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【連載小説】「好きが言えない 2」#25 一歩、前へ…

「監督。最近の永江の様子を見てどう思いますか?」

 永江がチームに合流したのを見て、今度はおれが監督の元を訪れた。きっと例の「愛の宿題」について話していたのだろうと想像する。だからこそ、聞いてみたいと思ったのだ。

 監督は終始笑顔で、
「永江がいい顔をしているからチームがまとまっている。いい傾向じゃないか」
 と答えた。

「それほどまでにキャプテンの影響力は大きいってことですか」
「いや、キャプテンと言うよりは永江の影響力だ。彼にはそういう力が備わっている。聡明かつ発言力もあるからな。……中学生の頃の永江は快活で、よく笑う子だったよ。その、本来の彼に戻っただけだとわしは理解しているよ」

 監督の言葉にはっとする。
 三年間、心の壊れたあいつを見てきたからすっかり忘れていたが、確かにそれ以前の永江はもっと「いいやつ」だった。誰からも愛される、心根の優しい人間だった。そうか。あいつは元の自分に戻ったのか。

「水沢。もうちょっとだけ永江の心を支えてやってくれよ」
「はい。そのつもりです」
「彼が自分で自分を支えられるようになったらそのときは、君も『愛』のために生きればいい。君はもう、知っているんだろう?」
「えっ……」
 一瞬ドキリとしたが、直後に監督の言ったことが理解できた。
 そうか。キーワードは「愛」。今の永江に必要なもの。


 その日の晩、永江と一緒に帰宅するとなぜか母ではなく、姉が出迎えた。俺も永江も玄関先で固まってしまった。

「……何でここにいるんだよ?」
 俺はかろうじてそれだけを口にした。

「何でって、夏休みだもん。実家に帰ってきたっていいじゃない」
「これまで夏休みだからって帰ってきたこと、なかったろうが。絶対なんかある」

 なんか、とぼやかしたがおそらく永江に会うためだろうと直感する。永江もそう感じているからか、目を伏せ、姉を見ようともしない。
 そうと知ってか知らずか、姉は単刀直入に言う。

「あたし、コウちゃんにどうしても直接謝りたくて。昨日のこと、ごめんなさい。呼び出した上に、コウちゃんのことをイメージした歌詞を書いて歌ったりして気を悪くさせてしまったわよね。ほんとうにごめんなさい」

 永江はしばらく黙っていた。沈黙に耐えかねてフォローしようとしたとき、
「……いえ。あの歌があったから僕は前に進めたんだと思います」
 と永江は自らの言葉で伝えた。

「正直言って、最後まで聴くのは辛かったです。それだけ僕の心は揺さぶられた……。感想も伝えずに立ち去ってしまった僕の方こそ謝らなければいけないですよね。すみませんでした」

 永江は冷静に語った。俺なら間違いなく姉を非難しているところだが、永江は違った。いや。夕べ、内側に閉じ込めていた感情をすべて吐き出したからこそ、こういう対応が出来たのかもしれない。そしてそのきっかけを作ったのが姉の歌……。

 永江の言葉を聞き、姉は少しほっとした表情を見せた。
「あたし、コウちゃんのこと、本当に家族の一員だと思ってるのよ。だから、困っているなら力になりたいって、そう思っただけなの。今の言葉が本心なら嬉しいな」

「麗華さんの歌には、家族のことを考えるきっかけを与えてもらいました。まだちゃんとは向き合えませんが、自分の中の答えが見つかったらそのときはまた歌を聴かせてください」
「分かったわ。そのときまで待ってる」

 永江の表情はどこかさっぱりしていたし、それを見た姉もまた満足そうにうなずいた。そして、
「じゃあ、あたしは帰るわね。近くに彼氏を待たせてるの」

 そう言って少ない荷物を手に持つと、風のように表へ行ってしまった。それに引きずられるようにして母が奥から顔を出す。

「まったく、忙しい子ねぇ。突然帰ってきたかと思えば、用が済んだらすぐに出て行っちゃうんだから」
 ごめんなさいねぇ、孝太郎君。母は困った顔で謝った。永江はそれには答えず、少し口角を上げただけだった。


 部屋に上がり、食事を待つ間永江に問いかける。
「……本当に、迷惑じゃなかった? 姉貴のこと」

 いきなり目の前に現れて場をかき乱していったのだから、俺でも心配になる。永江は相変わらず落ち着いた声で言う。

「……正直に言えば、金槌で殴られたような衝撃だったよ、昨日の歌は。でも、今の僕にはそのくらい強い衝撃が必要だったんじゃないかって思う。自分一人じゃ、絶対に方向転換できそうもないから」

「……無理してねぇか?」
「庸平は心配性だな」
「だってお前……」
「僕はもう、三年前とは違う。……そう、あれからみんな、変わってるんだ。僕も君も……麗華さんも、親も」

 その言葉を聞いて、永江はもう大丈夫だと悟った。見張るようなこともしなくていいんだと。

 安堵している自分がいた。永江が自分を取り戻したことに対して。それと、俺自身が自由を取り戻したことに対して。

 母がよく作るカツ丼が食卓に上る。いつもと変わらないはずなのに、どこかの店で出てきてもおかしくない盛り付け方に見え、自然と箸がのびた。そこへ母がにこやかにやってくる。

「明日は大事な試合でしょう? しっかり食べなさいね。そうそう、きょうはお母さん、お料理の雑誌で紹介されてたトンカツの揚げ方を試してみたのよ。どう? きれいに揚がってるでしょう?」
 なるほど。どおりで旨そうに見えたわけだ。

 あれからみんな、変わってる。
 永江の言葉がよみがえる。
 そうか。みんな、成長してるんだな。ってことは、俺も成長してんのかな……。

 自分のことほど見えにくい。けど、きっと成長してるって思いたい。だってこの三年間、俺だって必死に野球に打ち込んできたんだから。野球の鬼の永江に負けないように。永江を諭すとき、お前にだけは言われたくないって反論されないように。

「大丈夫。あなたたちならきっとやれる。ずっと頑張ってる姿を見てきたんだもの」
 俺の心配を見抜いたかのように母が言った。

 そうだ。俺なら、俺たちならやれる。母の言葉がここぞというときに俺の気持ちを後押ししてくれる。

「ありがとうございます。最高の試合が出来るよう、全力で頑張ります」
 永江が箸を置き、かしこまって言った。なかなか顔を上げなかった。数秒、時が止まったかのように思えた。

「冷めないうちに食おうぜ。力つけて、きょうは早く寝とこう。明日のためにも。なっ?」
 永江の肩を叩く。俺にはそう言ってやることしか出来なかった。

   *

 長い間忘れかけていた、いや、今まで感じたことすらなかった温かさが僕の胸を包み込んでいる。この心地よい温かさが消えないうちに、僕はメールを送ろうと思った。

 僕から母にメールを送ったことなんて今まで一度もなかったんじゃないか。あったとしても忘れてしまうくらいにはずっと昔のことだろう。
 打ち込む文章はもう考えてある。たった一言。けれど、僕の気持ちのすべてを込めて送信すると決めている。

 水沢がシャワーを浴びている間、僕はスマホを取り出してメールの送信画面を開いた。
 文章を打ち込む。ややためらったが、打った勢いで送信ボタンを押す。メールはあっという間に「送信完了」になってしまった。

 ふぅっと長く息を吐き出す。
 いい加減、僕も前に進まなきゃいけない。父の死を乗り越えなければならない。そのためのメールだ。

 先にシャワーを済ませている僕は、水沢が戻ってくる前に布団に横になった。返信があろうがなかろうが、僕は僕に出来ることをした。あとは明日の試合に全力で臨む、それだけのことだ。


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