modern-times「春の音信」
modern-times「Contemporary」
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(「春の音信」は9曲目)
こちらから!↓
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【歌詞】
いつか春が芽生えたら、
そこで待っていてくれるかい?
涙がこぼれたのは、
あの頃を思い出したからさ。
夢から覚めた朝は
いつもより不快な日々が
始まるのさ。
長い今日を告げる鐘が鳴り響くさ。
何か不安だった。
僕の胸に残る小さな後悔が
無くなったら、いつものように
その顔を見せてくれるかい?
時は流れ、色褪せても、
忘れないことはもう無いから。
さよならなど言わないで、
ここを立ち去ることに決めた。
ラララ 歌、唄おう。
いつかの僕らを。
ラララ 何も無い
いつかは戻らなくても。
ラララ 失うことばかりを
怖れていても
ラララ 消えない傷は
いつか癒えるよ。
歪むな。見えないな。
明日は、途方に暮れる僕だ。
有耶無耶。消えないで、
蓮は、明日には咲くからさ。
未来が見えない。
きっと、確かなものだけが
残った。いらない。
僕には必要ないから。
悔やむな。
昨日はなにも見つからないけれど。
恨むな。
冷えた風に身を任せてみるか。
空白な春が来た。
退屈な焦燥と生きろ。
胸が苦しくなる
感覚が生まれていたんだ。
夢から覚めた日はまだ覚えているさ。
感情はいらないから、体を揺らして、
踊るだけでいいからさ。
芽生えたら…
いつか春が芽生えたら、
そこで待っていてくれるかい?
笑顔が漏れ出たのは、
あの頃を思い出したからだ。
夢から覚めた日から、
それはいつも嘘のようで
長い今日が終わったのを
それを確かめるばかりだ。
作詞 ワタナベタカヒロ
作曲 modern-times
演奏 Vo,gt ワタナベタカヒロ
Ba 冨川"tommy"功喬
Dr ガテン・キノシタ
【回顧録】
この曲は2015年。願わくば春に作ったと思いたい。ただ、5月くらいかな?という感じです。
名前の読み方は「はるのおとずれ」としています。「音信」と書いて、「おとずれ」と読むのです。この名前はひと悶着ありました。メンバーに「これ"おんしん"だよね?」と言われたので、「"おとずれ"だけど…」と言ったら、「いや、そんな風には読まないでしょう!」と言われました。いやいや、と。僕は確かに見ましたよ。と「みなみけ」という漫画で千秋ちゃんという女の子がお友達に「音信」を「おとずれ」と読むのだと説明していたのを!なんだお前ら!「みなみけ」読まないのか!と言わんばかりに反論をしましたところ、調べてみよう。となり、調べたら、なぜか出てこない…。「ほらない。」という感じにワタナベさんの間違いだよ。とか「みなみけ」も間違っているんじゃないかなぁ?とか言われたあの時を僕は忘れていない!僕は結構、自分で言うのもあれなのですが、執念深く、根深くこういうことを忘れない性格なので(だからこういう回顧録とかで書くこととか覚えている。)、どっかで「あはは!」と笑い飛ばした冗談に対しても「いつか復讐してやる!」と心の中で強く思っていたりすることがたびたびです。なので、今日、その復讐を成し遂げてやろうかと!数年越しだ!このやろう!これは一緒にバカにされた千秋ちゃんの分だい!
以下の画像をごらんください!
こちら、引用のサイトはhttps://furigana.info/w/%E9%9F%B3%E4%BF%A1
というところからです。漢字のさまざまな読み方の説明をしているようですね。
この引用でわかる通り、古い読み方の様です。見たか!「みなみけ」の千秋ちゃん引用だから弱かったかもしれないが、今回は田山花袋だぞ!しかも「蒲団」だぞ!自然主義文学だぞ!自分の家に下宿した女学生の蒲団の臭いを嗅ぐやつだぞ!という具合にこれが「みなみけ」の復讐ですよ!正直、ここまで来て、「もうおんしんでもいいかな…」と諦めていた矢先に調べたら、この通りでした!つまり、この曲は「春の音信(おとずれ)」となります!間違えないようにお願いします!いやぁー、嬉しい!嬉しいなぁ〜!
ちなみにこの曲を作ったのもある意味、「みなみけ」のこの話を読んだときに「音信と書いておとずれと言うのか…面白いな」というきっかけからでしたね。てゆうか、じゃあ「おとずれ」じゃないといけないじゃないか!そうなると!わーい!わーい!なんだか、半沢直樹の気持ちだよ!「倍返しだ!」てな。ハハ〜い!どうせ、「そんなこと…」みたいな感じで小馬鹿にされるように鼻で笑われて、あしらわれるけど、わーい!わぁい!ざまぁみろぃ!今まで俺をバカにしていたやつみんなざまあみろぃ!!
( ゚д゚)ハッ!
なんだ!?これ?誰が見ているかもわからないようなしかも、今まで、厳粛で真面目でお固く今までの楽曲について紹介してきた今までの空気を壊してしまうほどに結構性格の悪い大はしゃぎをしてしまった…。田山花袋先生なんて、「女学生の蒲団の臭いを嗅いでしまった…」というテーマを厳粛にお固く、自分の罪悪感とともに品位のあるお言葉で語っていたのに…なんだこれわ…。とんだ自然主義ではないか…。とんでもなくナチュラルに喜んでしまったではないか…。まるで野生に還ったかのように喜んでしまうとかいう…。ただの自然体主義ではないか!こんなの全く自然主義じゃないぞ!Wikipediaかなんかで調べてみよう!という自然体主義で書いてきております回顧録です…。ということで許してください…。どんだけ文章割いてんだろ…。でも、この楽曲については結構自分にとって大切なことかもわかりません。
「蓮」って春の花なのかな?
歌詞にはなんとなく書いてしまっているのですが、今見たら、7月〜8月に咲く花らしいです。直す気は全くないのですが、やっぱり歌詞って、結構語呂とかに依るものもあるんですよね。このように「春の音信(おとずれ!)」というテーマもとても季節に依ってしまった曲だとは思うんですが、あんまり季節に依る曲って作りたくないのが本音だったりしますね。限定性があるというか…。あと、例えば、「LINE」、「SNS」、「ツイッター」などなど、なんとなくの時代性や一瞬の時事性を感じさせる(に委ねられる)言葉もできるだけ使いたくはなかったりします。なんか半永久的に使っていく、使われている言葉の方がなんか歌っていたりしたときに「?」ってなんない。そんな感覚だったりしますね。なんも考えてないけど、こういう細かい所はちょっと気にしたりしています。花の季節感は気にしなかったけど…。
まぁ、充分に長くなってしまったので、ライナーノーツ的なものを始めてまいります!
こちら、今回は手描きの配置図になります!今回は人間臭くお送りしております。
配置としてはギターをかなり大きめに取っていますね。(センターの楕円もギターです。)今回はかなりリフ寄りのパートを弾き続けていますので、ベース、ドラムは少し支えを主にして、かなり歌ものの意識を強く持った曲だとは思います。下のボーカルもつまりは楽器より前面にという意図の配置だとは思います。ただ、今回も僕が弾いているギターはおんなじコード4つくらいを弾いているばかりなので、おそらくトミー君が付加和音的なものを使って、さまざまな解釈をしながらまとめたコードは違うものになっていると思います。また、キノシタさんのドラムも少し弾んでいる印象があって、結構ポップな感じを意識しているのではないかな?と思います。ドラムのその感じからより一層ポップ味が増しているのが更にあります。こんな感じに「春の音信(おとずれ!)」は楽曲全体を見て、鳴っている音楽は一つなんだけど、各楽器、それぞれの働き方を案外無難に?行っている感じがあって、もしかしたら非常にバンドっぽい曲に仕上がっているのではないかな?と思います。そういう感じに音楽を聴ければまた面白そうですね。
個人的にはこれをレコーディングした頃はあまりにも単純な感じが逆に好きになれなかったような気がしております。もっとばばぁーん!とか、ぐわわわわぁ!ピー!みたいな楽曲を求めていた節がありましたが、今はなんとなくライブとかでもっとやりたいかな?という気持ちがあります。やりやすそうな印象もありますし、単純に改めて聴いてみて、歌いたいな。という気持ちになりました。まぁ、これが結構歌いにくいんですが…。あと、僕は季節感とか気にしちゃうんですよね…。もう夏か…。春の歌なんか歌っていいんですかね?昔、某弾き語り系フォーク男性デュオが桜系の曲をあえて秋に出すみたいなことで微妙に話題になっていて、インタビューとか受けて、「なぜ、あえて秋に出したんですか?」とか聞かれて、「うるせーな。出したかったから出したんだよ!」みたいなロックンローラー的な回答などはせず、「どんな季節だろうとみんなの心の中には桜があって…」みたいな綺麗な答え方をしていたような気がします。俺もこれくらいに心が綺麗になりたいな。心の中の桜咲かせてぇな〜。ちきしょい。て思いました。そんな心持ちで、みんなの中に春の心があると信じて、この楽曲を季節外れでもライブでやろうかな〜?って。まぁ、理由はただ、やりたいからだけど。俺、ロックンローラーだから。ロックンローラーだからっ!!
最後にレコーディングの小話。これの最後の部分、歌とギターだけになる所のギター録りの際、全くよくわからなかったのですが、今までにないくらいに全っ然できなかった覚えがあります。なんでだったんだろうか?ホントに小1時間くらいトミーさん、キノシタさん、エンジニアのT木さんの視線に囲まれながら、惨めな気持ちで小さくなりながら何度も何度も最後のパートを弾いていました…。「ストロークの感じを固定とかしていないからじゃないかな?」「お前の曲だろ!」「なんでできないんだ…?意味がわからない。」という言葉と視線に囲まれて、血と涙に滲みながら、弾いたのが最後の歌とギターのパートです。個人的にはとても、くるりの「魂のゆくえ」の最後感があって、良かったと思いますが、この思い出はまだ絶対に忘れねぇからなぁ!と思って、今日も強く前を向いて生きています。
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