見出し画像

「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」と、ネットに初めて書き込んだ男はどのように生きたのか(中編)

これから「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」と、ネットに初めて書き込んだ男について書きますが、それは私ではない別人であります。

前編のリンク

前編のあらすじ

「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」とネットに書き込んだ男は、子供のころから臆病で肥満でいじめられていた。高校時代に肥満はダイエットで解消したものの、その後進学をして大学に入って恋愛をしても成就することは無く、大学院に進むが研究が行き詰まり卒業は絶望的となる。
そんな中、「自動アンケート作成」という現在の5ちゃんねるの走りの私書箱システムのひとつに、彼は笑いネタの一つとして「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」と書き込む。
その後、彼は自殺未遂をするが生き残り、バイトで過ごす日々を送った。
そのバイトの日々も終わりをむかえ、どうにか正社員として人生をやり直そうとする中、彼は辞めようとするバイト先の女性に恋をした。

彼はすでに辞めることを決めたバイト先の同僚(正確には、3歳年下であるが、立場的には上司であったようだ)に片思いの恋をした。

結論を先に書くと、この恋も実らなかった。
彼はその同僚を、二人だけの夜の食事に誘ったようだ。
その同僚も彼の誘いに乗ってくれた。

二人の食事の場で、彼は男性らしく他愛もない話から良い雰囲気に持ち込めればよかったが、無残にも、彼にはそのような器用さも図太さもなかった。
彼は何を思ったのか、学生時代の自殺未遂、両親との不和、他人との付き合い方への不安などをその同僚にぶちまけてしまった。
誰かに自分の隠している思いを解ってほしかったのかもしれない。
その同僚は彼の話を同情的に聞いてはくれたが、結局、それで終わりであった。
その後、彼からその同僚へは正式に告白をしたが、あっさりと断られた。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

そのようなわけで、彼は失恋を引きずったまま、新しい職場の正社員として再起を目指した。
彼が就職した会社は、従業員が30名程度の小さい会社であったが、かなり高学歴の人間ばかりを集めた少数精鋭の会社であったようだ。
彼はそのような会社で、自分がやっていけるのか、強い不安を抱いていた。
彼のほかに彼と同時期にもう一人、女性の社員が入社した。

彼より2歳年下の、顔が小さく大きい目をした女性であった。

彼とその同期の女性は、新人研修を受けるようになった。
形式こそ中途入社であったが、ほぼ、新人研修と同じような研修が行われたようだ。
その研修期間は4カ月に及んだ。
研修はかなり厳しかったようである。
彼はその同期の女性より、研修の課題を首尾よくこなしたようだ。
それは彼が優秀であったというより、彼が多少の基礎知識を持っていただけのようであった。

実際、同期の女性の方が学歴では彼よりはるかに上であった。
その同期の女性は、高校までは常に成績は学年で1位から3位までには入るトップクラス、大学受験には失敗して地方の国立大学に入学したが、そこを主席で卒業し、大学院は別の有名大学に入学していた。
同期としても、ましてや恋人になるにも、彼にはおよそ釣り合わない女性であった。

しかし、研修ではその同期の女性の方が、課題の出来が悪く、研修官の先輩社員から責められることが多かった。
彼女の気落ちしている機会は日に日に多くなり、彼はどうにか元気づけようとしなければならないと思ったのと、もっと単純にまだ慣れていない東京を楽しんでもらいたくて、彼女を食事や参考書やPCの購入など、理由をつけては彼女を連れ出すようになった。

一方でその同期の女性には転職前から付き合っている男性がいて、この会社への転職で仙台から東京へ引っ越して、付き合い続けるかはあやふやなままにしていた。しかし彼には、まだ別れる気はないと彼女は話していた。
だから、彼もその同期の女性を、恋愛の対象とは見ていなかった。
それに、この就職はやっと掴んだ再起のチャンスでもあったので、社内恋愛は社員を続けていくリスクにもなり得るから、なるべく避けたかった。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

ある初夏の日、彼は彼女の買い物に付き合って、都心を一緒に歩き回った。
こうして、休日に二人で出かけるのは三回目だった。

一回目は、大きい荷物の買い物であったので、彼の実家から車を出して、彼女の買い物に付き合い、彼女が住む部屋まで車で荷物を運んだ。
二回目は、一度目の買い物の買い忘れを買い足すためのものであった。買い物が終わると、彼らは集合した駅で別れた。

買い物が終わると、彼は荷物持ちとして電車で彼女の部屋まで一緒に帰ることになった。
初夏の日の入りが遅い季節であったが、すでに夕暮れ時はすぎて、西の空には深い赤が少しだけ残っていて、夜の帳が降りる間際であった。
彼は荷物を部屋に届けたら、すぐに帰るつもりでいた。
男女の関係でもないのに、二人でこうして頻繁に出かけているのは良くないし、彼女も休日は元気そうだから、もうこれ以上世話を焼くこともない。
これで最後にしようと思っていた。

走る電車の中から外を眺めていると、線路沿いで夏祭りを開催していて、賑やかな提灯や屋台の灯りが、イルミネーションのように見えた。
走る電車は時間が進んでいるのに、あの明るいイルミネーションの中は時間が止まっているような気がして、電車を降りてイルミネーションの中に入り込んでしまいたくなった。
夏祭りの会場を過ぎると、すぐに電車は駅に着いて止まった。

あとで思えばあまりにも驚くほど自然に「降りようか」と彼がいうと、彼女も夏祭りの賑やかな灯りが気になったようで、彼の意図を察して何も聞き返さずに一緒に電車を降りた。
駅を出ると、夏祭りの会場は歩いてすぐの場所であった。

二人は夏祭りの会場に入ると、屋台を一通り回って、彼女の勧めでりんご飴を買い食いした。彼はりんご飴を食べるのが初めてだった。

そのように過ごしていると、夏祭りの会場は人が増えて混み合っていた。

いつしか、会場の中央では盆踊りが始まり、太鼓と演奏の音が鳴り響いた。
彼は彼女に「行こう」というと、会場の隅にいたので盆踊りが見える櫓の方向へ歩き始めた。しかし、人ごみが二人をさえぎって、彼女は彼についていけそうになかった。
彼はそれに気づくと、彼女の手を引いて歩き始めた。つないだ手は小さくて柔らかかった。彼女も抵抗せず、手を握られたのに気付くと少し力を入れて握り返して、彼に連れられるまま歩いた。

二人は夏祭りの会場をあとにして駅に戻るまで、つないだ手を離さなかった。

彼女の部屋に二人で帰ると、「疲れたから少し休もう」と彼女は彼に言った。
彼女は部屋に入るとコンタクトを外して眼鏡をかけた。
会社では見せない眼鏡をかけた彼女の顔は、コンタクトの時より色気はないけれど、リラックスして優しいように見えた。
二人は彼女が淹れたお茶を飲んで、研修の話など他愛もない話などをしたが、今日は昼からずっと一緒にいたので、話題は早々に尽きてしまった。
彼はひどく疲れていたためか、帰るタイミングを逃したと気づいたのは、彼女の部屋に入ってからかなりの時間が経ってからだった。
下心は無かったが、彼女をこの部屋に一人で残して帰るのも、なぜか悪い気がした。
彼はどうすればよいかわからず、床に寝転んでしまった。
寝転ぶと床のカーペットからは、他人の家に入ると感じる独特のいいにおいがした。

寝転んで、しまったと思ったが、起き上がることはできなかった。
彼女も部屋の電気を消すと黙って横に寝転んだからだ。

しばらく、二人は何もせず、何も話さず、ただ静かに並んで寝転んでいた。肌は触れなかった。
エアコンの音がうるさく部屋の中に響いた。
彼が家に帰る終電の時間が近くなっていた。
彼は「そろそろ帰らなくちゃ」と声を出したが、身体を動かせなかった。
動くと彼女に触れそうだった。
また、しばらく時間が流れた。
彼は重い空気と背徳感に、押し潰されそうになった。
そんな中、そっと彼女が彼の身体に身を寄せると、彼の耳元で「がまんできない」とささやいた。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

このようにして、彼とその同期の女性の付き合いが始まった。
彼は27歳になっていた。
職場にも家族にも、秘密にしたままの付き合いだった。

彼女についての詳細な記載は避けるが、彼が話した中で印象的な話があったので、それについて紹介をしたい。

彼女の実家は青森県であった。

「わたしの実家は青森にあるの」
「お盆になると、トトロの森のようなお墓を、一晩中、家族で守らなくちゃいけないの」
「あなたもいつか、一緒に守るようになろうね」

彼女の具体的な実家の場所は、彼に宮脇俊三の「時刻表昭和史」の一篇を思い出させた。

古間木(現在の三沢)を過ぎると右窓に小河原沼の寒々とした眺めが展開した。小河原沼にかぎらず、窓外の景色は荒涼としていた。ほとんど民家もないようなところに駅があり、急行列車は煙を吹き付けて通過した。父が起きてきて、「どうだ、青森県は淋しいところだろう」と言った。北への旅の実感がこみ上げてきた。

宮脇俊三「時刻表昭和史」

彼女の実家は、この小河原沼、現在の小川原湖の近辺であるようだった。

「時刻表昭和史」のこの記述は昭和十七年の記憶によるものである。
その後、宮脇俊三は紀行作家となり日本国内だけではなく世界中を旅するようになり、その紀行文の中でも何度も東北本線で青森を通過するが、平成の時代になっても、東北本線で青森県を通るたびに小川原湖を見ては淋しいところだと紀行文に書いていた。

彼女は、小川原湖のほとりのそのような、日本中を旅した紀行家が特に淋しいと何度も記す場所で生まれて育った。

彼女は毎日、東京へ向かう特急電車と、東京方面からさらに北へ向かう特急電車を眺めて、いつか自分も東京へ出て華やかな生活を送るのを夢見ていた。

そうして、彼女は東京へ出て、そして彼と出会った。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

ここで、筆者による所感を挟みたい。

ここまでの話は、「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」の発祥の男とは、子供のころから冴えない男であり、七転八倒を繰り返したが、どうにか一般的な恋愛を成就するに至った、というものであった。
もし、彼の顛末がそれで終わりあれば、当然、この記事もここで終わり、読者の皆さんにおいても、人生や恋愛は素晴らしいものだから、特に童貞の皆さんは過去の経験などに恐れず恋愛にチャレンジしましょう、チャンチャン、となるだろう。

しかし、この記事は、そのようには終わらない。

さらにその後の彼の半生についての記述を進める前に、そもそも、「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」という都市伝説は、一体何であったのかについて、筆者の一考察を述べたい。

最初は「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」について、ごく少数の、匿名のネットユーザの間でのみ語られる自嘲的な冗談かギャグでしかなかったものが、やがてネット文化やオタク文化内で共有される共通言語として定着し、そのネット文化は当初は規模が小さく社会からは切り離されていたものが、巨大になって社会に受け入れられて同化していく過程で、「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」は一般に知られる都市伝説にまで、多数の人間によって成長してしまった。
これは、崖から落ちた一つの小さな石ころが、落ちていく過程で大量の土砂を巻き込み、やがて巨大な土石流になる現象に似ている。
とすれば、彼は崖を歩いて大きな土石流を起こす小さな石ころを、不注意で踏み抜いた人間といえる。しかし、彼が歩いた道は多数の人間が行き交う道であり、彼が石ころを踏まなくても、いずれは他の誰かがその石ころを踏んで、やはり土石流は起きただろう。
たとえ話ではなくもっと具体的な表現をすれば、要は、彼がそれをネットに書き込まなくても、他の誰かが似たようなジョークやスラングを書き込んで、それが他のユーザたちによって盛り上がり、童貞についての同じような現象は起きただろう。
であるから、彼は「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」を思い付きそれをネットに書いたが、その彼の行為についての価値はないと思われる。

一方で、現代の日本は、出生率の低さ、恋愛経験のない男性の多さが社会問題になっていて、優秀な政治家や官僚、高名な学者であっても、その社会問題を分析は正鵠を得ず、有効な解決の糸口は全くつかめない状態にあると思われる。

例えば、この分野で最も現在の日本で一般にも有名な学者の一人である、上田ピーター博士は雑誌のインタビューで以下のように答えている。

――日本の童貞率が高い理由はなんだと思いますか?

「経済格差とも重なりますが、ひとつはスペック重視の恋愛観ですね。日本の婚活サイトを見ると、男性のプロフィールページでは顔写真と年齢に加えて年収が入っていることが多いんです。

これは欧米では考えられません。年収がひとつの条件としてオープンに評価されるのは、日本独特の文化です。経済格差が広がり、女性の求める経済レベルに達する男性の数が少なくなっていると考えられます」

週プレニュース「【童貞研究家・上田ピーター博士インタビュー】日本の「童貞文化」は世界の非モテ男性たちを救うのか!?」

しかし、スペック重視を童貞率の高さの理由とするのは、筆者からすれば原因と結果を取り違えているように見える。つまり、スペック重視の風潮が童貞率を上げているのではなく、童貞率の高さが異性をスペックでしか見れない人間を多数作り出しているのだ。
童貞とは恋愛経験がないことであり、すなわち、異性との接触も少なく、異性を自分のパートナーとして選択する物差しも少なくなると想定できる。そのような状況であれば、女性は男性の年収、男性は女性の外見や若さに、すなわち「スペック」に注目してしまうのはやむを得ないのではないか。
また、経済格差を童貞率の高さに結びつけるのも不自然だ。確かに、上田ピーター博士の研究結果によれば、年収と童貞率の高さに高い相関があることが示された。
一方で、人類の歴史上では、現代ほど格差が少ない時代もないのではないか。ハーバー・ボッシュ法が発明されて100年余、人類は飢餓に悩まされるどころか、貧困国、貧困層でも肥満に悩まされるようになった。また、人権や平等の概念が政治にもたらされたのも、わずか数百年のことである。このような状況において、経済格差を童貞率の高さの理由とするのであれば、過去の貧困層や被差別層はさらに高い童貞率であったはずで、貧困層や差別層が男女の交配が進まずに自然根絶した歴史があっても良いはずだが、そのような記録は人類の歴史上存在しない。

では、筆者がこの問題の主要因として考えているのは、第一に、90年代から00年代の、急激な全婚時代から恋愛至上主義への移行による、恋愛弱者の大量発生の問題があるだろう。
特に、両親まで恋愛経験無しのままお見合い結婚で結ばれた夫婦の家庭に生まれた子供であれば、男女が恋愛までに至るコミュニケーションのプロトコルを家庭で学ぶ機会がなく、恋愛弱者として恋愛と結婚の機会を逃したまま高齢化する現象が多数発生してしまったのではないか。
また、配偶者を見つけるのに恋愛が必須であるのならば、本来は恋愛の技術やプロトコル(約束事)をどこかで学ぶ必要がある。しかし、今の日本の実態は、学校も会社も恋愛について前向きに教育するどころか、過去の価値観に縛られて、恋愛を本来の学業や業務の義務を阻害する要因として忌避しているように見える。これでは、自発的に恋愛を実践する機会が得られなかったり、恋愛についての技術やプロトコルを学ばなかった日本人は、当然のように恋愛弱者となってしまうのではないか。

第二に、絶対的な人口の過多により、生物の本能的な作用として子孫の作成を抑止しようとする自然現象としての、童貞率の高さの発現が考えられる。
日本は少子高齢化の問題が顕著に表れているが、それ以上に現在の人口が絶対的に多すぎるという問題もある。日本はもう限界以上に人が溢れかえっているのだ。
そのような環境に人間が晒されていると、生物として子孫を残そうとする意志が削がれる可能性は無いか。そのような現象があれば、当然、環境における弱者、現代の日本社会においては、知力やコミュニケーション能力の劣った個体が子孫を残さないようになるのは、自然の現象と言えるだろう。

しかし、それらと同じ程度に影響した要因として、これもあくまで筆者の仮説であるが、童貞という子孫を残す行為からあぶれてしまった生物的な個体を、社会的に迫害せずに許容し、そのような個体同志で共有し合い、慰め合いと慣れ合いと怠惰の文化的な土壌ができてしまい、少子化や恋愛弱者の増大を招いたのではないか。
彼らは自らの不遇な境遇を類似の個体と共有して、一時的な精神の安寧は得る代わりに、恋愛をして結婚に至るための自己研鑽を怠るようになったが故に、恋愛市場からはじき出されてしまった。
平たく言えば「俺、魔法使いになっちゃったよ」という隠語で、本来すべきであった努力をせずに、人並の生活を得られなかった自分を肯定するような発言を含羞なく口に出せる社会にしてしまったのだ。これが日本の少子化に大きく影響を与えてしまったのではないか。
本来、童貞とは社会に歴然と存在はしていても公に語られるものではなく、童貞を捨てられない男性諸氏は、どうにか人知れずの不断の努力を通して伴侶を見つけて家庭を築くのが、正しいあり方であるべきなのだ。それを、彼の不用意なネットでの書き込みが、社会の一部ではあるが童貞を許容する流れを作ってしまい、日本を世界でも高い童貞率に押し上げてしまった可能性はないか。
以上は筆者の仮説ではあるが、この仮説が正しければ、彼が日本の社会に与えた負の影響は計り知れず、彼の罪は筆舌に尽くしがたいほど、重いといえるだろう。

つまり、彼の「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」が世に広まるきっかけを作った価値は低く、それとは翻って、彼がそれを発信してしまった罪は極めて大きいといえる。

筆者のこのような考察の正否については、これから、さらに彼のその後を書き進めるので、読者各位には筆者の乱筆を読んでいただくのは恐縮なのだが、それらを読んでからご判断いただきたい。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

「こうやって、恋人と一緒に車で海に来るのが夢だったんだ」
「でも、ちょっと寒い」
「夏でも福島県じゃ、海は寒いんだなー」
「でも、楽しいよ。10年後にまた来ようね」

「子供のころは家族で誕生日を祝ったけど、ここ十年くらいは何もなかったな」
「これからは毎年祝おうね」
「恋人がいると、誕生日はこんなふうになるのか」
「そうよ、うまれてくれてありがとう」

「大学時代に落ち込んでいたときに、友だちがBump of chickenの『グングニル』を教えてくれたの」
「いい曲だと思うけど、、、Flash動画で音楽を聴くのはどうだろう」

「今日は実家に帰るよ」
「いやだ、一緒に居たい」
「でも、たまには帰らないと」
「じゃあ、しょうがないけど、必ず帰って来てね」

「いつも、夜はジョギングをしているのね」
「子供のころ肥満児だったせいで、少し油断するとすぐ太るんだ」
「将来太っても、私はずっと好きなままよ」

「わたしたち、共依存よね」
「そんなことなはいと思うけど、そもそも、自分でそういうこと言うかい」
「それでいいの。私、あなたと一緒にいないと、もう駄目なんだから」

「私が死んだら、どうする」
「どうするって、僕の方が先に死ぬでしょ」
「ううん。私が死んだら、3年は誰とも付き合っちゃだめだから」
「ほかに僕と付き合ってくれる人なんていないと思うけどな」

「昔、ここで半年間働いていたんだ」
「いいところね」
「景色は良いけど、景色なんて一週間であきるよ。あの、穂高岳だって一カ月も見ていれば、刑務所の壁のように見えてくるんだ」
「でも、みんなで共同生活って、少し憧れるな」

「音楽は高校時代からCoccoが好きだったの」
「それは、こじらせてるねー。でも、この『樹海の糸』は良い曲だね」
「Coccoは『樹海の糸』のメロディがきれいすぎるって。私もあまり好きじゃない」

「少し疲れているみたいだけど」
「プロジェクトが忙しいんだから、仕方ないじゃない」
「そうだけど、少しは自分を大切にしないと」
「わたし、自分を大切にするって言葉、きらい」

「これまで、がんばりすぎたんじゃないの。がんばらないといけないって、自分を追い詰め過ぎたんじゃないの」
「でもね、勉強してテストで良い点を取って、家に帰ると、おばあちゃんも、おじいちゃんも、お父さんも、お母さんも、みんな喜んでくれたの。ほめてくれたの。だから、がんばらくちゃいけなかったの」
「がんばっていなくても、いてくれるだけで、僕はうれしいんだよ。いつでも、ほめてあげるよ」

「わたし、あなたのお嫁さんになりたいから、がんばる」

「わたしたち、苦しいことに逃げずに向かって行っているよね」

「わたしたち、吊り橋効果でつきあったのよね」
「そうかも。もし、大学時代に会っていても、成績もトップだし可愛いリケジョだし、僕は恋愛対象とはみなかったかな」
「わたしも、本当はグループ内でリーダーシップを取る人が恋愛対象だった。あなたは違う」
「……僕でよかったの?」
「うん。行動力があるから」

「今日も、友だちの集まりに行くの」
「うん」
「じゃ、帰ってくるまでにビーフシチューを作っておくよ」
「やったー。ビーフシチュー好きなの」

「もう、誰にも僕たちの邪魔をされないように、結婚しよう。きちんと、会社の人にも家族にも伝えて、きちんと一緒に生活しよう」
「うん」

「あなたが持っていたオーブンレンジでパンを焼いてみたわ」
「へー、こんなのもできるんだね。レンジ機能しか使ってなかった」
「それで、おいしい?」
「おいしい」

「指輪を失くした」
「泣かないで、指輪なんてまた買えばいいんだから」
「指輪がなくなったら、全部、なくなるような気がして」
「なくならないよ、私はちゃんといるよ。ずっと、一緒にいるよ」

「結婚式は、浅草で人力車に乗りたい。2年前、浅草に連れて行ってくれた時、人力車に乗っていたお嫁さんがいたでしょ」
「えー、あれってさらし者になるじゃん」
「お嫁さんは人生で一番きれいになるんだから、いろんな人に見てもらいたいの」

「うー」
「どうしたの?」
「『世界の中心で愛を叫ぶ』の予告編を見たら泣けちゃって」
「じゃあ、本編も見ようか」
~本編を見た後~
「本編を見ると、あまり悲しくないね」

「フィルムって、画像の粒がデジカメと違って丸いから、優しい絵になるのよ」
「そのカメラは?」
「雑貨屋で買ったの」
「こんど、ちゃんとしたフィルムカメラを買おうよ」

「わたしたち、どうやって付き合い始めたんだっけ」
「二人で買い物に行って、部屋に帰って来て、寝転がっても何もしないで」
「それで私が『がまんできない』って言ったのよね」
「うん。自分からは何も言えなかった」
「なんで?」
「なんか、悪いと思った」
「今でもそう思う?」
「そんなわけない」
「わたしも、『がまんできない』」

「新婚旅行はスイスで氷河特急に乗って、ウィーンで本場のザッハトルテを食べたい」
「スイスとウィーンのオーストリアって隣だけど、一度に行くのは難しそうだなー」
「氷河特急は、ジムでバイクをしながら読んだ雑誌で、とても良さそうだったの。ザッハトルテは子供のころ見た『サイバーフォーミュラ』ってアニメで、どうしても本場のザッハトルテを食べたいの」
「いいけど、それだとガイド無しの個人旅行になるよ」
「大丈夫よ、あなたがいるもの。インドを一人であるいていたんでしょ」

「いつか、カメラはRolleiFlexがほしい」
「うーん、何かコンテストで入賞したら、買ってもいいかなー」

「やっぱり、クリスマスは二人でいるのがいいな」
「これからは、毎年、一緒に居ようね」

「ご祝儀の集計は明日にしようよ、今日は疲れた」
「だめ。こういうのは、すぐやらないと駄目なの」
「わかった、じゃあ、手伝うよ」
「いやいやならいいわよ」
「そんなことないって(こうなると、機嫌が直るの時間かかるんだよな)」

「ヨーロッパで着物を着ると受けるらしいから、ウィーンでは着物を着てオペラ座でオペラを見て、それからザッハトルテを食べようね」
「俺、知ってるぞ。ヨーロッパで着物着ていると、いろんなところで注目浴びるって書いてあるブログがあったろ」
「いいじゃない。日本の文化を見せて、交流するのよ」
「要はちやほやされたいんだろ(笑)」

「パリって美食の街って言うけど、そこら辺のカフェじゃダメかー。このパスタなんて、端のほうはカピカピだ」
「いいじゃない、わたし、とても楽しいわよ」
「どうでもいいけど、個人旅行だとはぐれたりすることもあるんだから、空港とホテルの名前くらいは覚えようよ」
「ごめんなさい…」

「早く日本に帰って、すじこのおにぎりを食べたい」
「さすがに、パリの食事はきつかったなー。でも、スイスに入ればマシになるんじゃね」
「いやだー、信じられないー」
「ほら、念願のダロワイヨのマカロンがあるからお食べ」
「うん」

「隣の人はチーズフォンデュを頼んだみたいだけど、やめといてよかったね」
「あの山もりのパンを、ひたすらチーズを漬けて食べるのは苦行だよな」
「普通のミールは普通にうまいな。4000円は高いけど」
「パリのあのレストラン、いくらだったの?あの、鳩肉は酷かった」
「…二人で、七万円…」

「あの、前を歩いているカップル、仲良さそうね」
「そうだね」
「そうじゃなくて、そういうときは『僕たちの方が仲いいさ』っていうの」
「…はい」

「駅で止まっている間に写真撮ってくる」
「え、そんなに時間ないでしょ」
「でも、この瞬間を撮らないと、二度と取れない景色なんだよ」

「着物着てよかったでしょ?」
「うん。ていうか、喜んでくれたからよかった」
「そんなことないよ。幕間のトイレ休憩の時、いかにもなマダムに話しかけられて、英語でちゃんと日本から新婚旅行で来たって答えたのよ」
「結局、ちやほやされたの僕じゃないし」

「帰りたくないー」
「日本に帰ったら、仕事に戻らないとなー」
「帰りたくないよー」
「ほら、そんなこと言わないの」

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

彼と彼の妻は、無事に新婚旅行から帰ってきた。
二週間の長い旅行であった。
楽しい旅行であった。
これから先について、不安もあるがきっと二人はうまくいくと、彼は自宅へ帰る中で思っていた。

(後編へ続く)


この記事が参加している募集

忘れられない恋物語

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?