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雑文(69)「何を見てるんですか」

 と、訊ねたくなるが、訊ねない。

 僕も見上げてみるが、世界を終わらす巨大隕石が、あるいは未来の希望がそこにあるはずがなく、あるのは残酷なまでに真っ青な空だけだ。

 何を見てるんですか。

 立ち止まって。だらしなく口を開けて。

 僕はまた見上げるが、隣国が発射した大陸間弾道ミサイルが、あるいは日米が共同開発した迎撃ミサイルが行き交うわけがなく、行き交うのは羽田着の大型ジャンボ旅客機、被災地復旧支援に向かう海上保安庁の航空機だけだ。

 街中で。どこに向かうでもなく路上に立ち止まって。何を見てるんですか。昭和は上を向いて歩こう、令和は上を向いて立ち止まろう、ですか。上を向いて立ち止まる現代日本の社会を支える様々な職種の人たち、あるいは将来支える未成年成年の学生たちを避けながら僕は、上を向いて立ち止まる群衆の中をひとり上を向かず歩いていく。前を向いて歩こう、前を向いて歩こう、と、心の中で口ずさみながら。

 何を見てるんですか。

 と、訊ねるが、何も答えない。

 真っ青な空は真っ青なまま、そこにあるだけだ。僕の気持ちはさらに真っ青になる。顔色だって真っ青に、真っ青、真っ青。黄味がかった世界に目を瞬く。真っ青、真っ青。茶色かがった瞳は若干潤んだ。

 脊椎動物なんだ。

 頭を左右に振って肩を鳴らした。両腕を均等に回してさらに肩を鳴らした。体内に響く乾いた音は安売りの爆竹に思えた。

 僕は数歩歩き、立ち止まった。

 見上げていた。上を向き、僕は立ち止まった。

 何を見てるんですか。

 何も見ていなかった。

 誰も何も見ていなかった、誰も。

 真っ青な、真っ青な空があるだけだ。空だって見ていなかった。真っ青だって、真っ赤だって、どうでもいいんだ。真っ黒だって、真っ白だって、誰もそんなこと見ていなかった、誰も。

 僕は立ち止まったまま、上を向いて、だらしなく開いた口の端から粘っこい厚い唾液が糸を引いて垂れても気にしない。

 何を見てるんですか。

 何も見ていない。何も見ず、口をだらしなく開けて立ち止まって、上を向いて。心の中で、上を向いて立ち止まろう、上を向いて立ち止まろう、と、口ずさみながら。

 

 数日後、僕のストレートネックは完治した。

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