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読書感想文 宇宙(そら)へ 上巻

こんにちは、かなめです。


今日は「宇宙(そら)へ 上巻」(著:メアリ・ロビネット・コワル 訳:酒井昭伸 早川書房)の感想文です。ネタバレは自己責任でお願いします。


SF界の賞を総なめしているようで、期待がもてますね。そういえば女性作家のSFって初めて読むかもしれない。

あらすじ


第二次世界大戦後、ワシントンD.C.に巨大隕石が墜落。ワシントンのみならずアメリカの広域、世界中に多大な被害をもたらした。優秀な物理学者でパイロットでもあるエルマ・バードは夫ナサニエルとともに隕石の被害から逃れ自らも被災しながらも学者として一つの真実を解き明かす。隕石の衝突によって気候は変動し、やがて地球は人の住める場所ではなくなってしまうことを。エルマは計算者として人類の地球脱出のため、そして女性宇宙飛行士になるため奮闘するのであった。


感想



男女差別、人種差別、宗教観、いろいろドキッとさせられるリアルな要素とサイエンス"ファンタジー"がうまく絡み合っていてただの夢物語ではない、現実に彼女たちは暮らしているんだと思わせる作品です。

時代は1952年。男女差別も人種差別も今より苛烈であったということは容易に想像できます。そんななかエルマは大学時代、優秀な「女性」であるために辛い目にあいパイロット時代の戦績も(実際には戦ってはないですけど)「ありえない」と受け入れてもらえなかったり、同性としては共感しかできない過去を(そして現在を)持っています。特にドキッとしたのがこのシーン。女性でもパイロットとして十分な素質をもっていると証明するためエルマは仲間とともにエアショーを開きます。飛行中バードストライクにあいエルマ機はエンジンが停止。しかしエルマにとってはこれまでも何度か経験してきたことで、冷静に対処し無事着陸します。マスコミや観客たちは着陸したエルマに駆け寄ります。


群衆にまぎれこんだわたしは下を向き、硬いアスファルトを見つめるようにして進んだ。男の靴、女のヒール、グレイのズボンの折り返し、縫い目が歪んだストッキング、そして、手――わたしの肩や腕や背中に触れてくる、いくつもの手――おおぜいがわたしの姓を呼んでいる。’’ミセス・ヨーク!’’と。(p.272より引用)


エルマの夫ナサニエルはロケット工学者としてメディアにも露出していますし、有名人なわけです。だからエルマ自身がいくら優秀であっても「ナサニエル・バードの妻」は優秀、という捉え方しかされないという残酷な現実を突きつけているように思います。でもマスコミのことをバカにはできないと思います。だって私キュリー夫人のファーストネームをぱっと思い出せないんですよ。(調べたらマリー・キュリー(フランス名)でした。小学生のとき伝記読んだなそういえば…)今でこそ女性科学者(科学者に限らずですが)は認められているけれど当時は「女なのに科学をしている変人」みたいな扱いだったのかな、と。無知は罪なので当時の女性差別にいてもまた調べなくちゃなあ。
エルマは彼女自身の経験をもとに「女性でもパイロット(宇宙飛行士)になれる」と主張するのですがお偉方は誰も聞き入れてはくれません。「危険だから」という理由で突き放すのですが、危険なら男性であっても同じなのではと思います。これは私が男尊女卑について嫌悪感を抱いているのでちょっと偏った意見に見えるかもしれないですね。とはいえ実際にはNASAには女性宇宙飛行士がいるわけですし、エルマの主張は正しかったのかな。
エルマはエアショーをきっかけに「優秀な女性パイロット」として注目され始めます。最初はトラウマのせいで注目を浴びるのを嫌ったエルマでしたが小さな女の子たちがエルマを応援していることを実感し、「この子たちの未来のために」とメディアへの露出を決心します。こういうかっこいい人たちがいてこそ今の男女平等につながっているんだな、と思いました。エルマかっこいい!

物語の冒頭、被災したエルマ達は黒人のリンドホルム夫妻に助けられます。夫はパイロット妻は元計算者です。エルマは妻のマートル・リンドホルムに助けられながら生活するのですが、あからさまではないものの白人と黒人の相容れない部分を知ることになります。白人の生活圏と黒人の生活圏は違うし持ってるネットワークも全く違うものです。エルマはリンドホルム夫妻のもつ「黒人だけのネットワーク」に度々助けられるのですが、エルマが白人という理由で協力的でないもののいます。物語ではリンドホルム夫妻の人種なんて関係ない人間性からくる機転の利きで物事がスムーズに進みます。リンドホルム夫妻の人柄のなせる技というのは言うまでもありませんが、現実では果たして上手くいくのかなと思ってしまいます。身の回りにあからさまな人種差別を感じたことがなく、戦っているひと、虐げている人を目の当たりにしたことがないからこのテーマは身にしみない部分があります。ある意味幸せなのかもしれませんがそれでいいのか、とちょっと自分を恥じました。


バード夫妻はユダヤ教徒です。それで生活の中のユダヤ教の慣習とか用語とかが出てきます。私の周りにユダヤ教徒はいないので共感ではなくそうなんだ、という感じです。作中でユダヤ系の有名人だからテレビに出してもらえるんじゃない?と友人がエルマに話しますが、ユダヤ人は全員知り合いなのは誤解だとエルマは心の中で訂正します。そんな感じでそれぞれの宗教に対する誤解とかたくさんありそうだなと思います。仏教ですら危ういですし。あと特定の宗教を信じているというのがすごいなと思います。本人からすればすごいことではないと思いますが。私は一家の墓はお寺にあるけど幼稚園はキリスト教系のところに行っていたし特定の宗教を信仰していません。信仰していることがいいとか悪いとかでなく、共感はできないなと思ってしまいます。信仰は否定していませんからね!何信じて生きてもいいんですから。

私が汲み取ったテーマは男女差別、人種差別、エルマのキャラクターを語る上で欠かせないという意味で宗教観なのかなと思いました。今世界中でこの問題は起こっているし、SNSが発達してより自分の手の届かないところで何が起きているのか知ることができます。この本は今、この時代だからこそ書けるし共感を呼ぶのではと思います。人類の”リアル”とサイエンス”ファンタジー”が上手く混ざりあった作品です。「三体」(劉慈欣)とは違う意味でSFを知らない人に読んでほしい
物語は休暇中のバード夫妻に試験中のロケットが爆発した、という知らせが入るところで終わります。下巻はどんな物語になっているのでしょう。楽しみ!ぜひ読んでみてね!

それでは、よい1日を。

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