雑文(78)「出会わない系アプリ」

 出会わない系アプリを試しにスマートフォンに入れてみたら、それはほんとうに、出会わない系アプリだった。
 平日だというのに、街に人は、コンビニエンスストアだというのに、コンビニエンスストア店内に店員さんはいない。
 みんなどこに行ったんだ?
 僕は、スマートフォンにインストールしたそのうさんくさい出会わない系アプリのアイコンに目を落とし、おやゆびでアイコンを長押ししてアプリを削除しようと試みるが、削除できない。
 誰かに訊ねようにも誰もいない。
 街の中に誰もいないのだ。
「誰かいませんかー」と僕は、きょうはじめておおきな声を出して叫んでみたが、誰もいないから返事はない。
「誰かー、誰か、いませんかー」
 誰もいないから返事はない。
 僕はまた黙った。誰もいないのに叫ぶのはばからしいから、僕はばかじゃないから叫ばない。
 ほんとうに誰もいない。
 平日の、しかも都心なのに、ここは田舎の廃村かと思うぐらい、むろん施設は朽ちてないが、人が誰もいない。
 貸切だ。
 どこに行っても僕しかいない。どこに行っても誰もいない。僕は、誰とも出会わない。
 
 出会わない系アプリ

 一度インストールしたら消せない、呪われたアプリ。
 科学の発展したこんな時代に呪いかと思うが、じっさいアプリは呪われ、消せない。
 出会わない、という呪いが込められたアプリなのだ。
 僕は、街の中を歩きながら、そんなばからしいことばかりを、ばかみたいにくり返し考えていたが、立ち止まった。
「待った」おおきな独り言だ。でも大丈夫。あたりに人は誰もいないから迷惑はない。
「このまま誰にも会わず、僕はひとり、ずっとひとりでいたら、たとえば食い物を食べ尽くしたら誰が食べ物を補充してくれるのか。僕か? いや。どうやってお米を育てていいのか、学校で習ってないから無理だ。誰もいないから誰にも訊けない。知恵袋だって、僕のきょう投稿した質問、出会わない系アプリを消すにはどうしたらいいですか? にいまだになんの返信もつかないから、きっと米作りだって、誰も教えてくれない。ネットサーフィンで米作りの仕方を調べても肝心な情報は書かれていないから、おそらく米作りは失敗するだろう。本屋は? だめだ。街の中から本屋さんは消えてしまったから本で学ぶことはできない」
 僕は叫んだ。
 僕は走った。
 車道には車は走ってないから車道だって走った。僕は走り続けた。誰かに会わないと気が狂いそうだった。いや。気が狂っていた。
 走った。
 どこまでも走った。
 立ち止まった。
 腹が減った。
 気づいたらお昼を回っていた。お腹が空いたからお腹になにか食い物を入れなければ。でも、お店に行っても店員さんがいないので、商品を買えない。
 背に腹は変えられない。
 腹に背は変えられない。
 あれ? 限界だった。
 僕は、マクドナルドの店の中に入った。
 誰もいない。
 カウンターの前に立ち止まった。
 メニューを眺める。
「すみませーん」
 僕は店を出ようとした。ら、だ。
「ご注文はいかがなさいますか?」
 と、背に、腹に、あれ? 声をかけられた。
「あ、あれ?」と僕は、その若い女性店員さんに声を出したが、店員さんはきょとんとしている。
「あのう、どうしているんですか?」
「どうして? どういう意味ですか?」
「これっ」と言って僕は、スマートフォン画面の出会わない系アプリのアイコンを店員さんに見せた。
「ああ。最近流行ってる、ウイルスですね。これ、消すのなかなか大変ですよ」と、心配げに店員さんは言った。
「出会わない系なのに、どうして?」
「どうして?」店員さんが笑った。「ウイルスです。スマートフォンの電子マネーアカウントを乗っ取る新手な詐欺ですよ。嘘。出会わない系なんて」
「嘘?」僕はむきになった。「じゃあ、なんで街に人が誰もいないんだ」
 おかしなことを言うなと、じゃあ誰と喋ってるんだと店員さんは言わず、言った。「ああ。もしかして。観てないんですかっ」
「なにを?」
「決勝戦」
「あっ」僕は叫んだ。決勝戦だった。きょうはそのために有給を取ったのに、コンビニエンスストアにアイスコーヒーを買いに行くあいだに忘れてしまった。
「すごかったです」
「で」
「言ってもいいんですか?」
「ちょっと待って」
 マクドナルドの店内で僕は、どちらともわからない表情で僕を見つめる店員さんと、見つめ合った。

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