【連載小説】「好きが言えない 2」#17 再会
星野監督の指導の下、僕たちは「考える野球」をする日々を送っている。一死一塁の時はどう投げさせるか? 先制を許した次の回の攻撃はどうするか? など。
一球ごとに頭と体を使うから、終わる頃には誰もがヘトヘトになっていた。
それでも僕は満足できなかった。この程度で根を上げていては、優勝決定戦まで保ちやしない。もっと体力をつけ、技術力を向上させなければ一勝さえ遠い。部活動が終わって帰宅したあとでも、素振りやランニング、今日指導を受けた内容の復習をしなければ落ち着かない。
いつもはそんな僕に水沢も付き合ってくれる。が、今日だけは違った。
「永江、きょうは先にうち、帰っててくれる? ちょっと……用事があるんだわぁ」
部活中から何だかそわそわしていると思っていた。今だって、早くこの場から離れたいという空気が伝わってくる。
「用事、か」
「そう。用事。じゃ、そういうことで」
水沢はそう言うなりスマホを取り出し、誰かに連絡をし始めた。
彼の隠し事は実にわかりやすい。いや、男なんてみな同じように嘘をつく。
薄々気づいてはいたが、たぶん水沢には彼女がいる。きょうはその「用事」があるんだろう。
彼なりに気を遣ってはいるようだが、僕としてはやり不満がある。気の知れた仲とはいえ、こんなときに「女」とは。
ため息をつき一人、川越駅に向かう。帰宅ラッシュ時の駅は混み合っている。いや、どうやらそれだけではない。電車が止まっていて駅に人があふれているようだった。駅員がしきりに客の対応をしていたり、アナウンスをしたりしている。
急いでいるわけではないが、面倒なことになった。僕はどうしたらいいか分からず、改札の前でしばらくのあいだ呆然としていた。
すると、
「あっ、部長。どうしたんですか?」
背後から明るい女の声が聞こえた。春山クンだった。
「やぁ。電車が止まっているらしくてね。帰るに帰れないんだ。それはそうと、君は電車通学ではなかったはず。なぜ駅に?」
「家族に買い物を頼まれたので。うち、川越駅からすぐのマンションなんです」
「なるほど」
彼女は自宅マンションがあるらしい方角を指さした。と、そのとき、どこからかギターの音と歌声が聞こえてきた。ちょうど、彼女が指さした方からだ。
「あっ、きょうは来てるんだ!」
彼女は突然はしゃぎ始めた。
「来てるって、誰が?」
「ストリートミュージシャンの『サザンクロス』ってグループです。このあたりで活動してる三人組なんですけど、私、結構気に入ってて時々お金入れてあげるんです。ほんのちょっとですけど」
素人のバンドにお金を投じる感覚が全く理解できなかったが、彼女は「部長も聞いてみたら分かりますよ。行きましょうよ」と腕を引っぱった。電車が止まっている状況では、断る理由が見当たらなかった。
三人組のうち、ボーカルは女性、残りが男性でギターを弾いている。
春山クンはなんだか嬉しそうに彼らの曲に耳を傾けている。思えば、はやりの曲どころか野球以外のことは何一つ関心を持てないでいる。改めて自分は、馬鹿がつくほど野球一筋なのだと認識する。
「もしかして、コウちゃん……?」
歌が終わると、ボーカルの女性が僕の名を呼んだ。そんなふうに呼ぶ人は少ない。僕は化粧をした女性の顔をしばらく見たあとでようやく思い出した。
「麗華さん……? こんなところで何やってるんですか」
水沢の、四つ上の姉だった。僕が中学生の時にはまだ家にいて顔を合わせることもあったが、彼女が大学進学を理由に家を出てからは会うこともなくなっていた。
お互い、すっかり容貌は変わっている。それでも向こうは僕だと気づき、僕も麗華さんだと分かった。不思議だった。
「あれ? 部長の知り合いですか?」
春山クンは僕と彼女の顔を交互に見た。
「水沢のお姉さんだ。僕と彼は中学の頃からの付き合いでね……。麗華さんにも何度か会ったことがあるんだ」
「そうなんですか?!」
春山クンは妙に興奮していた。その隣で、僕と麗華さんはどう振る舞えばいいか分からず、互いに見合ったままだった。
彼女は僕のことをじっと観察していた。が、そのうちにぽつりと言う。
「コウちゃんの顔を見ていたら、この歌が歌いたくなったわ。きっと気に入ると思う」
次はこれで行きましょう、女性はメンバーにそう声をかけ、楽譜を広げ始めた。
僕の顔を見て選曲? 一体何を歌おうというのだろう?
麗華さんは深呼吸を一つすると、ゆっくり歌い始めた。
果てしない夢 いつか叶えたいと
語り合った 幼い頃
見るものすべてが 美しかった
夕日のオレンジ 空の青
木々の緑 桜色
心揺れた景色は いまも 色鮮やかに
強く生きていくと 誓ったあの日
僕は僕を超えたんだ
まっすぐな どこまでも続く道をゆく
立ち止まっちゃいけないと
いつでも全力なんだ マイウェイ
☆
ひとりでは夢 叶えられないと
落ち込んだ 春の夜
見るものすべてが にじんで見えた
雨空の下 傘も差さずに
冷たい雨に 打たれてた
傘を差してくれたのは ともに歩んだ仲間
ひとりで生きていくと 誓ったあの日
僕は僕を超えれなかった
まっすぐな想いだけじゃ ダメなんだって
仲間がいるから強くなれる
もっと全力なんだ ずっと
☆
ひとりじゃ届かない歌声も 届く みんなとなら
まっすぐな どこまでも続く道をゆく
立ち止まってもいいんだと
教えてくれた ありがとう 友よ
歩いて行ける 僕はもう ひとりじゃないから
目の前で誰かの歌を聴いたのは初めてだった。そして、不覚にも聴き入っていた。
なぜか、胸が痛んだ。こんな感覚は味わったことがない。これが歌の力というやつなのか。にわかには信じたくなかった。
麗華さんは歌い終わると微笑んだ。
「最後まで聴いてくれてありがとう。私たちの想い、届いたかな?」
どう答えていいか分からなかった。春山クンを見る。察しのいい彼女が僕の代わりに口を開く。
「とっても良かったです! 麗華さんの歌声も素敵でした!」
「ありがとう。良かったらもっと聴いていって」
「あ、そういえば私、お遣い頼まれてたんだった! すみません、また来ますので、きょうはこの辺で」
彼女は財布から小銭を何枚か取り出すと、置かれている小さな箱に入れた。なんとなく気が引けたので、僕も彼女に習って小銭を投じた。
「また来てね。いつでも待ってるから」
それは僕に向けられた言葉のように思えた。
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