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移民、難民政策

春休みだというのに毎日図書館にこもっている。同化政策の話をしよう。Assimilation policy, Integration policyと言われることが多い政策で、主に難民、移民を自国内でどのように扱うかということを記した政策である。起源を調べていないからはっきりしたことは言えないけれども、最初は侵略した土地の住民を如何にして服従させるのかというお題だったのかなと思う。19世紀のヨーロッパでのナショナリズムの台頭に従って、ヨーロッパの列強諸国は武力ではなく、教育や言語等で侵略先の住人を同化させてきた。例えば、普仏戦争後のアルザスロレーヌ地方では、ドイツ帝国によるGermanizationが行われた。方言の混じらないドイツ語を話すことを求められ、歴史教育では1648年のウェストファリア条約から1871年の普仏戦争終了までの約200年間の歴史は教えられなかった。アルザスロレーヌ地方がドイツの領土ではなく、フランス領だったからだ。地理でも、アルザスロレーヌ地方が帝国領土の一部として表示された地図が配られ、生徒はアルザスロレーヌ地方の地理について学んだあとに帝国全体の地理について学んだ。これらが何を示しているのかというと、ドイツ帝国政府は共有された言語、歴史、地理というものを創り上げたかったのである。ドイツ語をしゃべらせ、アルザスロレーヌ地方はずっとドイツとともにあったと歴史の一部分を切り取りながら教える。これらの同化政策は共通の言語、歴史、人種を重視するFichteのethnic nationalism と似たところがあって、国家に属する以上はその国の言語を話し、歴史を共有し、文化に適合することが求められていた。言い換えれば、国家の思想が個人の思想と一致することが求められていた時代であった。そのため、同化政策に成功した国、土地と成功しなかった場所があったのも事実である。例えば、同じドイツ帝国によるGermanization policyでもアルザスロレーヌ地方は成功したとされているし、ポーランドでは失敗したとされている。

現代に戻ろう。昨今の経済、政治情勢の変化によって、難民、移民の数は絶対的に増えている。難民、移民の数が増えるのと同じくらいのスピードで政界人口も増えているから難民、移民の割合は相対的には変わっていないのだけれども、絶対数としては増えているのである。欧州に押し寄せる難民、移民に対して、欧州の各国は移民政策を打ち出してきた。移民政策を実行するのが政府主導なのか、NGO等の民間主導なのかは国によって分かれるところではあるけれども、総じて言えるのはどの移民政策も難民や移民の個性、文化的背景を尊重したポリシーであったということである。市民権を取得するのに難民、移民は国家に形だけの忠誠を誓うだけで、文化や言語に適合することは求められていなかった。文化的な多様性が存在するようになったと言えば聞こえが良いが、ナショナリズムの観点から考えると、共有された言語や文化といった国家を国家たらしめた精神的支えがなくなっていったわけである。したがって、反移民、反難民感情を持つ人の中には雇用のような経済的な理由を掲げる人も多いけれども、文化や言語の変化を挙げる人も少なくはない。その人たちの先祖が生まれ育ち、育んできた歴史、文化が多様性の名の下で途絶えようとしているのである。反移民、反難民の態度はポピュリズムの観点から語られることが多いけれども、ナショナリズムの観点からも語ることができると思う。つまるところ、国家(state)内において複数の文化が存在し続けることは可能なのかということである。


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