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考えただけでルンルンする店

週末のテレビに、「オクシタニアル」のパティシエールの方が出ていてびっくりした。オクシタニアルは私たち夫婦が一番好きなケーキ屋さんだ。

私たちは甘党なので、出かけて少し休憩したくなると、ついカフェに入って、ついついケーキを頼んでしまう。
オクシタニアルは東京の水天宮の向かいにあって、偶然立ち寄ったのだけど、初めて食べたときはあまりの美味しさに夫婦で顔を見合わせたくらい。

それはただものではない美味しさだった。

ひと口に、いろんな味覚や匂いが閉じ込められてすごくカラフル。「甘い」とか「濃厚」とか一言でいい表せない、新鮮で驚きのある絶妙なバランス。それでいて行き過ぎた刺激や、やりすぎた感が全くない。もう、ただただ美味しい。
見た目も宝石のように端正で美しいそのケーキをいただきながら、「知らなかった味」を食べる幸福をひしひしと噛み締めた。


それから水天宮に行ったときは必ず立ち寄る。私にとって、もはや水天宮が目的なのか、オクシタニアルが目的なのかわからなくなりつつある(!)。

一度、夕方に伺ったときにほとんどケーキが残っていなくて、「バジルのチーズケーキ」というのをいただいたことがある。
以前、別のお店で「バジルのジェラート」という壮絶な味のものを食べたことがあり、さすがにこれはどうだろうと恐る恐る頼んだのだけど、そのチーズケーキは見事に完成されていて、間違いなく美味しかった。
あれを食べてから、私たちは完全にオクシタニアルを信頼している。もしオクシタニアルで豚足のケーキが並んでいれば、私はそれを、期待に胸を膨らませながら頼むと思う。

近くの東京駅の大丸に行けば、古今東西有名店のケーキが手に入る。
クリスマスだ誕生日だといろんなケーキを買ってみたけれど、今はもう、「できることならオクシタニアル」という一途な気持ち。近づいてきた今年のクリスマスも、オクシタニアルとセットに考えると、急に輝きが増して見える。


オクシタニアルに行く予定ができると、私はそれだけでルンルンする。元気になるし、小さなことが気にならなくなる。そのことを考えるとスケジュールに色がついたように思える。

そして、幸せなことに、私にはそういうお店がいくつかあり、ここでもうひとつだけ紹介させて欲しい。

築地「魚竹」の鮭の照り焼きランチについて。


これは仕事でお客様訪問の際に、偶然通りかかったのだけど、店の前の道路にまで、尋常ならざる美味しい匂いが充満していた。

一度目は気になりつつ素通りしたのだけど、二度目にはもう、我慢できなかった。匂いにつられてお店に入ったのなんて、生まれて初めてだった。

ぎゅうぎゅうのカウンターで、おじさまたちに混ざって焼き鮭ランチを注文した。

目の前では、炭火で魚が次々に焼き上げられていく。期待に胸を膨らませ、ほどなく提供された焼き鮭定食。これがもう、「ほっぺたが落ちるというのはこのことか!」といわんばかりに、最高に美味しい。

ふかふかで甘い白米、出汁が効いたお味噌汁、懐かしいわかめとしらすの酢の物、最後に供される炭火でふっくらと焼き上げられた、肉厚の照り焼きの鮭。

ああ、日本人でよかった! 美味しい匂いに素直につられてよかった!

帰り際、お店のおばちゃんに「お待たせしましたね、ありがとうね」と優しく言われた。おばちゃん、私が入口で2人分待っていたことを、しっかり食べ終わって出て行く今まで覚えていたのである。すごい。すごいなぁ。田舎人の性なのか、こういうやりとりに一気にぐっときてしまう。

築地魚竹、あとで食べログを調べると、評価の高さもさることながら、ご飯とお味噌汁はおかわり無料、なんとお味噌汁は2杯目は具材を変えてくれるらしい。くぅ〜!なんて素敵なお店なんだ!そして2杯目飲みたかった…!ということですっかりファンになってしまった。

コロナ禍でしばらく在宅勤務が続いたあと、久しぶりに、魚竹の近くを通りがかることになった。
飲食店の苦境は報道のとおり。お客様への訪問時間を昼過ぎに無事調整し、気合を入れてお店に行くと、なんの心配もいらない、お店は見事に満席で、定食は変わらず美味しかった。普段のランチは500円までと決めているアラサーの小娘が、なけなしの1000円を握りしめて胸を高鳴らせて行かなくても、常連様たちでしっかりと店は賑わっていた。


ここまで書くと、私が妙にグルメな人のように聞こえるかもしれないけれど、たぶん全然そうじゃない。
外食して美味しくなかったと思ったことはほとんどないし、正直「オクシタニアル」と「魚竹」の次にルンルンするのは、「スシロー」と「ケンタッキー」と「ねぎし」である。(ちょっと贅沢…?)

外食をしない倹約な家庭に育ったせいか、20代の頃は「お金を使う」ことに、不安や後ろめたい気持ちがぼんやりとあって、ついつい100円をケチりながら生きていた。

コンビニでご飯を買うときも、500円の美味しそうなチルドものより、おにぎりとカップ麺で350円で済ませる。250円のスイーツが輝いて見えても、110円のプリンで我慢する。
服を買うときも、7000円のニットが可愛くても、4000円のプチプラを買う。

だけど、そうしていくとなんだか欲求不満が溜まってきて、いつの間にかふらりとコンビニに寄って甘いものを食べてしまう。服だって、たくさんあるのに着たい服がなくて、結局毎年プチプラからプチプラへ買い替えていた。
それでも節約している気でいた自分を抱きしめてあげたい。お金を使うことを不安があるあまり、逆にお金を上手に使えないでいた自分を。


そういう自分から脱皮できたのは30歳をすぎて、鬱だ不眠だでグラングランだった精神がなんとなく安定して、「お金を使ってとても幸せな気分になるって悪いことじゃないよ、いいことだよ!」と思えるようになったから。

なるべくお弁当を作ってコンビニ飯を減らし、その分、買うときは一番食べたいものを買って満足する。多少の値段よりも、一番自分に似合う、好きなものを気に入って買って、大切に手入れをして長く使う。

初めて礼服以外をクリーニングに出したのも、ヒールの先っぽを靴屋さんで修理してもらったのも、お気に入りの鞄をメンテナンスに出したのも、私は全部30歳をすぎてからだった。

そういうことができるようになってきてやっと、私は「魚竹」に一人で入れるようになったのだった。

魚竹や、ほかの美味しいとっておきのお店に入り、安心して、存分に、幸せを噛み締めているとき。
私は、上手にお金を使って自分のご機嫌をとれるようになった自分を、心の中で「えらい、えらい」と褒めてあげたい気分になる。



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