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雑文(18)「待って、ベア」

 参加しなくていいんなら、参加しなかったんだけど、妻が、参加しなくていいよって、笑って、というか、非常識だから、短くそれだけ言われて、僕は結局、参加しなければならなかった。
 堪えていた。
 今年29になった娘に、弱いところを見せたのは、29年間一度もなかった。中学一年生で反抗期になった娘をはじめてキツい口調で叱った時も、僕は父の厳格さを崩さなかった。
 大スクリーンに映った、娘の友人たちが贈るビデオレターに、あいつ愛されてんだな、と、僕は、心が温かくなったが、腕を組んで顔をしかめ、父の威厳は崩さない。
 娘が、父母に感謝を示すメッセージを朗読する、ウェディングプランナーが考えたであろう感動を誘う演出にも、僕は、厳しい父の態度を崩さず、感謝の気持ちを込めた温かいメッセージを流暢に読み上げる、3度目のお色直しを終えた、黄色いウェディングドレスのよく似合う娘の柔和な表情に、僕は、眉間にしわをよせた、しかめっつらで終始応じていた。
 サプライズだった。予想外だったから、サプライズだ。涙腺は限界を遠に越えていたのに、娘たちに知恵を与えたウェディングプランナーの策略に、僕はおもわず唸る。
 妻が席を立った。
 笑顔の娘が何を抱えて、こちらに歩いて来る。
 待って、待って。来るな、来るな。
 僕は、心の中で、そう叫んでいた。司会者の女性が何事かアナウンスしていたが、僕は、それどころではない。
 妻が、笑顔の娘から何かを受け取って、その何かを抱いた。座ったままの僕に、妻は、あなたも、ほら、と、言ったから、僕は仕方なく重たい腰を上げ、笑顔の娘の前に、妻の隣に立ち、妻からその何か受け取って、落とさないよう、抱いた。
 妻が、受け渡したそれを見ながら、言った。
「けっこう重たいねえ」
 たしかにそれは重かった。ずっしり僕の腕の中で、それは僕に抱かれていた。
 それは。
 それは、娘が産まれたあの日の、重さ2910gあるテディベアだった。
 妻は笑っていた。娘も笑っていた。
 僕はおいおい、娘の前ではじめて泣いていた。
 

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