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永遠の輝きを失わない金が抑制と均衡の強力な媒体へと変容した ゴールド75

ここで、イギリスの貨幣制度の仕組みをその歴史を辿りながら少し振り返ってみたい。


イギリスでは公的な貨幣と民間の貨幣が一緒に流通し、それぞれを補いあっていた。公的な貨幣のほとんどはギニー金貨であり、それより小さな単位は銀貨であった。一方、民間の貨幣は為替手形などである。さらに、18世紀を通じて銀行業が急速に発展し、貸付金の証拠として発行された約束手形も貨幣として流通した。また、1694年に設立されたイングランド銀行はイングランド銀行券を発行していた。

貨幣体系はこのように無計画に構築されていた。そして、このような状態で貨幣が日々流通するうちに、銀行券の総額が政府の発行する公的な貨幣の総額を上回るようになった。つまり、民間部門が貨幣創出の原動力として公的部門を凌駕するようになった。

なお、今日用いられている貨幣のほとんどが紙幣ではなくバーチャルな当座預金の形をとっているが、それは銀行信用と貨幣供給との18世紀の基本的な関係がそのまま残っていることを示す。18世紀までに今日と同様、貨幣の増加分はバーチャルな小切手や預金の形で保持されるようになっていたのだ。


しかしながら、金貨あるいは金地金が直接やり取りされなくなったからと言って金の重要性が低下したということではない。常にイギリスの貨幣は金の重量によって明確に規定されていたのだ。ギニー金貨1オンスは3ポンド17シリング10.5ペンスであることは変わらなかった。ギニー金貨がイングランド銀行の金庫室にあろうと、そこにギニー金貨あると保証されることで貨幣体系は上手く機能しているように思えた。

為替手形、約束手形のような様々な形の民間紙幣はいつでもイングランド銀行券と交換できた。そして、イングランド銀行券はいつでも金あるいは正金と交換できた。そのことでほとんどの時期を通じて困る者はいなかった。


しかし、市場で金の価格が上昇したり、外国為替市場で英貨の価値が下がったりすると貨幣の操作 -裁定取引の利用- によって儲けを出すことができるようになった。投機が行われるようになり、イングランド銀行の金庫室にあるギニー金貨の量が減少し始めた。

そこで、イングランド銀行はこのようなやり方で儲けを出されることに歯止めをかけることで、金庫室にギニー金貨を取り戻そうとした。イングランド銀行はイングランドの商人をはじめとする借り手に対しての信用貸しを拒否をしたのだ。すると、イングランド銀行に信用貸しを拒否された借り手はイングランド銀行以外から借りるしかない。その結果、金利は急激に上昇した。当然のごとく投機熱は冷え、英貨と大陸の通貨との為替レートも改善され、イングランド銀行の金庫室にギニー金貨が戻ってきた。


こうした金へのゆるぎない信頼によって、ほとんどの人が富の究極の形と見なしていた「永遠の輝きを失わない金」が抑制と均衡の強力な媒体へと変容した。これが、その後の174年間に渡ってさまざまな形で金が演じ続けた形である。

誰もが安全な資産と考えていた金のおかげで、経済全体の危機が回避されたようだった。

しかし、フランスのフィッシュガードへの急襲に端を発したイングランド国内のパニックを鎮めるために出された制限法案によって、イングランド銀行券と金との繋がりが断ち切られれることとなった。これにより、この非公式だが強力な制御機構が瓦解することとなった。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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