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怨念と修造

「あんたがいいならいいけど。わたしは全然いいと思うけど」

わたしが決めたことに対して、母はたいてい語尾に「けど」をつけて発言を濁らせる。そんなときの表情は硬い。母は軽いノリを出そうとしているのか、気持ち高めの声ですらすらと話すのだけど、わたしはもう何と言っていいかわからなくなる。

最近までこの濁した言葉が嫌だった。本音があるなら言ってくれと思っていた。十代の頃は腹立たしく思いながら何度も前向きな決意や報告を重ね、そして変わらず言葉を濁されて、勝手にしょぼくれていた。言いたいことはあるけどまぁ言わないけどね、という態度は一番幼稚じゃないかと、共に幼稚なわたしは地団駄を踏んで机に突っ伏して泣いた。

社会人になり、母に対して腹立たしく思う機会も減るほど、母とわたしには距離ができた。結婚の報告への返答も同様に濁した母。たいていの大事なことを報告するとこうやって濁して来るので、何だったら濁さないんだろうと疑問でさえあった。とうとう、双子妊娠の報告にさえ手放しで喜んでくれない様子に、気付いたことがある。

わたしはどうにかしてわたしの起こす行動で、母を喜ばせたかったのだと。そして、思惑通りに喜ばない母に怒っていたのだった。まるで幼児だ。気づいたからと言って母を喜ばせようとすることをやめるのは難しいと感じたのだけど。

そしてもうひとつ気付いたのは、母がいくら言葉を濁すからといって、喜んでいないわけではなさそうだ、ということ。

真実は本人に聞いていないからわからない。ただ、母から見た孫である双子のことだけは手放しで喜ぶ様子を見るに、あの「語尾濁し」はわたしへの気持ちが現れたものなようだ。

もしかして、母は人を応援するのが下手な人なのでは。

そういえば、母に「大丈夫!なんとかなる」と強く応援されたのは、受験のときの一度きりだった。それでも、その瞳の潤みに当時のわたしは母の押し隠す不安を感じ、そしてわたしを信じていないのだとも感じた。

もしかしたら母は、信頼できない未来に望みを託せない人なのかもしれない。わたしの実力ならきっと受かると思ったのか、はたまた受験に合格すれば娘に幸せな未来が待っているはずだと信じていたか。潤んだ目は、失敗の可能性を否定できないのに、ここぞとばかりに娘を強い言葉で応援した己への疑いだったのか。

もしそうだとしたら、母が孫であるわたしの子どもたちを手放しで可愛がり、愛する事実は、母が子どもたちの未来を信じている証かもしれない。

過去のわたしを母がどう捉え、胸の憂いのひとつずつをどう処理していたかは分からない。十以上も年上の同性と隠れて恋をしていた高校生の娘をどう扱えばいいのか、いきなり理解できなくなった娘とどんな会話をすればいいのか、誰にも相談できず苦しんで、それを娘であるわたしにぶつけ、また自己嫌悪して。

そんな母が、わたしの子どもたちの現在と未来を信じている。憂いのない瞳で。一滴の濁りもない言葉で。
そう思うと、心地よい。

長いこと死にぞこなっていた高校生のわたしの怨念が、日を浴びて散り散りに溶けていく。


わたしのすべてを応援してほしかった。失敗するかもしれないことでも、手放しで大声でエールを送ってほしかった。

がんばれ!
大丈夫だ!
負けるな!

そういう、修造みたいな母を求めていたものの。
実際に想像すると違和感しかない。高校生のわたしは、想像力が足りなかったようだ。

そしてわたしも、そこまで分かりやすく明るくて豪快な母にはやっぱり、ならないだろう。
ただ、子どもが何か頑張るときには「がんばってー!」と気持ちを込めてご飯を作るだろうし、笑顔で送り出したいとは思う。

そういう、控えめな修造にはなれたらいいなと思う。

そして、もしそんな押しの弱い修造になれた暁には、この世にうっすら残る高校生のわたしの怨念の手を取って、ラテンのリズムに乗って踊りたい。
一曲終わる頃には、怨念とは思えないほどの明るさで、わたしは笑うだろうから。

#エッセイ #コラム #家族 #母と娘

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