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ドアは何回か開く。大切なのはいつドアから入るかを見極めることだ。

大手エネルギー企業からベンチャー企業に出向していた私にそのベンチャー企業の社長はいろいろと話をする機会をくれた。将来アメリカで仕事をしたいということを話したことも良く覚えてくれていて、アメリカ進出の際には私にアメリカに行ってもらいたいという話をしてくれたりもした。2年間の出向という身分でありながら、社長は私を連れてシリコンバレーに出張し、アメリカオフィス立ち上げのための下調べを一緒に実施したこともある。アメリカ進出するのは、早くても一年後のスケジュールだったので、これが意味することは社長は私に出向元企業を辞めて、ベンチャー企業に入社してもらいたいということだった。社長はそうは言わなかったが、私がそこまで覚悟しているかどうか、社長はいつもそういう目で私を見ていた気がする。しかし、一年半くらい経った頃だったろうか、社長は私を青山の寿司屋に呼び出した。その寿司屋は白を基調としたモダンな店で、半地下になっている店内のカウンターからは、道行く人達の半身が見えていたのを今でも覚えている。外は雨が降っていて、道が濡れていたような記憶があるのは、その時の気持ちがそうだったからかもしれない。

私はアメリカに行く気満々ではあったのだが、やはり大企業からベンチャー企業への転職に正直"びびって"いた。覚悟ができていなかった。私が揺れ動いているのを見透かしていた社長はこう切り出した。「アメリカ進出は無しだ。君がアメリカに行くこともない。」私は落胆はしたが、びっくりはしなかった。自分が覚悟ができていないことは分かっていたので、淡々と受け入れた。今考えると、この時にアメリカ進出を任されてもうまく行かなかったのではないかと思っている。これが私にとってのアメリカ行きの最初のドアだったが、そのドアは私が悩む間にすぐに閉じてしまった。日本のソフトウェア会社のアメリカ進出はとても難しいもので、相当の覚悟を持って臨まないと成功しないことは分かってはいたが、それが本当にどういうことなのかを理解はできていなかった。そのまま私の2年間のベンチャー企業経験は終わった。

元の会社に戻り、私は新規事業関連の部署で勤務することとなった。私の仕事は、新規事業立ち上げではなく、新規事業のネタを探す仕事だった。エネルギー系の大企業にそもそも新規事業を考える人材などいるはずもないし、立ち上げをできる人もいなかった。ネタがないのだ。新規事業を立ち上げるという目的が先行し、何を立ち上げるのか分からないという状態に陥っていたのが当時の新規事業部隊だった。そのため、そのネタ探しをする部署があり、私はそのネタ探しの部署に配置されたのだった。実際に事業を立ち上げることをしたかったので、最初はがっかりしたが、その部署でやっていたネタ探しの方法の一つに私は大変興味をひかれた。それがベンチャーキャピタル、およびベンチャー企業への投資事業であった。共同で事業を立ち上げたいベンチャー企業を探して、そこに出資するという構造はすぐに理解できたが、ベンチャーキャピタルへの投資の方が今一つ私には理解できなかった。

ベンチャーキャピタルに投資していた理由は、山ほどの案件を抱えているベンチャーキャピタルからその案件情報をもらい、新規事業のネタをそこから探すということであった。なるほど。ベンチャーキャピタルの投資先ポートフォリオは公開されていることが多いので情報はすぐに手に入る。しかし、本当におもしろい情報は、投資先のポートフォリオ企業が選ばれる前の膨大な投資候補先リストの中にある。投資先は100社に1社程度しか選ばれない。選ばれなかった99社は、決して事業内容が悪いという会社ばかりではなく、投資後の出口戦略が見えないとか、チームメンバーが不足しているとか、その他の投資先としての評価によって選別されてしまっただけで、中には非常に優れた技術やビジネスモデルを持っている企業がたくさんある。この情報に触れることができるのは、ベンチャーキャピタルとそのベンチャーキャピタルに出資している出資者だけだ。この出資者のことを通称LP(Limited Partner)と呼ぶが、そのLPになって情報取得するというのがこの部署の戦略であった。既にボストンにあるベンチャーキャピタルに一人が駐在していて、その任期が終了に近づいていた。私はその後任を希望した。次のアメリカという機会への入り口が私の前に開きつつあった。

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