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YouTube創業とGoogleによる買収

グーグルについて描かれたプラネット・グーグルの第5章でのYouTubeの誕生と買収までの話が面白かったのでまとめたい。インターネット初期時代の本はいまいちしっくり理解できないことが多い。
グーグルが検索エンジンをめぐり主にヤフー、マイクロソフトと競争することにフォーカスされている本書だが、動画検索をめぐる場面ではYouTubeの誕生とその成長についても描かれていた。

創業者はペイパルマフィア

2000年代初頭、検索エンジンでは大きくリードしたグーグルであったが動画エンジンではヤフーやブリンクス(当時の動画サービス)に後れを取っていた。その原因の1つに、書籍を電子化する際の訴訟問題を体験していたグーグルが動画での訴訟を恐れていたことがある。
そんな中、ペイパルのソフトエンジニアであった25歳のジョード・カリムはグーグルの発想(グーグルは大手メディアの動画のみをアップロードしようとしていた)とは異なる「どうしたら誰でも簡単に動画をアップロードできるか」という問題の解決としてYouTubeを着想する。そして、ペイパル時代の仲間であった、チャド・ハーリースティーブ・チェンと共同でYouTubeを創業。

YouTubeのアイデアの源泉

2004年12月カリムは大きいサイズのファイルを高速で転送するためのソフトウェア技術(ビットトレント)に関する記事でたまたまある統計を目にした。その統計はP2Pでの動画共有に関するものであった。その例として、CNNの番組の一場面が今でいうバズのようにウェブで広まり、CNNで放送された時の視聴者の3倍もの人がオンラインでそれを視聴したというものがある。また、2004年のインド洋津波ではメディアが取材に行けず、史上初の携帯電話のビデオカメラを通じて報道される大惨事となった。
そんな中で、カリムはウイルスのように広まっていくこの動画を視聴しようとする人々が直面する技術的課題を見出し、「誰でも簡単に動画をアップロード、視聴できる」サイトが未解決のニーズを満たすと考えた。

Why Now?

チェンとハーリーはそのアイデアを素晴らしいものだと思うと同時になぜこうしたサービスが既に存在していないのか疑問に思った。そこには3つの技術的問題があったが、ちょうど解決されつつある問題で、YouTubeが生まれるのに奇跡的なタイミングであった。
その3つの技術進化はブロードバンド接続の各家庭への急速な普及、ストリーミングビデオに欠かせない帯域幅の購入価格の急降下、アドビが動画再生サポートを決めたことであった。

創業初期の苦難と急成長

3人は資金調達にVCをまわるも、あまり相手にされなかった。彼らがペイパルがイーベイに買収されたことにより多くの金融資産を持っていたこともあり、何とか2005年2月14日にYouTubeを設立する。
そのわずか、2か月後の4月にはサイトをローンチする。しかし、当初は彼ら自身で投稿した動画しか存在していなかった。(最初の動画はカリムが動物園で像をバックに撮影した18秒の動画である)その後、友人に呼びかけるもサービスは伸びず、チェンによると「かなりへこんでいた」そうだ。
その後、広告を出し、”魅力的な”女性に動画を10本出すと100ドル支払うと呼びかけ、勝負に出るも、動画は1本もあがらなかった。
しかし、6月に、ユーザーが1クリックで動画をメールで共有できるようにしたり、YouTubeの動画URLをSNSに簡単にコピペできるようにデザインを一新すると、ユーザーが無償のマーケターとなり、ウイルスのようにサイトは注目を集めた。2005年8月にはTechCrunchにも取り上げられ、その三か月後にはそのライバルとしてデイリーモーションなど8社がリストアップされた。

Googleによる買収

当時、グーグルは独自の動画サイトであるグーグルビデオを開発していたが、検索エンジンでの成功に引きずられ、相対的な信頼性、評判、検索語句との関連を判別するアルゴリズムに磨きをかけていた。
しかし、それはユーザーの求めるものでなく、一方で、YouTubeはユーザーからの無償の投稿によりさらに急成長を遂げていた。YouTubeの登場後には、グーグルもユーザーの動画投稿を受け入れるもあくまで、大手制作会社のコンテンツをメインとしていた。
また、大手からの反発を避けるため、グーグルが公開前にすべての動画を検証するとした(検証はおざなりであった)のに対し、YouTubeは「どんなに私的な動画でも良い」と投稿を促した(投稿動画に100メガバイトの制限を付けテレビ番組のコピーを防いだ)。
2005年夏にはYouTubeは広く知られるものとなり、大きなネットワーク効果を生み出した。このようなサービスでは、1度ネットワーク効果が築かれるとそう簡単にそれを崩すことはできない。(イーベイ/ヤフオク/メルカリ(フリルが市場を占有する前に莫大なマーケティングで市場を占有))
グーグルの創業者たちがそうであったようにYouTubeの創業者たちも金儲けのことは考えておらず、トラフィックが爆発的に増加するにつれて運用コストが増大したため資金調達をせねばならなかった。いくつものVCが名乗りをあげるた中、セコイアキャピタルのみがYouTubeのサービス自体に関心を持っていたと選ばれる。(セコイアが初期の投資家であることは間違いないが、”一番最初”の投資家ではないことも興味深い)
2006年春にはページビューが1億に達する。5月の時点でYouTubeはライバルにも影響を与えておりグーグルも「プロにこだわること」の重要性を否定しつつあった。
一方で、莫大なトラフィックを抱えるYouTubeであったが収益モデルが確立しておらず、サイト運用とコンテンツ配信ネットワークへの支払いも増大していった。広告モデルを試みるも、数が少なく収益性は乏しかった。また、著作権を犯して広告で収益を上げることは訴訟を引き起こした。
ここでグーグルはYouTubeの批判サイドにまわるとされた予想に反してYouTubeモデルの採用による収益化を考慮し静寂を保っていた。番組の一場面がオンラインで出回ることがマイナスでなくプラスであると気付き始めていたのだ。
こういった中でYouTubeの創業者たちは、自分たちが未だに売上1060万ドル規模の企業であり、数十億ドルの規模を誇る大手コンテンツ会社との訴訟では勝てないと自覚していた。そこで、買収の話をグーグルとヤフーに持ち掛けた。ちょうどそのタイミングでグーグルは自社のグーグルビデオではYouTubeに勝つことはできないと気付き、2006年10月に驚異のPSR(Price to Sale Ratio)100倍の16億5000万ドルでYouTubeを買収した。

その後

本書は2008年に出版されたものであり、その後のYouTubeについてコストへの懸念も踏まえ未知数としている。
その後、2019年にYouTubeによる広告収益をグーグルが初めて発表する。それはアルファベットの総売上の9%を占める150億ドルであった。

また、後日時間があればこの間10年間についても調べたい、が、YouTubeの創業ストーリーを知れて面白かった。

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