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modern-times「ヌーヴェルバーグ」

modern-times「Contemporary」
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(「ヌーヴェルバーグ」は7曲目)
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【歌詞】
波打つ 風が鳴って 
何もない砂浜でひとりぼっち。
壊れた心 凪いで 
映し出した光景に消えていった。
廃れた思い抱いて、
虚しさに身を任せ、旅立った。
予想通り世界は残酷に僕を残して、
いなくなってしまった。

不安だった僕のそばに
笑い合った誰かが居たんだ。
染まっていた色を失って、
新しい世界を彷徨っていた。

ぼやけた写真のように
いつしか景色は滲んで見えなくなる。
風が消えた砂浜 何もない空白で
僕は泣いてしまったよ。

曖昧な世界に息づいて、
失ったものをまた求めていた。
ジレンマの中で生活をして、
新しい世界を認めはじめた。

おぼろげに映ったあの少女は
いつしか波にさらわれていた。
失った僕はまだひとりぼっち。
新しい波に身を委ねた。

長い間、そこで立ち止まって、
何を探していたんだろう?
かすかに見えた彼女は一人で
海を眺めていただけだ。

ねぇ?失ったモノは
そこにあったのかい?
消えることはないのか?
思い出したのは、
振り返った彼女が
僕に笑いかけた記憶だ。

不安だった僕のそばに
笑い合った誰かが居たんだ。
染まっていた色を失って、
新しい世界を彷徨っていた。

おぼろげに映ったあの少女は
いつしか波にさらわれていた。
失った僕はまだひとりぼっち。
新しい波に身を委ねていたんだ。

作詞 ワタナベタカヒロ
作曲 modern-times
演奏 Vo,gt ワタナベタカヒロ
   Ba 冨川"tommy"功喬
   Dr,Per ガテン・キノシタ

【回顧録】
この曲は多分、2014年の秋くらいにはもうできていたはずですね。むしろ、今回のアルバム「Contemporary」の中心と言えるような曲です。

この曲ができたときはまぁ、個人でとりあえず作ったんですが、正直、まぁ、いい曲できたなというのはもちろんあったんですが、まぁあまり深くとかは考えていなかったんですよね。まぁ毎回、実はそんな感じなんですけど、でも、あとあと、考えて、「あー、これ、もしかして震災のことなのかな?」って思い始めたときになんか、カッて開けたような気がしてきたんですよね。

震災当時(2011年3月11日)の午後2時くらいでしたかね。この時、僕はベースのトミーくんと二人でkilling boyという木下理樹と日向秀和の新しいバンドのファーストを聴いていて、地震があった時はちょうど曲がトリップするみたいな雰囲気のときでそれと一緒に地面が波立っているような揺れを感じました。二人揃って、「あれ?すごいトリップ感来ているな。」とか思っていたんですが、トミーくんが「地震じゃないか?」と言うので、テレビをつけたら東北の方で地震があったとのこと。テレビに映ったのはビルなどの監視カメラなどに撮影された棚の中のものなどが散乱したりするような映像。正直な話、これらを観て、「良かった。そんな大したことは起こっていないのか…」という安易な気持ちになってしまって、その後に出掛けた。それで、夜頃に帰ってきたら、テレビはすべて震災についてのニュースだった。テレビ画面に映るのは津波で家などが流されている様子だった。一瞬で「あれ?」っていうような気持ちになって、なんだか心のなにかが抜け落ちた気分だった。そこからは怒涛のように流れる絶望的なニュース。部屋の中に籠もりながら、テレビもつけずにあまりその現実に向き合うようなことはしなかった。というよりかはもはや現実ではなかった。ふわふわふわふわとわだかまりでもなく形になるようでならないような感情がずっとふわふわふわふわとあり続けていたような。でも、日常は続いていった。そんな思いも忘れてったし、そんなのがあったなんて、そんなことさえももう忘れてしまうような。そんな感じでふわふわふわふわとあったような空白が3年も経ったのちにこんなところでポロッと出てきたのが多分、「ヌーヴェルバーグ」なのではないかな?と思ったりした。向き合ったりだとか、希望とか絶望だ。とかなんとも考えられるようなこともできなかったような気持ちがなんだか生まれ出たような気持ちになってから、それからポロポロとそれに準ずるような曲を生み出すようになっていった。
つまりは個人的にはそういうコンセプトがなんとなくこのアルバムにはあったような気持ちがあるんですよね。心の整理と言うような。詰まっていたものと言うような。まぁ、興味ないかと思いますが、なんとなく書いてみたくなりましたので。

まぁ、それで、この曲をバンドに持っていき、セッションという感じになりました。かなり苦戦をした覚えがあります。ベースのトミーさんだけではなく、ドラムのキノシタさんもどうしたらよいかわからないという感じから始まりました。なので、何度も何度もはじめのリフを弾き続けていたら、キノシタさんが現在のドラムパターンをふと叩いたのですね。その感じがなんとなくなんかもの寂しい港感があって、「あっ、これだ」という確信がありまして、終わった後、「うん。うん。」てな具合で、「もう一度やりましょうか」と言う感じになったら、キノシタさんがまた別のドラムパターンを叩いたので、思わず、トミーさんが「待って。」という感じで止めて、「あれ?さっきのは?」と聞いたら、「いや、もう一度と言われたんで、違うのかな?って思って…」ということ。確かにそんな流れだったね。うん。ってなって、「意識せずにやっていたんだ…」というキノシタさん…恐ろしい子…というようなこういう偶然の産物が1番良かったりするし、聞き逃してはいけないなぁ…。という感じにドラムが決まりはじめたら、トミーさんもノッてきまして、原形が完成しました。ドラムのあの感じはよくよく考えたらよく思いついたな。というか、多分、弾き語りだけで聴いていたら、多分思いつかないよなぁ…って思ったりします。この曲は結構キノシタさん、大活躍なのです。

この「ヌーヴェルバーグ」は音源も2パターンありまして、1つは3人のみの音源(シングルバージョン)。それで、もう1つが今回の音源。パーカッションが多彩に入っております。これ、全てをキノシタさんにやってもらいました。まずシングルでこの「ヌーヴェルバーグ」を出したのですがアルバム作成にあたって、「これでは味気ない」と感じたのか、キノシタさんがパーカッションをいろいろ入れるのはどうですか?という提案を持ってきた。最初あまり乗り気ではなかったのですが、やれるだけやってみましょうという感じになり、246スタジオでT木さんに「パーカッションをプラスしたいと思うんですが…」と言ったら、スタジオにあるだけの多種多様なパーカッションを全て持ってきてくれました。「どうする?どれ入れます?」と言う感じで問いかけましたら、キノシタさんが「とりあえず全部やってみましょう!」と言って、無謀だ!って思ったもんです。正直、どうやって入れるんだよ…ってやつもありましたし…。ただし、キノシタさん、わかりやすいものからわかりにくいものまで全部うまく操り、本当に全部入れたんで、トミーくんと僕は聴くたびに「おぉ!」とうなり声を上げたもんです。これは本当にすごい。しかも音源に全部ちゃんと入っております。彩りがすごい。

とまぁ、こんな感じにまとまってきた楽曲なのですが、ライブでやるときが非常に難しかったです。特にトミーくんは「技術的ななんだとかではない難しさがあるので、できればやりたくはない」というほどの時期がありました。ライブでやる際のバランス感みたいなものが非常に難しいらしく、昔はちょっとのBPMのズレでぐちゃっと崩れてしまうというような感じで非常に神経質になりながらこの曲を練習した覚えがあります。まぁ、今はまだマシな感じなのですが…やはりトミーくんは今でも難しい…といいます。

ここまでで充分長くなってしまいました…。次は一応ライナーノーツ的なもの。

この曲は配置図などはあったかなぁ?と思いますが、この曲は多分左右に1本ずつアコースティックギターが流れていて、基本は真ん中にドラム、ベースが鳴っているという構図。前奏、間奏などには真ん中にエレキギターが入っております。なので、歌が入るときにとてもサッパリした印象になりました。途中のフェイザーを入れたところもアコースティックギター2本は通常のサウンドで真ん中のエレキにエフェクターを挟んで入れました。
あとから入れたパーカッションなどは周りに散らすように入れたような覚えがあります。左にあったり右にあったり、真ん中の奥の方から聞こえてきたりなど。アルバム中だとかなり聴きやすくさっぱりしていると思いますが、この頃に「普通に聴かせるような感じはやだよね!」という反骨精神からさまざまな試みをしてみる流れになりました。

そして、最後にアコースティックギターの単音を鳴らすところは僕がマイクを前にガチガチになりながら録ったものです。あのときはまだ全然ああいう感じに慣れてなかったので、ギターの後ろでスースー呼吸をしている音ががっつり入ってしまいました。あれは波の音を表しているのですよ!!波だし。ちなみに「ヌーヴェルバーグ」というのはフランス語かなんかで「新しい波」という意味らしいです。昔、日本映画界に現れた風潮も「ヌーヴェルバーグ」と呼ばれたらしいのですが、そこらへんはまったく意識にはありません。

「ヌーヴェルバーグ」=「新しい波」ってなんかインスピレーション湧きませんか?僕はこういう面白い言葉とか見たりなんだったりした時に案外楽曲のイメージが湧いたりすることがあります。あとの事なんて後付だよ!そうだよ!この回顧録の最初に話したことも後付だったりするんです。でも、僕も僕自身の曲をつまりは純粋な聴衆として聴いているということなんですよ。あれは僕が作ったきっかけなどではなくて、自分の楽曲の感想というか、思ったことなんです。だから、もしかしたら、別人が作っているのかもしれないと最近思ったりしています。実は最近完成させた逆三角形のパズルから突然出てきた違う人格の「もう一人の僕」(もしくは相棒)がいるんですね。そいつに辛いバトルとかは任せっきりにして、ちゃっかり最強のデュエリストの称号を手に入れちゃうようになって、命を賭けた闇のゲームをやったり、大企業の口がクソ悪い御曹司には「ライバルだ!」って言われて、付きまとわれたり幼馴染の杏ちゃんが人質に取られたり、親友の城之内くんが死んじゃったり。みたいな漫画やアニメみたいな日常が繰り広げられているんですよね。もータイヘン!

「もー。タイヘン!」なワタナベタカヒロ図

と、まぁ、そういう考え方のが楽しいよね。
僕はmodern-timesの新しい作品がとても楽しみなんです。自画自賛だとか調子乗るなと思われるかもしれないけど、だったら別の人が作ったということでも良いかなって思う。だからいいかなと思う。作品を作るにあたって、意識は必要だと思うけど、あまり他に求め過ぎないようには心掛けていきたいな。と思います。

謙虚に生きねぇとなぁ…。もう一人の僕…。

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