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モンタギュー・ノーマン ゴールド103

イギリス議会は、1925年末までに金本位制へ完全に復帰すべきという命令を出した。

しかし、イギリスが金本位制に復帰するにはいくつかの障害があった。

インフレ

大きな障害は上昇した物価水準だった。

かつてイギリスは、ナポレオン戦争が終わってから4年後に金本位制へ復帰した。ナポレオンが1815年に敗北してから4年で、物価はナポレオン戦争前に戻っていた。

しかし、第一次世界大戦終結後7年が経過した1925年でも、まだ物価は第一次世界大戦前の2倍に近かった。


政府予算の赤字

その他の障害としては政府の赤字である。戦時中に国債が55億ポンドも増えて、負債は70億ポンドを超えていた。さらに、その赤字は増え続けていた。

さらに、イギリスの生産設備が旧式になっており、生産コストがアメリカやヨーロッパのライバルに太刀打ちできなくなってもいた。1924年にはイギリスの輸出量は、第一次世界大戦前の輸出量を25%も下回っていた。

そして、輸入への需要も増大した。


1ポンドは4.86ドル

イギリスはポンドの価値を下げると、貿易において有利な立場に立つことができるようになる。

しかし、ポンドの価値を下げるとイギリスの信頼に傷がつくこととなる。イギリスの貨幣の安定性に永久に疑念が残ることとなってしまう。ロンドンのシティを金融の中心地としてきた外国人がニューヨーク、パリへ去ってしまい、ポンドは二度と権威を取り戻せなくなってしまう。

そのため、1925年までの間、さまざまな議論が行われることとなった。

※金本位制をとる国家は自国の貨幣を不変の一定量の金によって定義する。この定義によると、戦前、1ポンドは4.86ドル -1717年のアイザック・ニュートンによる基準- だった。そして、1920年代には、戦前に4.86ドルで買えたのと同じものをイギリスのどんな場所でも買うことはできなくなっていた。


モンタギュー・ノーマン

1920年から1944年までイングランド銀行総裁を務めたモンタギュー・ノーマンは「1ポンドは4.86ドル」を断固として支持した。

イギリスと主要な貿易相手国には物価水準の格差があるにもかかわらず、ノーマンは次のように確信していた。

破滅に近い結果を招くこと無く何とかポンドを4.86ドルに戻せる。しかし、イギリスは長期間の高金利を覚悟しなければならない。高金利になれば企業活動が抑制されやすくなり、失業率が上がる。失業率が上がると賃金が下がり、物価の上昇が抑えられる。それによって、外国為替市場での通貨価値が上がり、金がイギリスに流れ込むと。


この連鎖反応によって、人々の生活にどんな影響が及ぶかについてノーマンは悩まなかった。

ノーマンによれば、人間の痛みは政府が心配すべき問題であり、イングランド銀行には関係ないということだった。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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