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雑文(80)「別荘<10>」

 姉妹を匿ったのは新聞記者の男が撲殺されて日も浅いある夕暮れだった、下校する姉妹をほとんど拉致するかたちで、集団から離れたそのわずかな隙を狙って、背後からそろりと近づき、ひょいと肩に担ぐと半ば強制的にかっ攫った、あまりに見事な強襲だったせいか、ふたりはとくに泣き叫ぶこともなく――まるで現実味のない白昼夢を観ているかのように――あっと発する間もなくその場から連れ去られた、人目を避け、隠れ家までやって来ると助手がまみを担いだまま扉を素早く三回叩き、錠が外れる音とともに扉が開くと助手に続いてSも中に入った、目の寄った女がすぐに扉を閉めて錠をかけた、靴を脱ぎ散らかしたまま助手が居間に進み、Sも靴を目の寄った女に任せると居間に向かい、居間の絨毯の上にふたりを下ろした、あまりの手際のよさで捌かれたと気づかない鮮魚のように、姉のあいかと妹のまみは部屋の中を見回している、助手が台所からはちみつレモンのマグカップを持ってくるとふたりに手渡して飲ませた、あいかもまみも口をつけるがいまの状況が飲み込めないようである、Sはふたりの前にあぐらをかいて座ると人差し指を立てて、やさしく説明するように喋りはじめた、あいか、それにまみ、驚かせしまったのなら謝るよごめん、でもこうする他なかったんだ、誰が君らを監視しているのかそれはわからないんだ、誰が敵で誰が味方なのかぼくらにもわからない、だからこうするのが最善だったんだ、わかってくれるかな、あいか? 問われたあいかがジッとにらんでいたが勘が働いたのか、私たちを守るためだったのね、そうだったんでしょう、知ってるわ今日も尋問を受けたこの人らを知らないかって、まるで指名手配犯よあなたたち、これはきっとあの新聞記者の男の殺しとなんか関わりがあるのね、と姉が言うと妹が負けずに、関わりがあるのねと繰り返す、Sはふたりの問いに答える、そうだな関わりはある、けれど直接の殺人には関わらない、ことはもっと複雑だ、協力者を探し出そうとしているんだよ総出で、暴かれては困る真実を闇に葬るためにね、まみが、葬る? と言って首を傾げるとあいかが、消し去ることよ消えて全てなくしちゃうってことよと笑う、まみが、きゃああと笑った、助手が白湯を飲みながらソファに腰かけて話に加わる、俺らと関わった人らをあぶり出し口封じに殺すつもりなのさ、あまりに真実に近づきすぎたせいでな殺されるんだよと言い、からっぽの湯飲みをテーブルの上に置いた、真実? というふうな顔を姉妹はしていたが話はまた別の機会にしてSはふたりに言う、ここにいれば安全だ君らに危害が及ぶことはないだろう、だから心配しなくていいし怖がる必要もないだろう、とにかくここでしばらく隠れていてほしいんだ、いいかい? あいかはなにか言いたげだったが外は暗くなりはじめていたので長話になるのを嫌って静かに肯き、妹のまみもそれに倣って肯いた、よしと助手が言うとふたりを連れて居間から消えた、当分ふたりの暮らす部屋に案内しに行ったのだ、Sはソファにもたれて天井を見上げていたが家事を終えた家政婦の女らが空いているソファに腰を下ろしてSに静かに視線を向けてきた、Sは、どうしたんだい? と目の離れた女に言った、言われた女は居なくなったあの子らを思い出すかのように、いい娘たちですねとっても、と笑った、ほほ笑み返したSが、そうだな、だからこそ保護してあげなきゃならないだろうね、ぼくとの関わりが知られたら他の協力者と同じく裁かれてしまうそれだけは避けないといけない、目の寄った女が、何人になったんでしょう、あの人が亡くなってからいったい何人死んだんでしょう、それについて目の離れた女が目の寄った女に教えるように、十人はくだらないだろうね、あれから数日経っただけだというのにそんなにも見つかってしまった、本気なんだよ区長は裏切り者探しに相当こだわっている、今回は本気なんだよと言った、Sは尋ねた、これまでにもこんなことがあったのかい? 目の寄った女が、ええ、たびたびありましたけどここまでの規模じゃなかった、どちらかというと警告のようなものでまさか裁こうとは考えてなかったでしょう、でも今回のこれは――これまでとは違う、それに続いて目の離れた女が言う、きっとあの人は真実に近づきすぎたんですよだから裁きを受けてしまった、もうこれ以上暴かれるのを怖れたのでしょう、それはつまりそれほど真相に近かったという証拠であの人はあともう一歩だったんですよ、家政婦の女を交互に見たSが、ここにある手記や資料は膨大に残っているし別荘に至る招待状の在処やらと遺稿というべきか告発原稿もある、じきに真相は暴かれるだろう、それまではじっと隠れてそのときを待つしかないだろうね、目の離れた女が、ええと言って、真相さえ暴かれてしまえばここもいままで通りとはいかないでしょう、目の寄った女も、悪しき風習がなくなれば住人らもきっと正気に戻るでしょうね、と希望を抱いた、Sは、そうあることを祈るよと言って笑った、ふたりが消えるとSは虚空に呟いた、ゆうあをここに連れてこないとならない、嫌がるだろうが嫌がっても連れてこないといけない、そうしないといずれかゆうあにも疑いがかかるだろう、それだけはなんとしても防がないといけない、すでに外は陽が落ちていたがSはダウンジャケットを羽織ると外に出た、月のきれいな夜だった、記憶をたよりに、ゆうあに至る道を探して歩いてみる、体は覚えているようで、気がつくとゆうあの家の前にいた、呼び鈴を鳴らす、だが反応はない、なんどか鳴らしていたがやはり反応がない、無視しているのだろうかと思ってSはあきらめて去ろうとしたら、ゆっくり扉が開いた、月明かりに照らされたのは、ゆうあだった、やあと手を挙げると、入ってと目でゆうあが訴えかけてくる、中に入るとゆうあが、Oさんに会わせてあげると、一瞬なにを言ってるかわからなかった、Oさんに? と返すがそれには返さず、ゆうあは2階の階段を上がっていく、それに付いていくと、ゆうあが奥の部屋を軽くノックし扉を開いた、誘われるままその部屋に入ると、窓際の安楽椅子に誰か座っていた、ゆうあが、お父さんと声をかける、その男が顔を向けると、ああごきげんよう、わが娘よと、舞台に立つ俳優のようなどこか堅苦しい物言いで答え、Sの顔を見るなりその男が、待っておったぞわが息子よ、と大げさにまた言った、お父さん? と言ってしまったSは顔を赤らめたが、ゆうあがその男の前に立つと手で差し、私のお父さん、あなたの探しているOさんよと、なんの迷いもなく言った、Sは唖然としていたが、そのO氏(と思われる男)の顔をまじまじ覗く、覗かれたことにある種の喜びを感じたのかO氏はにっこりほほ笑むとSに、災難だったな、あれは災難だ、ご覧の通りこの体ではどうにもならないと、まるで語るには及ばず察しろというていで言われたものだからSは言う、あのう突然のことで理解が追いつかないのですが、例えばこれをつまり芝居だとして観ている客がいたらあまりの急展開できっと理解ができないでしょう、いったいどういうことなのですか? と問うとゆうあが代わりに、ここが別荘よ、この方がOさん――私のお父さん、これ以上なにを言うの? 困惑したSは、冗談か? 整理が追いつかんがつまりあれか君が例えば下のこたつに座って公文書を発行し──あそこを役場と見立ててな、ここにいるOさん、ああ君のお父さんの指示をあの区長に伝えていたわけかい? ゆうあが、だいたいそういうことと言う、頭を振ったSが、いやなでもこれはあまりにも唐突すぎる、こんな感じで別荘に来てもOさんに会っても誰も現実味を感じないだろう、違うか? ゆうあが、でも現実なのよ受け入れて、それに――、それに? それにあなたのことについてもあなたは知る必要がある、役割? そう役割、あなたの仕事、あなたがここに来た理由よ、とゆうあは言ってOさんの顔を窺った、Oさんが、表向きは清掃士の君、裏では処刑人とも呼ばれる、つまりはだなここの全ての根源である、おおくらという男を殺してほしいのだ、政府高官であるそのおおくらが全ての元凶で君が殺さないとならない相手なんだ、持ってきたんだろうな? と尋ねられたからとっさにポケットを探るとそれを取り出した、小銃だった、Oさんが喜色を浮かべ、それでやつを撃つんだ、それでなにもかも終わる、これはね我らが血筋でもあるんだよ処刑人としての責務なんだ、あいつを殺せばここの悪夢も晴れるだろう、あまりの飛躍にSは話についていけず思わず手を挙げた、あのうなにもかもさっぱりわかりません、例えば途中から読み始めた読者ならまだしも最初から読んでいる読者でもこの難解な哲学書のようなわけのわからなさは、私当事者も理解ができませんし、ましてや第三者が理解できるはずがありません、ゆうあが口元に手を当てて笑う、なにを気にしているのと、Oさんは耳が遠いのかSの意見を無視し、君は盲目だった、目を閉じたまま物を見て耳を塞いだまま話を聞いていた、君はなにも知らなかったのだ、おお息子よ、どうか私の願いを叶えてくれまいか、あのおおくらを、許すまじきあの男の横暴を止めてはくれないか? Sは考えた、考えても無駄だったが考えた、この突然の告白の連続に頭の回転は追いついていない、なにかわるい夢を視ているようだった、だがそれは確かに現実としてそこにあった、現実の実感があったのだ、SはOさんに、つまりは私はあなたの息子で、ゆうあは私の妹だと、助けを求めるために私に手紙をよこし、私の目的はおおくらという男を殺すこと、そしてここの悪夢を晴らすこと、つまりはそういうことでしょうか? 大きく肯いたOさんが、まさしくそれこそが君の使命だよ、ゆうあも、そうなのよと短く言った、Sは疑問が生じ、ではなぜあなたはゆうあと別れろと言ったのですか、どういうことでしょうか? 選択肢だとOさんは言った、娘を連れて東京で暮らすのもわるくない、それも君の選択肢なんだよ、選択させたのだ、ゆうあを捨てて逃げる道をね、だが君はこうして私と話している、これは君の選択肢なんだ、Sは、私は仕事を途中で放棄して東京に帰ることなんかしませんよ、私の望みはただひとつ、仕事を終わらせたのちゆうあと東京に帰る、つまりそれだけなのです、だからこうしてゆうあに会いに来たのですから、Oさんがゆうあに、よいな? 全てが終わったら私のことなど気にせずにこの男とここから出立してくれるなと尋ねた、ゆうあはSに、おおくらが死ぬことで私の役割が変わったのなら私はどこにでも付いていきます、それは約束します、そう言った、Sは妹に力強く肯いた、ところでとOさんが言う、君のダウンジャケットは少しサイズが大きいようだがどうしたのかね、Sはだぶついたダウンジャケットを摘まんで、この丈に合うだけの人物になりたいだけですよ、お父さんと言った、Sはゆうあの手首を握ると奪い去るようにその家から出て、雪道に出た、夜更けだったが、月は赤々と夜空に浮かんでいた。

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