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ちょっといまTwitter見そうになってたやん

明日23時までTwitterを開かないというルールを課した。けど、課した3分後にはブラウザにタブ追加してTwitterを開いていてヒエッってなった。課す、とは。トワ・エ・モワ。

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こういう謎の工夫は楽しい。

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コロナの影響で秋から収入が減っている。年末年始、仕事のことが頭から離れなくなり、脳みそが深刻な態度をとるようになった。仕事どうしよ、と頭に浮かぶたび「働かずして食う飯はうまいか」と脳みそが話しかけてくる。やめてほしい。このままでは怯えるばかりで行動に変化が起きないから、コーチングを申し込んだ。申し込んですぐTwitterのタブを開いてしまってまたヒエッってなった。

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書くこと、で脳内が整理されるのは百も承知なんだけど、自分のためにぼやぼや書いてるときと、人にコーチングをお願いするにあたって読んでもらう文章を書くときとでは正確に現状を書きたい欲が全然ちがう、ってわかって面白い。申し込んだ後に更にnoteを開いて思うことを書き連ねた。公開するわけでなくてもnoteに書くのは、書きやすいから。書きやすいのは読みやすいから、だと思う。わたしはnoteの文字の大きさが好き。

頭の中の大部分はこれからの仕事について。さて今後どうしていこうか、はやく稼がなくてはな、と焦っている。わたしはよく焦る。そろそろ焦る人生やめたいなと何度も思うけど焦る。しょうがないから焦った自分に気づいて、自分を見つめる。見つめてみた結果、視点が足りないし思い込みがいくつもあるのでプロの手を借りるのがいいわな、と諦める。自分で全部どうにかしようとしてるときは大抵、精神が傾きだしている。

で、また自作ついったーに書く。

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文章を書くことの態度がずっとぴたっと来てなくて、それはわたしが「書く」を特に好きじゃないから。でも、自分が書いたのを「読む」「読んでもらう」は好きだ。それって料理に似てるなって。わたしは料理が好きで、それは自分が好きな味を作れるから。自分の作ったものは自分の舌にあっててうまい。自分の作ったものをうまいと言われると嬉しい。料理はそうやって毎日とは言わなくても週に10回はやってるんだから、同じ気持ちで文章を書いたらいいじゃないの、と思い至る。昨年1ヶ月かけて小説を書いたとき、書くのが苦しくて辛かったけど、書き終わって読んで、何度も読んで、人に読んでもらって、それはもう楽しかった。書きたいより、読みたい読んでもらいたいが先にある。

今、色々な声が聞こえすぎている。精神が停滞するとSNSを見てしまうのが原因。そして自分の声と他人の声が判別できなくなってく。今まさにそう。なのでTwitterを短い間やめることにしてみた。Twitterという140文字のつぶやきをやらないことにしたら、なぜかここに1000文字くらい書いてる。不思議。

SNSを通して人の気持ちに表面的に触れてたせいか、一人でいるよりしんどくて、二人でいるより寂しい時間になってしまった。今またSNSという俗世から離れて、うまいもんを作っていこう。

稼ぐ方法が見つかったわけでも、具体的な行動が決まったわけでもないから、きっと明日には小さく焦りだすけれど、今のこの態度、背中の感じ、頭の重さ、目線を感覚の中に持っていよう。わたしは躍動したい。文章で踊りたい。今は躍動するまさに直前の、緊張が足首をがたがたさせているだけだ。もっと、もっと震えろ。そして、とべ。

サポートは3匹の猫の爪とぎか本の購入費用にします。