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私もみどりになりたくなった

息子が外出できるようになってから、二週間に一度ほど図書館に通っている。

息子の名前で作成した図書カードで、上限の10冊まで、当てずっぽうに選んで借りる。

借りるときはいちいち内容を確かめたりしないので、家に帰って初めて読むとき、私も一緒に…というよりは、どう考えても私のほうが、びっくりしたり、わくわくしたり、感動したり。
すっかり、絵本の魅力にやられている。

おやまをこえて、のはらをこえて、おさじさんがやってきてくれたときは、なんて頼もしいんだ!と感じたし、

はらぺこだったあおむしが、最後、立派な蝶になったときには、その美しさに思わず息をのんでしまった。

乳児、せいぜい幼児の棚からしか、本を選んでいないのに、こんなにたった数ページ、数行ずつの物語に、心が揺さぶられるのはどういうことだろう。

その中でも特に、一番心に残っているのがこの本。
(※以降、ネタバレします。)



スイミーやフレデリックで有名なレオ・レオーニ作で、
表紙の通り、あおくんと、きいろちゃんの話。

あおくんは、きいろちゃんと遊びたくて探しに出かけ、二人は街角でばったり出会います。

あおくんと きいろちゃんは うれしくて
もう うれしくて うれしくて
とうとう みどりに なりました


翻訳も本当にすてきです。

みどりになった二人は存分に遊び、家に帰るのだけど。
なんと、あおくんの家族もきいろちゃんの家族も、みどりになった二人を、自分たちの子どもだとわからない。

「おや この みどりのこ うちの あおくんじゃないよ」
あおくんの ぱぱと ままは いいました
こっちでも
「おや この みどりのこ うちの きいろちゃんじゃないよ」
きいろちゃんの ぱぱと ままも いいました


二人は悲しくなって、泣いて、泣いて、全部なみだになるまで泣いて、
そして、あおの涙はあおくんに、きいろい涙はきいろちゃんになり、二人はまた、あおくんときいろちゃんに戻ります。

「これなら ぱぱや まま きっと まちがえっこないね」

あおくんと再会した、あおくんの家族は、
一緒にいたきいろちゃんを抱き上げた自分たちがみどりになったことで、ようやくわけがわかります。

そして最後は、あおくんの親ときいろちゃんの親も、みどりに混ざり合うのです。

おやたちも うれしくて やっぱり みどりに なりました


孫にせがまれて、即興で作ったというこの絵本。
人種融和を暗示しているともいわれますが
(ちなみに、作者はユダヤ系で、第二次世界大戦中にイタリアからアメリカに亡命。当時のイタリア、そしてアメリカでは、どんなに切実なテーマだっただろう…と思うと胸が詰まるのですが)、

そうした深刻な側面をさておいても、
全体にすごく温かく、奥深く、その世界に安心して浸ることができます。



最近の私は、相も変わらず育休中で、だいたい息子と二人で家にいる。

息子は、本当にありがたいことにすくすく育っているのだけど、まだまだお喋りなんかはもちろん遠く、少しずつ見えてきた彼の意思を、見逃さないように必死に見つめているような状態。

「嬉しいね」と笑いかければ、笑ってくれて、
頭を打った時なんかに「痛かったね」と顔をしかめると、それに合わせるように泣いたりする。

そんな息子を、私はたまに、自分の鏡のように感じることがある。

うまく言えないけれど、息子という他人と一緒にいるのに、
ずっと、あおくんの自分、そのままでいるように感じてしまうことがある。

…いや、息子がどうのという以前に私は、小学生の頃からずっと、人と接する時に構えてしまうタイプで、なかなか簡単に人と混ざり合うことができないのだけど。

そんな私でも、人と混ざりあえたような楽しさを、人生で一度や二度は経験しているわけで。そのときの嬉しさ、そして嬉しさに拘泥しなくなるほどの楽しさを、「あおくんときいろちゃん」ふたりを見ながら思い出した。

軽やかに、楽しげに、みどりに混ざり合うふたりを見て、いいなあ、と心底思った。

相手に興味を持って、他人と一緒にいる楽しさを感じて、すっかり気楽にはしゃぎ回って。そんなふうに、私もみどりになりたいと思った。

コロナが長引き、すっかり人とお喋りすることが減って、根本的なコミュニケーション欲が満たされていないせいもあるかもしれない。
誰かとたくさんお喋りして、自分という部屋の空気を一度、すっかり入れ替えたい気分になっている。

とはいえ、コロナや私個別の事情を差し引いても、この絵本は本当に素敵で、なんだか人間の根源的なところに訴えてくれる。

あおくんときいろちゃんが出会ったシーンではただただ嬉しくなるし、親たちにわかってもらえなかったシーンは、何度読んでも絶望を感じる。

みどりからそれぞれに戻って、また親に会いにいく時には、たくましい明るさを、
親たちがわかってくれたときにはこの上ない喜びを、
あおくんの親たちが、きいろちゃんのおうちに説明にいく時には、一緒になってわくわくする。

最後、「こどもたちは ばんごはんまで たのしく あそびました」という一文まで読んだとき、温かな情景のなかで肌の温度が上がるように感じる。
私はもう親なのに、この一文を読み終えたとき、自分がすっかり、子ども側にたっていたことに気づかされる。


ああ、もっと人と交わりたいな。
誰かと仲良くなりたいな。

例えば、こんなふうに興奮しながら、一冊の絵本についてお喋りできたら、なんて幸せなんだろう。

そんなことをしみじみと感じさせられた一冊でした。

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