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カリフォルニア留学を目指して、社内留学制度の選考は通ったんだけど、、、

会社の社内留学制度の選抜に何とか合格したのが90年代の終わり。今は社内留学制度なるものを持っている会社は少ないかもしれないけど、バブル期には当たり前だった。おれがいた会社ではTOEICという英語のテストで確か700点以上を取らないといけなくて、あとは留学して会社に戻ってきてから何に活かすかという論文、そして上司の推薦が必要だった。

私は就職してしばらくしてから、何年間かこの留学制度のテストを受け続けたのだが、TOEICの点が足りなかったり、上司の推薦がもらえなかったりで、何回か落ちた。前にも書いた通りドメスティック企業だったので、希望者は少なかったのだが、それでも落ちた。でも、あきらめなかったのがよかった。最後には、上司も人事部も私のしつこさに負けて、通してくれた。

ここで学んだ教訓は、社内人事に希望があったら、しつこいくらいに言い続けることだった。留学から戻ってからの人事でも、しつこくしつこく希望を言い続けていたら、そのうち、こいつうるさいなあ、何とかしてやってもいいか、というようなことがあったので役立つ教訓だと思う。人事はしつこく希望を言い続けるに限る。

でも英語は一応勉強した。今アメリカに住んでいてもまだ満足に話せなかったり、聞き取れないことも多々あるけど、TOEICはなんとか800くらいを取った記憶がある。そしてあとは論文。ビジネススクールに行く予定だったので、留学から戻って来て何をするかを書かないといけなかった。その当時、私はドメ企業のさらにドメの購買部門にいたので、いったい戻ってきて何をするのか考えも及ばなかった。海外のベンダーから購買するとか、海外の手法を学んで役立てるとか無理なストーリーで通した。

社内選考を通って一安心と思っていたが、実際のビジネススクールの試験はもっと大変だった。会社によっては、トップ10のMBA(Master of Business Administration)でないとダメだとかあったが、幸運にもおれがいた会社はそこまで厳しくなかった。従業員に海外志向が少ないこともあり、そこまで優秀な海外志向社員がいなかった。だがTOEFL、GMATという英語試験とエッセイを書いて大学院にアプライするのは、想像以上に大変だということに初めて気付いてしまった。トップ10なんてとんでもない。何とかトップ50に入れればと、高校以来の受験戦争に逆戻りした。


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