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合衆国はヨーロッパの大国に疑われていた ゴールド96

ここから、舞台の中心をアメリカ合衆国に移していきたい。

今日、合衆国は金融大国として世界の中心のポジションにいる。

しかし、19世紀の合衆国はそうではなかった。

19世紀の合衆国は、イングランド、フランスなどの中央銀行同士が互いに手を差し伸べ合っていた中に入ることは出来ていなかった。

その理由は何なのか?

合衆国は金本位制に操を立てるか?

一つは、アメリカ人が金本位制に操を立てるのかどうかがヨーロッパの大国から疑われていたのだ。

当時、金本位制に対する合衆国の世論は次のようであった。

金本位制はイギリス人とイギリスのユダヤ人による悪魔のような策略であると。

そのため、ヨーロッパの大国は常に合衆国のことを疑っていた。


合衆国には中央銀行が無かった

二つ目は、合衆国にはイングランド銀行のような中央銀行が無かったためだ。

当時、合衆国ではどのような金融政策の運営もワシントンの財務省が支配していた。

つまり、政治家が金融政策のリーダーシップを握っていた。

そして、数千という独立の小銀行が各地方に散らばり、それぞれの州 -ワシントンではなく- が小銀行を統制していた。

この頼りない体制は19世紀の最後の最後まで存続した。


金銀複本位制

三つ目は金銀複本位制が実施されていたためだ。

合衆国は1900年にようやく法的に金本位制に移行したが、それまではハミルトンが提案した金銀複本位制を実施していた。

複本位制 -金だけでなく銀もある- ならば、貨幣供給が増えインフレになる。

インフレを、当時の農業主をはじめとする債務者は禍ではなく天恵と見なしていた。

さらに、合衆国では平等と民主主義のスローガンがヨーロッパの大国よりも大きく響き渡っていたため、銀は既存権力に対する戦いの重要なシンボルともなっていた。


これらの理由により、ヨーロッパの大国が合衆国に対して疑問を抱いていたとしても不思議ではなかった。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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