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魚の眠ってる価値を発掘。水産の活性化に取り組む小西鮮魚店の親族内承継

この記事は、​函館圏の事業承継例を紹介する「函館地域承継ストーリー​継ぐ人、継がせる人」の記事です。

函館地域承継ストーリー ​継ぐ人、継がせる人。

今回は、道南の美味しい魚を全国の飲食店や魚屋に卸す有限会社マルショウ小西鮮魚店の小西一人さんを取材しました。大手企業の工業デザイナーとして活躍していた小西さん。水産の魅力を発掘し、新たな価値を創造することで水産業全体の活性化にチャレンジしています。お父様からの電話を機に家業を継ぐことにした承継の経緯と小西鮮魚店の取り組みについてお聞きしました。

【函館地域承継ストーリー#4】
 
有限会社マルショウ小西鮮魚店 代表取締役 小西一人(かずと)さん

父の『特別な鮭』から始まったブランディング


有限会社マルショウ小西鮮魚店について教えてください。

小西:鮮魚の卸売、発送を中心とする会社です。1980年に父の小西 昭(あきら)が創業しました。父は元々、スーパーの魚屋さんを任されていたのですが、そのスーパーが廃業。職を失ってどうしようかというときに私が生まれたんです。子供もできたし、何か仕事をしなきゃならない。そこで個人の魚屋を始めることにしました。

最初は小売だったんですね。

小西:私の母は、函館に来る前に東京の高級割烹料理店で働いていました。ある時、そのお店から「旦那さん魚屋さんなんだって?なんか良いの送ってよ。」とご連絡をいただいて、東京への卸が始まったんです。そのうちに「独立するからこっちにも売ってよ。」とか「紹介するからそっちにも売ってよ。」といった感じで10件、15件と増えていきました。

小西鮮魚店のおいしい魚が東京で注目されたんですね。

小西:そのころ既存の店舗を従業員に譲ることになりました。小西鮮魚店は、別のところに移転することになったんです。ところが魚屋をできる店舗が見つからない。臭いだとか衛生面を気にする家主さんが多かったようです。しょうがないので自宅の1階を改装して始めることにしました。自宅は住宅街の真ん中。お客様が来てくれるような環境じゃなかったんです。それで、これはもう駄目だ、卸一本にしようということになりました。

そこで卸売専門の会社になるわけですね。

小西:そのあとは父が一生懸命、営業して飲食店を中心に卸先を拡大していきました。私が入社したあとは、魚屋さんへの卸も増えましたね。実は小売の魚屋や仲卸とよばれる会社さんも魚を欲しがっていたんですよ。これが大きな転換点になりました。飲食店への卸は注文ベースになるので、ウニ2枚とホタテ3枚って注文だったらそれを送るんです。だけど市場を見ていると「昨日1,000円だったのに今日500円になってるよ。」とか「こんな良い魚がいっぱい取れて安い、今日これめっちゃいいじゃん。」というのがいっぱいあるんです。魚屋のお客様が増えたことで「今日、これあるよ。あれあるよ。」とできるようになった。買ってくれるかもという思惑でも買えるようにもなったし、魚屋さんなのでロットも多くなりました。それで一気に売上が伸びたんです。

なるほど、それで今の形態になったんですね。ちなみに函館はこれから(取材時8月末)どんな魚が見どころですか。

小西:これからはもう鮭ですね。実は、私が小西鮮魚店に入ってから最初にブランディングしたのが鮭なんです。東京から函館に戻ったときにブルーオーシャンだと思いました。この鮭めっちゃいいって思ったんですけど、函館の人にとっては当たり前なんですよね。
その感覚は、一度東京に出たからこそわかると思うんです。(東京時代に)父がたまに送ってくれた鮭がめちゃくちゃうまくてびっくりで。鮭って日常的な魚じゃないですか、それがこんなに美味しいなんてどういうことなんだ!?って笑

函館のスーパーで売られている魚も本当にレベルが高いですよね。

小西:函館に戻って父が鮭を買うのを見ていたら、相場より高値で買う鮭があるんです。何を基準に選んでるんだって聞いたら「いや、鮭はな。命がけで遡上する。だから川で卵を産んだら死んじゃうんだよ。死ぬためにこれから旅をしようってときに獲れた鮭と、もう死にそうになりながら川にたどり着いたところで獲れる鮭って、全然違うってわかるっしょ。俺が目利きしてるのはそういう鮭なんだ。それはもう川の近くの鮭、これはこれから旅をする鮭だから、俺はこっち(旅をする鮭)をお客さんに送る。」って教えてくれた。

小西昭会長(中央)提供:有限会社マルショウ小西鮮魚店

実際お客さんに聞いたら「本当、小西さんの鮭はうまいね。全然違うね。」言われてるんです。「すごいな親父、だけどそれってお客さん知ってるの?」って聞いたら「いや知らない、俺は当たり前の目利きをしてるだけだ。」って言うんです。もったいないなぁと思って。それで先ほどの説明を加えてブランディング。『龍銀』って名前で売り出しました。

その鮭、何かの記事で拝見しました。めちゃくちゃおいしそうな鮭でした。

小西:そうしたら、全国展開の大手セレクトショップが12か月いろいろフェアをする中の一つとして扱ってくれたんです。すごく好評で、最終的には年間のトップをとりました。
その経験でブランディングしてあげるってこういう価値があるんだなってわかったんです。販売現場で、鮭の価値をスタッフに伝えるのもコストがかかるじゃないですか。私たちがこういう形でブランディングしてあげると、多分なんとなく伝わると思うんですよ。お客様から「この鮭なんですか?」と聞かれたときに説明できるようになる。それが1個1個積み重なって売上になったんだろうなって思いました。東京時代にも気づけなかったブランディングというかパッケージングの価値に気づけて、それからいろいろやり始めたんですよね。

価値をわかりやすくして外に送り出すことを始めたんですね。

小西:そうです。例えば『シンコニシン』。捨てられるような小さなニシンなんですけど、食べるとすごく美味しい。でも小さいし調理するのがめんどくさいので、全然値段がつかない魚でした。
ある時、コハダの稚魚が新子という名前で売られてるのを知りました。これが豊洲でキロ4万円とかで売られていて、お寿司屋さんが3枚におろして、シャリの上に何匹乗せられるかみたいに競い合ってるんですよ。「はい、これが初物です。春が来ましたね。」みたいな感じで。それを見て「これだ!」と思いました。
さっそく新子にリンクさせて『シンコニシン』という名前をつけて売り出したんです。美味しくてちっちゃいことに価値があるよというブランディングを狙いました。そしたら寿司屋さんにすごく売れて、捨てられていたニシンが今、キロ1,000円とか1,500円で取引されるようになったんです。
そうやって魚の価値が見直されるのは、私たちだけじゃなくて、漁師や市場にとってもいいことだぁと思いましたね。

<--続きは「いさり灯(び)」で>

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