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にゃんちゅう

そんな予定はないけれど、次に家にねこを迎えたら、なんて名前にしようかなと考えるのは、とても楽しい。

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大学生の頃に拾ったねこは「うりぼぅ」(愛称 うーちゃん)だった。わざわざ小さくした「ぅ」に大学生時代のわたしの痛い浅はかさ、と「う」じゃないよ「ぅ」だよという自己顕示欲が出ていた。そんな名前をつけられた三毛猫のうーちゃんだったけれど、普段からとても静かでずっとくっついてくることはなく、かと言って離れているわけでもなく、気づけばそばにいる、朝起きたら布団の中にいる、そういうねこに育った。うーちゃんは顔の造形が美しかった。ちなみに動物病院の初診では「高柳うりぼう」と書いた。「ぅ」を封印したのはわたしが多少大人になりかけていたからかもしれない。名付けは大事だと悟る。

うーちゃんはわたしが社会人2年目になったばかりのある日、4歳で突然死した。関東に引っ越して1年、病気もなく元気だったけれど、一匹だけで昼間家においていたことを後悔した。その頃はまだ恋人だった夫と共に火葬して、心には猫の形の穴があき、その穴を新たな猫でうめることを想像し始めたころ、偶然とおりがかった春日部駅で猫の譲渡会をしていた。そこで出会った白黒はちわれと茶トラにぎゅんぎゅんに恋をしてしまった。これが後に「ごましお」と「きなこ」になる。

ごましおはわたしが命名した。白黒の色からごましおという安易な名前をつけたけれど、美味しくて栄養があるものの名前をつけてよかったと思っている。きなこは夫が命名したがなんとなく「きなこちゃん」とは呼びづらく、「きーちゃん」と呼ぶことになった。ごましお、きーちゃん。いい名前だ。同じボランティアさんから譲り受けた2匹はすでに一緒に暮らして1カ月ほど経っていたようで、7歳の今も仲がよく、秋になるとくっついて、冬になると折り重なって寝ている。うーちゃんが死んだときに思った「次は必ず2匹一緒に迎えたい」という願いがかなったのもよかった。

さて、ごましおきーちゃんを迎えた翌々年に双子も生まれ、2018年に福岡へ移住。翌年2019年にニューカマーが現れた。草がぼうぼうの空き地で一匹、みゃーと鳴いていたのはまたもや白黒はちわれだった。各種名前候補から夫OKが出たのは「あおさ」。生まれて6日ほど、目が開いたばかりの赤ちゃんだったあおさは謎の血尿と乱暴さを兼ね備えていたものの、栄養のある名前をつけたおかげか血尿はとまり乱暴さも多少おとなしくなってきた。名付け、大事じゃん。あおさはミネラルが豊富。

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冒頭に戻る。そんな予定はないけれど、次にねこを迎えたらどんな名前にしようかなと考えるのは楽しい。

ここまで来ると、栄養のある名前をつけたくなる。栄養があって、わりと細かい粒子で、ごはんとかおもちとかにまぶして食べるような、そういうもの。ごましお、きなこ、あおさの他に、何かあるだろうかと考える。ゆかり、とか、しそ、とか。のりたま、もいける。あれ、のりたまってすごく栄養あるんじゃないの。卵、海苔、ごま、塩が入ってる。すごい栄養だ。明日から子どもの朝ごはんにのりたまをかけたほうがいい。

あずき、だいず、はちょっと粒が大きい。ねこじゃない生き物がうちに来たらつけたいなと思っているけど。カメをかったらだいずにしたい。

かつおぶし、はどうだろう。ちょっと長い。かつぶし、ならいけるか。いや、カツオブシムシっぽいか。(カツオブシムシは家庭にもよくわく害虫)けずりぶし、はちょっとどうかと思う。けずちゃん、って。

クルトン、は粒大きめだけどかわいいな、と一瞬思ったけど。いや、小麦粉やんか。グルテンやんか。うーん。

イメージ的には「まぜこみわかめ」なんだけど。栄養あってなにかにかけて食べるもの。いいゴロのそういう栄養あるやつ、なかなかないのかな。そんなことを考えるのは楽しい。

(こういうことを書くと、「これはどうですか」と優しい人がレスをくれることがある。けれど、考えるのが楽しいのであって、ここで新しいねこの名前を募集したいわけではない。わたしはひねくれている。「ワンピース面白いよ」「ワンピース読んでないの?」と数回いろんな人に言われた結果、ワンピースは読まないでおこう、と思うような人間である。)

わたしは勝手にペットへの名付けでその人と親しくなれるか測るところがある。なんともいえないセンスのようなものを感じてしまうのだ。カメに「メカ」と名付けた友人を尊敬しているし、カメに「カメコ」と名付けた友人のことは面白い人間だと思っている。それにしてもカメを飼ってる友達多いな。ちなみにカメコは冬になると庭の水槽から勝手に出て失踪し、春になると土だらけで帰ってくる、ある意味で賢いカメだった。

逆に、よくある可愛い感じの名前をつけている人をセンスねぇなと見下していた時期があり、新聞なんかのペット自慢コーナーで茶色いトイプードルがココアちゃんだったりすると「ふ」と笑ったりしていた。シーズーのマロンちゃんも笑った。あれはほんとに人としてよくない時期だった。センスがあることと奇抜であることを履き違えていたのだ。今ではマロンちゃんでもココアちゃんでもみんな尊いです。

今までに会ったペットで一番名前と顔が合ってるなと思ったのはダックスフンドの「しじみちゃん」。横浜の赤レンガの前でたまたま飼い主さんとしゃべり、その名前と姿のマッチング具合に感動した。あの子はまさに、しじみちゃんです、という顔をしていた。あれは結婚前だから2012年だったろうか。たった一度、横浜で会った犬の名前をまだ覚えてるくらいだから、よほど感動していたのだと思う。次はああいう名付けをしよう、と当時まだ「ごましお」「きなこ」に出会ってないわたしは誓った。シジミといえば有名なのはオルニチン。二日酔いにも効く、とてつもない栄養の塊だったのだ、あの子は。と、あとになって思い返した。

次のねこも栄養のある名前をつけよう、と思っていたけれど。昨年マンションの駐車場で出会い、もし懐いたら家に迎えたいと思ってかわいがっている野良猫にわたしは何気なく「にゃんちゅう」と呼びかけてしまい、その安易さにくらくらしつつ、しかし、教育テレビでの長寿ぶりと聞き慣れたダミ声を思うに、ある意味いい名前かもしれないよな、などと自分を納得させようとしている日々である。


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