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ゲームチェンジでハックはオワコン

「ゲーミフィケーション」って聞いた事あるでしょうか。ゲームニクスとも呼ばれる、いわゆる「ゲームデザインのノウハウをビジネスや教育、社会システムに応用しよう」という考えです。動機付けや課題難易度、達成報酬を適切に設定して、プロセス自体を夢中になる程楽しいエンタメにしてしまおう、というアーキテクトデザインです。

僕は長らくゲーム開発に携わってきました。専業ゲームデザイナーではありませんが、ゲームデザインやUI・チュートリアルデザインも何度もやりました。たとえゲームリテラシー最底辺のユーザーでも、説明書不要で楽しく操作やルールを覚えられて、EikoGoみたいなポンコツでもクリアまで到達できるデザイン。そこにはゲーム史30年で培われてきたノウハウやセオリーが詰まっています。90年代までは開始2秒で心をへし折られるような超絶難解クソゲーが割とあったもんです。しかも下手すりゃ分厚い攻略書付き。しかしたとえゲームの出来が良かったとしてもハードコアゲーマーしか楽しめないジャンルはやがて廃れ淘汰されていきました。

さてここからいきなり現実社会の話に飛びます

小賢い人達がいち早く先物を嗅ぎつけて、その構造の隙を突き、最も効率的な方法で最大利益を総取りする、今風にオサレに言うなら「○○ハック」ってやつです。それは資本主義社会の根幹にある競争原理であり、そのシステムのおかげで人類は過去200年で大躍進しました。

構造を理解・把握し、最も効果的なコマンドを実行してハイスコアを叩き出した者が優勝。それはまさにゲーム攻略と同じです。賢くて早くて上手い者が勝つ世界。当たり前の事です。そんな資本主義というゲームはリソースの集中を促し、多くの産業を発展・洗練させました。そしてその勝者は「成功者」と呼ばれました。しかしその一方で格差社会も生み出しました。せっかく封建主義の階級社会を打ち倒して生まれてきたのにねえ。「2番じゃダメなんですか」的な、他者より少しでも上に立ちたい、得したいというのは、人間の本能であり、あるいは限界でもあるのかもしれません。

そんなさ中の2020年Covid19炸裂。現生人類ホモサピエンス20万年史上初めて全地球人が同時に同じ課題に直面する事態になりました。先進国、途上国、富裕国、貧困国、人種も宗教もお構いなしの「全人類への災厄」。しかもパンデミックというのは、ひとつふたつの国が回復したくらいでは収束しません。昔と違って今や完全鎖国して生き延びられる国など無いからです。北朝鮮ですら友達はいます。つまり先越しの勝ち抜け無し、全人類で一緒に対応するしかないという案件で、そんな状況アルマゲドンかインディペンデンスデイでもない限りあり得ないと思ってました

そんな未曾有の事態に直面した世界では、今までの当たり前「ハックで好ポジション確保」が通用しなくなってきています。基本ルールが変わり、200年ぶりのゲームチェンジが起きようとしているのです。例えるなら熱狂的なストIIブームが終わって、オープンワールド系ゲームのブームが始まりそうな、そんな気配。ブンブン丸も真っ青。

ここでまたゲームの話に戻ります

その昔「セカンドライフ」ってゲームがありましてね。今となっては「電通のステマ虚像だった」などと黒歴史的伝説と化していますが、当時の僕は度肝抜かれて大ハマりした訳です。ゲーム開発自体をプレイヤーに委ねるという、オープンワールドどころじゃないフリーダムワールド。RMT可能な独自通貨を持ち、土地建築売買や企業ビジネスから青カン売春まで何でもあり。ゲームというよりは、バーチャルインフラ構想に近いものでした。すっかり感化された僕は、それをライトユーザー向けに簡略化したゲームの企画書をたくさん作りました。そうして生まれたのがマインクラフト…だったら良かったんですが、マインクラフト激似のその企画書は当時誰にも理解して貰えませんでした…。

話が逸れまくってますが、つまり何が言いたいかというと、「ゲーミフィケーション的には強者総取りデザインは最適解ではない」という事です。特に多人数参加型ゲームでは、トッププレイヤーが報酬を独占した場合、他の参加者が離れてしまい、そのゲームはサービス終了となってしまいます。

別にハイスコアを狙う事が悪いと言っているのではありません。「やり込み要素」という自由度を与えて、やりたい人にはやらせればいいのです。能力が高い人はその能力を発揮すべきです。ただ大前提として、多人数参加型ゲームは参加者が多い程楽しいし、参加者全員が楽しんでいる方がゲームも盛り上がるのは言うまでもありません。もしそれがセカンドライフのようなゲームだった場合、その世界は勝手に無限に拡張していくのです。(今のゲームハードのスペックでVR対応で復活して欲しい)

ネオ・アカへのシフト

しかしながら寄る年並ってやつでしょうか、オッサンになるとゲームもいい加減しんどくなってきます。最近じゃ「○○ハックで成功を掴め!」「もっと働け!勝て!稼げ!消費しろ!」「もっともっとハイスコアを!」みたいなのにほとほと疲れた感があります。だって今日日別に成功者にならなくてもスマホでタダで何でもできるし、アマゾンもネトフリもあるし、AirB&Bとかで普通に大豪邸泊まれたりするし、特殊技能でバズればちょっとしたインフルエンサーにもすぐなれます。スコア持ち=金持ちのアドバンテージなんてたかが知れたというか、なんかそういうガツガツしたの古くね?と思ってしまうのです。アメリカンドリーム!みたいな成功信仰なんて100年そこらのメンタルトレンド、社会洗脳に過ぎないし、実際オワコン化してきている感あります。

特にコロナ勃発以来、どうも僕自身の思考が社会主義寄りになっている嫌いがあります。やばい。アメリカ様にアカ狩りされてまう。別にマルクス信者とかでもないんですが。でも社会主義って発明当時は最先端の意識高い系イケてる思想スタイルだったっぽいっすよ?コントロールフリークの中露の(自称)社会主義がアレ過ぎるだけで、「完全無欠の管理者」という不可能部分に目を瞑れば悪くないアイデアだと思いません?そして現在、ついに僕たちは手に入れたんですよ。テクノロジーを。AIとビッグデータを。腐敗しない管理者を。そういうのネオ・アカ思想とでも呼べばいいんでしょうか。産業革命が封建主義を終わらせたなら、情報革命が資本主義を終わらせたとしても、なんら驚きはありません。

ケインズは「効率化の果てに2030年に人は働く必要がなくなる」と予言して、2040年にはシンギュラリティ祭りっすよ。となるといよいよ「資本家と労働者」という根幹構造も崩れる訳で、もうハックとか成功とかどうでも良くないっすか?退屈でつまんねービリオネア(ハックの達人)が数百人いるだけの世界より、数十億人が好き勝手に変な事やってる世界の方が楽しいじゃん、とどうしても僕は思ってしまうのです。まあ負け犬の遠吠え、底辺のひがみと言われればそれまでなんですけどね!

ともあれ、あつ森とかFallguysみたいなゲームが流行るのも頷ける気がするのです。


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いつの世も、アーティストという職業はファンやパトロンのサポートがなければ食っていけない茨道〜✨