを思い出しました。
 
高野氏の待望の新作で、第169回の直木賞候補作にもなっていたので、期待値が高まっていた状態での味読でした。
 
同じ高野氏の、ハリウッド映画を観ているかのような感覚になる前作『ジェノサイド』や『グレイヴディッガー』の疾走感は感じられません。
また、『K・Nの悲劇』のようなホラー小説でもありませんでした。
 
これは、幽霊の登場する話です。
 
愛する人を失い、残されてしまった者の孤愁が心に染みました。
 
そうした紛う方なき「ゴーストストーリー」であることが、八雲作品との共通点であると思われました。