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たくましいリーダーになりたい人は、SF『天冥の標』全17冊を読め。

昨今の政治ニュースを見て、「なんだよリーダー不甲斐ねぇな」と息巻いている人はいないか。

では、あなたが何億人もの人間を主導する立場、あるいは僅かに残った太陽系人類のすべてを背負う立場になったとき、どれだけ「的確な判断」を下し続けられるだろうか?

そんな思考実験ができるのが、SFの面白さだ。

今年、第40回日本SF大賞を獲った、小川一水さんの長編『天冥の標』(てんめいのしるべ)全10巻17冊。西暦2800年頃の宇宙戦争とかを描くSF大作なのだけれど、私は「統治者」の描写が群を抜いて優れた作品だと評価している。

このnoteでは若干のネタバレを含みつつ、注目すべき「たくましいリーダー」2人にフォーカスして、読みどころを紹介したい。


①1巻のエランカ・キドゥルー

『私が世界を握るわ』

1巻『メニー・メニー・シープ』で活躍し、最終巻まで活躍を続ける「大統領」。彼女は、パッとしない「議員の娘」からスタートして、植民地メニー・メニー・シープ全土を股にかけ、歩き、対話し、説き伏せ、励まし、煽り、糾合し、ついには領主ユレイン3世を打倒する「革命」を成し遂げる。

彼女は、本当にパワフルだ。たくさんの抵抗に遭いながらも、ついには保守的な議会の過半数を味方につける。ラバーズのラゴスをはじめとするキーマンとの関係を強め、辺境を訪れて羊飼いたちに会い、その力になる。

こうやって革命は起こすんだ、という学びがある。普段の仕事でも役立つ、政治的(political)な人間関係を築き方のお手本を見るようだ。みんなエランカの真似するといい。できるものならね。

そして、体制はただ壊すだけじゃ解決しないという残酷な事実を、この作品は1巻からいきなり提示してくる。革命によって体制を破壊した後には、自ら統治するフェーズがやってくる。そして壊す力と、新しいしくみを作り上げて浸透させる力は、全然違う。危機への対処方法も違う。

1巻『メニー・メニー・シープ』は、伏線を貼りまくって何一つ回収しない、絶望に満ちた謎だらけの終わり方をするけど、8巻(上)あたりで追いつくので、安心して読み進めて欲しい。


②7巻のハン・ロウイー

「おれはもう! こんな要求の山、理不尽の山、どうしたって! こんなのは、どうすれば!」

全17冊の中で最も「重い1冊」を選ぶなら、7巻『新世界ハーブC』だろう。その前の6巻『宿怨』で太陽系人類はほぼ絶滅し、そのたった5万人の生き残り(ほとんど子ども)が、準惑星セレスの地下シェルターに暮らす。そこに自治組織「オリゲネス幹部会」を樹立した、スカウトの少年たち。その長が、ハンだ。

7巻を読むと、混沌とした人間集団の中から秩序が生まれていく様子を観察することができる。人が集まれば、誰か仕切る奴が当然出てくる。そのリーダーのスタイル、考え方、行動によって、集団の文化が決まる。ハンたちは「スカウト」(ボーイスカウトみたいなやつ)の基礎技能と、理念と、「チームとしての信頼関係」が元々あったから、渾沌の中でもどんどん上位の秩序になっていった。オリゲネスの秩序のバランスは、かなり良いように思えた。残念ながらハッピーエンドにはならないんだけれど。

それにしたって、有象無象の人間集団を率いる立場の難しさ、苦しさ、逃げられなさ、救いのなさは、一体どれほどのものなのか。冒頭の引用に、ハンの苦悩が顕著に表れている(これは転換点となるある事件が起こる直前、「大人」であるオラニエ・アウレーリアとの会話に出てくる)。

ハンを追っていくと、ひとを率い続けることがいかに辛いことなのかを、つきつけられる。仲間に恵まれたハンは決してひとりではないのに、やっぱり究極的には孤独な権力者としての決断をしなくてはならない。

物語の後半では「政権交代」が起こる。その時のハンの「重責を手放せてほっとした感じ」は、めちゃくちゃ複雑な感情を引き起こす。政権奪取した側も、ハンの苦しみを十分わかった上で、それでも代わって、変える決断をするわけ。

ハンはほんとによくやったよ。どうしたって、誰がが仕切んなきゃいけないんだ。スカウトのリーダーとして、ぎりぎりまでそれを引き受け続けた気概に、敬意を表する。

7巻は徹頭徹尾、残酷である。刮目して読むべし。

そして、9巻10巻の宇宙人との闘いはかなり難しいので、8巻を終えたらまた1巻に戻るのもいいかもね。あと4巻のセックス特集も苦手な人は流し読みで進むのが吉。


その他の気になるリーダーと統治

◆2巻『救世群』では、致死率90%越えの伝染病「冥王斑」がアウトブレイクした東京を描くシーンが出てくる。これ、コロナ禍全盛期にリアルタイムで読んでいたのだけれど、社会封鎖のシミュレーションとしてよくできているのだ。児玉圭伍の上司・柊部長の視点で、新宿御苑の風景をどうやって現実化するのか? をイメージするのも面白い(高難度)。

そしてこの巻ではもう一人、救世群の始祖・千茅(ちかや)が、患者群の中で中心的存在になっていく過程を追いたい。彼女もまた、行動と対話を積み重ねて人心を掌握していくのが、エランカのスタイルわとも重なる。

◆8巻以降の終盤戦では、つよい戦士たちを率いる明るくてつよい《提督》、アクリラ・アウレーリアの振る舞いに注目。戦士という集団はある意味単目的でわかりやすいが、感情的対立も起きやすい。9巻でコミュニティに舞い戻り、「長の代理」をしていたスリーピーヘッドと対峙するシーンは見事だ。優れたリーダーを抱いた戦闘集団は、強靭になる。ルッゾツー・ウィース・タン!

◆8巻『ジャイアント・アーク』の後半では、別都市の利害を代表する議員ガランド・アル・イスハークの立ち回りと、エランカとの違いに注目。それぞれの性格が生きるシーン、生きるポジションがある。それがうまく噛み合うと、双方ハッピーになれるんだね。イスハークがいたから、終盤エランカは無理のない、最適な立場で動き回れることになった。

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この大作、私は今年2月末から5月17日までかけて一気に(途中10巻Part1で若干挫折しつつ)読み終えた。実に大作だ。沼だ。

SFは人生の教科書と言っていいだろう。人類を、宇宙を背負って立つ個性的なキャラクターたちの姿に、読者である自分自身をどっぷり重ねて、『天冥の標』の世界をぜひ楽しんで欲しい。


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