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強迫性障害と赤ちゃん

はじめに

現在24歳、今年で25歳になる年だが、自分の将来について考える事が頻繁にある。仕事(キャリア)の事はもちろん、結婚や赤ちゃんについても考えるのだ。仕事に関しては絶賛毎日といっても過言ではないほど悩み、悩み、そして悩んでいる。だが、今日は仕事ではなく、「赤ちゃん」にフォーカスをして記事を書いていきたい。

子供に対する思い

前の記事でも書いたと思うが、前職も現職も子ども関係の仕事に就いている。生粋の子供好きなのだ。仕事で子どもに対する思いを発揮するのはもちろん、プライベートにおける友人との付き合いの中でも私の子ども好きは出てくるのだ。それは、友人の可愛い可愛い子供と遊んでいる時、見ている時にはなんとも幸せな気分、嬉しい気分になるのだ。そんな出来事があると、「自分って本当に子供が好きなんだな」と思う。

自分の子どもを授かるという現実

そんな日常を送る中、『自分の子ども』ついても考える事がある。「将来、自分は子どもを授かるのだろうか?」と。周りが子どもを授かっている状況があるので、自ずと自分に焦点を当てる時があるのだ。でも、現実的に考えた時に「無理だろう」と思うのだ。それは、お金が足りないとか、自分はまだまだ自由にやりたい事があるとか、もちろんそのような理由もある。だが、「子どもを育てる」という事に関して考えなければいけない事が「強迫性障害」が絡んでくる可能性がある。いや、絡むだろう。

というのも、赤ちゃんを育てていく中で、当たり前だが『おむつ交換』や、『嘔吐処理』なんて日常茶飯事だろう。「いやいや、今の生活(自分中心で回っている生活)でも大変な事がいっぱいあるのに、現実的に無理だなぁ」となってしまう訳なのだ。もちろん希望も抱いている面もある。それは、自分の愛する子どもができて、そのためなら『おむつ交換』だって、『嘔吐処理』だって「きっと大丈夫!」ということだ。でも、ここで注意したいのは「きっと」という事なのだ。実際赤ちゃんを授かって、いざそういう場面になり、やってみる。「お!全然大丈夫だわ」か、「無理そうだ・・・」となるのかは本当にわからない。なので、病気のそのような加減が分からない状態で「子どもを授かりたい」という思考には、現時点では行きつかないのである。

まとめ

今回の件に限らず、理想と現実では違う事が多々ある。だからこそ、考え、行動していく必要があるのだ。自分の人生なのだから。

今日も読んでいただきありがとうございました。

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