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雑文(16)「ゾンビのお仕事」

「安月給で割に合わないよな」
 と、先輩社員のスミスさんが言った。
 僕は直属の後輩だからまさか反論するわけもなく作り笑いを浮かべて、まさしく正論ですよ、と主張するように言った。
「物価が高騰しているのに、上はなにを考えているんですかね」
「なにも考えていないだろうね」と、スミスさんは冷たく即答し、「下っ端のことなんか眼中にもないよ、あいつらは」と断言した。
「ですよね」僕は調子のよい返事をしてスミスさんの機嫌を損ねない。「こっちは命懸けだというのに、会社はなにもわかっちゃいない」
 スミスさんが笑う。「わかってるじゃないか。おまえも成長したな。まあ、おれのおかげだけどさ」
 少し間を置いた。僕は作り笑いを作り直して言う。「スミスさんがいなければ、僕はたぶんのたれ死んでいましたよ」
「半分死んでるがな」とすかさず言葉をはさみ、スミスさんがげらげら笑う。
「半分は生きてますからっ」僕はひときわ高い声をあげ、スミスさんのその使い古されたブラックジョークをまるできょう初めて聞きましたよって、ぴちぴちの新鮮な言い回しだと言わんばかりに満面の笑みを作って相槌を打つ。後輩社員の鏡だろう。その証拠にスミスさんはそうだろそうだろと上機嫌になって僕に満面の笑みをこぼしている。
 

 ある日のそんな他愛もない会話を思い出し、スミスさんの笑顔がやたら浮かぶのは、持ち場を巡回していたスミスさんがプレイヤーの構えたショットガンでヘッドショットを受け、あっけなく死んでしまったからにちがいない。たとえば太ももを撃たれても時間が経てば穴は塞がり撃たれる前のように後遺症もなく動くようになるが、ヘッドショットはちがう。生命維持の中枢系が脳みそに集中してあるから頭部を破壊されてしまうと再生能力の治癒が追いつかず、僕らは死んでしまうのだ。
 安月給といえそれが僕らの仕事でもある。プレイヤーたちを襲い、彼らに撃たれて殺されるのだ。僕らはそんな死と隣合わせの職場で働いているのだ。それが僕らの役割でもあった。
 日の光が支配する荒廃したシティをさまよっている。
 ウイルスに汚染された都市には僕らみたいな変異体が大勢いる。研究施設で大爆発があったあの日僕らは生まれたのだ。みずから好んで生まれたのではない。事故だった。僕らになんの責任もないのだ。いつの時代も弱い者が犠牲になるのはどの時代も変わらない。
 腐った脳みそで不毛な思考を巡らせていたが、腐った足は立ち止まった。老朽化したビルの瓦礫に潰された、子どもだろうか、細くて白い未熟な脚が瓦礫の下から道路側にはみ出ており、それは運悪く瓦礫の下敷きになった、不幸な子どものものに思えた。
 可哀相にと僕は思って、近くを素通りしようとしたのだけれど、瓦礫の陰に、それは潰されてしまった子どもを助けるためか必死に地面を前足で掻く、日の光をすべて吸収しそうなフレンチブルドッグがいた。僕の存在に気づかず、彼の飼い主だろうか、赤く擦り切れた足先で地面を掘っていた。
 僕は主思いの犬だなと思うのと同時に、皮膚にウイルス変異の兆候があるから、じきにご主人を忘れてプレイヤーに狩られる不幸な犬だとも思った。
 少し歩いて振り返ってもその忠犬は変わらず地面を掘りつづけており、放っておこうと呟き、僕は前に向き直ろうとした。が、なぜだか僕は向き直らず叫んでいた。
「ジェーンっ」
 僕の叫び声がシティのビル群に反響して、こだまする。力なく微笑んで、なにをやってるんだ僕は、と自分の滑稽さを笑う。前を向いて歩を進めたとき、短く駆ける足音と、ゆっくり前へ進む足の進路を妨害するように僕の足元に、フレンチブルドッグの彼が舌を出して笑うようにハアハア息を吐き、僕を愛くるしく見上げていた。
「来るか?」
 と、思わず発した僕の声かけに、ジェーンが承諾の証と言わんばかりに、わんっとひと鳴き、透きとおった鳴き声で答えた。

 あのとき僕はなぜジェーンと呼んだのか、棲み家の雑居ビルに連れ帰っても僕にはわからない。脳みそが腐っているからかもしれないし、そうじゃないかもしれないけれど、わからない。ジェーンは寝床のソファを横取ってすやすや幸せそうに、はなふうせんをぷすぷす膨らませ眠っている。
 もしかすると先輩社員だったスミスさんを失った悲しみの穴埋めをこのジェーンに託したのではないか。スミスさんがいなくなってから喋る相手がいなくなり、僕はいつも独りで考えてばかりいる。まさかプレイヤーたちに喋りかけるわけには、というか、喋りかける前に頭部を撃ち抜かれて僕は死んでしまうだろう。スミスさんみたいに。
 僕はソファで寝るのをあきらめ、崩壊しかけのらせん階段をのぼってビルの屋上に出る。
 他のどの建物よりここは高いからプレイヤーに狙撃される心配はない。スミスさんがいたころはよくここでゴルフクラブを握って、ボールを思いきりシティに向けて打っていた。娯楽というものが世紀末を迎えた世界には残っておらず、せいぜい打ちっぱなしをしてストレスを発散するほかない。いつどこでプレイヤーたちに殺されるかわからないのだ。
 グリップを握り、足先に転がしたボールに狙いを定め、背面に振りかぶり、ボール目がけて振り落とす。衝撃を受けたボールはシティのはるか彼方へ飛んでいく。スパーンと青い空を抜ける音がここちよい。
 僕は白いウッドチェアに腰掛けると目を瞑って新鮮な空気を腐った肺に送り込む。肺からしゅうしゅう空気が漏れるが、空気を吸っている人間らしい動作に意味があるのだ。僕にはまだ人間らしいところが残っていると信じたいからだ。だから意味がないとわかっていても意味のない動作をくり返したくなる。フレンチブルドッグを拾ったのも、もしかするとそういった人間性の肯定かもしれないし、そうじゃないかもしれない。わからない。腐った脳みそでは。

 まっくらだ。
 腰をあげると階段を降り、自分の部屋に戻る。自分の部屋といっても家賃を払っているわけではなく、以前住んでいた人が帰って来ないから勝手に住んでいるだけだ。世紀末だから不法侵入を取り締まる警察は存在していないし、そもそも僕は人間ではないから人間を裁く法律では裁けない。
 ドアをあけ、フローリングのはげた廊下を進む。リビングルームに出、窓ぎわのソファをちらっと見た。ジェーンは寝ていない。どこに行ったのかと僕は思って、あたりを探すがどこにもおらず、ジェーンと呼んでもジェーンは返事をしない。というか、元から僕の飼い犬ではないから僕から逃げようと僕がどうこう言う権利はない。それに完全に変異すると自我が失われ、僕の知っているどこかの飼い犬であった彼は消えてしまう。それはもはや僕の知っている彼ではないのだ。だからジェーンがどこへ行こうと僕の知るところではない。好きに生きればいいのだ。
 ひとしきり思案し、思案に飽きると僕はソファに座り、やはりスミスさんを思い出してしまう。守れなかった。というか、スミスさんが僕を庇ったのかもしれない。スミスさんはプレイヤーたちの殺気に気づき、僕を建物の陰に隠すとどこからか現れたプレイヤーたちに囲まれた。僕は見た。プレイヤーの一人にショットガンで頭部を狙われたスミスさんは、彼と対話しようとしたのを。怯えながら僕は目撃した。なにか喋ろうと、おれは敵じゃないとショットガンを構えるプレイヤーに語ろうとした。そのときだ。ショットガンの先端に火花が散って、頭部を損傷したスミスさんは天を仰ぐように後ろに倒れ、死んでしまった。
 僕はなにもできず、スミスさんを助けるためになんの行動も起こせず物陰で震えていた。
 守られた。いやスミスさんを守れなかった。そんな自分がときおり怖い。一生逃げ続けるのだと思うと心底怖いのだ。

 日勤の僕はいつものルートをさまよい歩いている。
 小さな物音がしたので足音を忍ばせ、あたりの様子を窺いながらプレイヤーの攻撃に警戒しながら進んでいく。
 それは大通りだ。大通りの真ん中にそれはあった。
 トラバサミだ。一度捕まったら逃げられない金属製の罠だ。そこにそれはいたのだ。
 ジェーンだ。右の前足を挟まれ、身動きが取れずにいた。罠に掛かったのだ。変異はまだ不十分だから、自力で抜けるのは困難だろう。
 衰弱し切った彼を、僕は遠くから眺めている。
 スミスさんの姿を重ねる。ジェーンの身体にスミスさんの姿が重なる。どうすべきか。僕にはわかっていた。が、どうしても勇気が出ない。けれど、やるべきだとわかっている。やらない選択肢はなかった。
 恐る恐る近づき、僕に気づいたジェーンが僕に顔を向け、出会ったときみたいに舌を出して笑ったように息を吐き、出っぱった瞳を輝かせて僕に希望を見ていた。

 助けよう

 トラバサミに手を伸ばして枠を掴むと外そうと指先に力を入れる。
 かちっと無機質な音が腐った鼓膜に鳴った。
 灼かれた。次いで激しい風を受けた。宙に舞い上がった。青い空が近づく。が、伸びた右手は光りを掴めない。地上に引き戻され、僕は地面に全身を打ちつけた。
 薄れゆく意識のなか、プレイヤーたちの勝ち誇った耳障りな笑い声が腐った耳朶内に四方から聞こえる。薄ら笑いを浮かべて近寄るプレイヤーの一人がショットガンを構え、僕にとどめを刺すべく僕の頭部に銃口をむけ、トリガーにゆったり指をかける。

 破裂と同時に僕の生前の記憶も飛び散った。
 僕らは駆逐される。
 それが僕の仕事だった。

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