ガザの声を読む ガザの声を届ける


 2024年4月20日に島根県は飯南町・来島地区のとあるライブスペースでリーディング・パフォーマンス「ガザの声を読む ガザの声を届ける」の試演会を開催しました。以下は、その際、ご来場いただいた方々にお配りしたZINE掲載の文章をここに再掲するものです。(ちなみに、このリーディング・パフォーマンスでは、レファアト・アラリール「もし私が死ななければならないのなら」およびアシュタール劇場「ガザ・モノローグ」8編を朗読しました。


「もし私が死ななければならないのなら」

 まずはじめに、レファアト・アラリール氏の「もし私が死ななければならないのなら」という詩を掲げたい。

もし私が死ななければならないのなら
                   レファアト・アラリール
もし私が死ななければならないのなら
あなたは生きなければならない
私の物語を語り継ぐために
そして私のものを売りはらい
一枚の布と
少しの糸を買ってほしい
(長いしっぽ付きの白がいい)
そうすれば ガザのどこかにいる子どもが
天を見つめながら
炎に包まれて消えた父親を待ちながら―
誰にも
自分の肉体
自分の魂にさえも 別れを告げずに―
消えた父親を待ちながら
その凧を見て
空高く舞い上がる
あなたが作ってくれた 私の凧を見て
一瞬 天使が
愛をよみがえらせるために
そこに現れたのだと思ってくれるはず
もし私が死ななければならないのなら
それが希望をもたらしますように
それが物語になりますように

 一読、祈りだと思った。しかし、それは何に対する祈りなのだろう。
 表題の「もし私が死ななければならないのなら」は、けっして不確実なことや非現実的なことを仮定したものではない。むしろ、ほぼ確実な未来についての言及といってよい。
 この詩が書かれたのは、2011年だそうだ。占領下のガザに生まれ育った作者のアラリール氏にとって死はつねに身近なものであったにちがいない。実際、アラリール氏は、2014年のイスラエル軍の空爆によって自宅を破壊され、弟を亡くしている。
 この詩が広く人びとの知るところとなったのは2023年のことである。2023年10月7日のハマースによるイスラエルへの越境奇襲攻撃に対する報復として、イスラエル軍によるガザ地区への攻撃がはじまった。イスラエル軍から電話やSNSを通じてひんぱんに殺害の脅迫を受けていたというアラリール氏は、殺害の1ヶ月前である11月に、SNSのプロフィール欄に「もし私が死ななければならないのなら」の詩を掲載し、この詩が広く知られるようになった。そして12月6日、アラリール氏は、イスラエル軍の空爆により家族とともに殺害された。
 アラリール氏は「もし私が死ななければならないのなら/それが希望をもたらしますように/それが物語になりますように」とうたう。もはや自分の死が免れないものなら、自分の死が希望をもたらし、物語になるようにと、アラリール氏は祈る。
 だが、自分の死が「物語になること」を祈るとは、いったいどういうことだろう。
 アラリール氏は、2015年に「We Are Not Numbers」(WANN)というプロジェクトを共同設立し、ガザの若いパレスチナ人に向けて英語での作文ワークショップを行なった。
 We Are Not Numbers―私たちは数ではありません。ガザ保健省の発表によれば、4月20日現在、ガザ地区で34,012人以上が死亡、少なくとも76,833人が負傷したという。こうした数字に接するたびに、私たちは数字をただの数字として、もっぱらその多さや増加の伸びを嘆いてみせる一方、その数字の表す1人1人が、顔をもった、かけがえのない命であることをついつい忘れがちである。
「We Are Not Numbers」というプロジェクトは、だから世界の忘却に抗う試みといえないだろうか。1人の人の死は、けっしてただの数字として片付けられるべきではない。そして、そのためにこそ物語が必要なのだ。
 人は1人1人にその生きてきた歴史historyがある。物語storyがある。「あなたは生きなければならない/私の物語storyを語り継ぐために」。それこそが生者の、生き残った者(サバイバー)の「責任」ではなかろうか。そして、物語storyは、長らく語り継がれ、やがて古い言い伝えtaleになるだろう。「もし私が死ななければならないのなら/それが希望をもたらしますように/それが物語taleになりますように」。

「壁と卵」

 村上春樹氏は、2009年2月9日、「社会における個人の自由」を作品で表現し広める作家に贈られるイスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した。 授賞式直前の2008年12月から翌1月にかけては、イスラエル軍によるガザ地区への大規模攻撃があったばかりで、300人を超える子どもを含む1300人以上の市民が犠牲になっていた。そのため受賞拒否すべきとの声も多く聞かれる中、村上氏は授賞式の場に臨み、あの有名な「壁と卵– Of Walls and Eggs」のスピーチを行なったのである。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。」と。
 直接的には、壁はイスラエル軍の圧倒的な武力を、卵は非武装の市民を表している。けれども、それだけでなく、私たち自身「ひとつの卵」なのだという。私たちは「かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵」なのである。そして、私たちは皆「システム」という名の「それぞれにとっての硬い大きな壁に直面」しており、本来私たちを護るべきはずの、その「システム」がときに、私たちを殺し、私たちに人を殺させる。
 だから、物語を書くことによって、「個々の魂のかけがえのなさを明らかにしようと試み続けること、それが小説家の仕事」なのだと述べる。
 現実のあまりの凄惨さを前にしたとき、文学に、また芸術にどれだけの力があるのかと問わずにはいられない。けれども文学、芸術はけっして無力ではない。私たち自身のかけがえのなさを浮かびあがらせること、それこそが物語の役目であり、文学、芸術の存在意義だといえる。

「ガザ・モノローグ」

 2008年〜2009年のガザ地区への大規模攻撃から1年、ガザ地区の完全封鎖は続き、ヨルダン川西岸地区との分断はますます深まる。西岸地区の人たちには、同胞であるガザ地区のパレスチナ人に対して救いの手をさし伸べられなかったという自責の念がある。2010年、西岸地区に拠点を置くアシュタール劇場が「ガザ・モノローグ」というプロジェクトを起ち上げた。ガザの子どもたちの声を、ガザという「牢獄」の外にいる人たちに届けるために。
 このとき「ガザ・モノローグ」に参加したアマーニー・アッ=ショラファーは述べている、「戦争が終わると、私はへとへとだった。私の魂は荒波にさらわれ、もうこの波から抜け出ることは出来ないと思っていた。でも、劇場からまるで手が伸びてきてみたいに、私は波の下から引っ張り上げられた」と。
 また2014年の大規模攻撃の後、そして今回の2023年10月7日の後、アシュタール劇場は世界中の仲間に連帯を呼びかけ、「ガザ・モノローグ」の朗読、上演を緊急要請した。

 本日、ガザの声を読む。ガザの声を届ける。
 忘却に抗うために。
 人間の尊厳を、個々の魂のかけがえのなさを浮かびあがらせるために。
 パレスチナに連帯するために FOR STAND WITH PALESTINE

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?