【連載小説】「好きが言えない 2」#20 宿題
「僕は何も間違っていません」
これは紛れもない真実だ。なぜみんなは、あんなふうにミスをするのか。人間だから仕方ないとか、緊張しているときは誰だってミスくらいするとか言うけれど、全部いいわけだ。全神経を飛んでくる球に意識を集中させれば絶対に捕れるはずなのに。
しかし監督は、そんな僕の考えをへし折るかのようにため息交じりに言った。その考えが間違っていると言っているんだ、と。
「永江は昔っから真面目すぎるんだよ。それから頭が固い。自分の意見を持つことは大事だが、柔軟に対処することはもっと大事だ。それこそ、『生きた』野球をしているわしらにとってはな」
「…………」
「話は変わるが、永江は誰かを好きになったことはあるか?」
「……は?」
唐突に何を言い出すのかと思えば。監督は気が狂ってしまったのだろうか。それとも僕の聞き違いだろうか。
「今、なんておっしゃいましたか?」
「恋愛したことあるか、と聞いたんだ」
「……ありません。だって、そんなことに時間を割くのは無意味でしょう? 恋愛している時間があるなら僕は、1分でも長くバットを振ります」
「あー、これだからお前は頭でっかちだと言っているんだ」
監督は手で顔を覆った。
「人は、愛する者のためなら頑張れるものなんだよ。それが恋人でなくてもいい。家族のためであっても、勝利をプレゼントしたいと思えば自然と本領を発揮できる。もちろん日々の努力あってこそだが、そういう心の支えというのは人を強くするものだよ。わしのいうことが分かるか?」
「……よく、分かりません」
「そうだろうな。今のままでは分かるまい。……宿題を出そう。次の試合までに一つ、野球以外で夢中になれるものを見つけてこい。何でもいい、小説を読むのでも、絵を描くのでも、音楽を聴くのでも、ほかのスポーツ観戦でもかまわない」
「そんな……。練習が優先ではないんですか?」
「永江はもう、十分すぎるほど練習に打ち込んでいる。君に足りないものは『情熱』だよ。いや、『愛』と言ってもいいかもしれないな。とにかくそれを持つことだ」
僕が最も嫌っている「愛」を監督が語っているだなんて信じられなかったし、受け入れられなかった。
「宿題は監督命令ですか」
「そうだ。最低でも、見つける努力はするように」
冷静沈着で厳しいイメージしかなかった星野監督。だからこそ、最後の夏の大会で指揮を執ってもらおうと思ったのだ。それなのに、なんということだろう。病気の療養生活が、監督を変えてしまったのだろうか。
僕は混乱していた。そして、そんな頭のままみんなの元に戻らなければならなかった。
「お疲れさん……」
待っていた水沢が僕に声をかけてきた。続けて何かを言おうとしたが、その前に監督から耳打ちされて口を閉ざした。
僕だけに課された宿題。これは僕がこれまで出されたものの中で最も難易度の高いものだ。数字でも形でもない、目に見えない「愛」というものを自分の中に見つけろ、だなんて。
帰りしなの電車の中で、僕は何も考えることが出来なかった。思考停止、とでも言えばいいだろうか。水沢が「降りるぞ」というまで、下車駅に着いたことすら気がつかないほど頭の中は真っ白だった。
さすがにおかしいと思ったのだろう。駅の改札口を出たところで水沢が怪訝な顔で言う。
「いったい何を吹き込まれたんだ? 監督は上手く説得できたって言ってたけど、お前の様子見てたらとてもそうは思えない」
「んー……」
水沢に言うか、言うまいか。激しく葛藤する。しかし、一週間で監督命令と言われた宿題の答えを見つけられる自信がなかった。
「ああーっ……!!」
僕は空に向かって吠えた。
「何だよ、急に大声出したりして」
「……笑わずに聞いてほしい。もし、彼女が君に『次の試合でホームランを打ってほしい』と頼んできたら打てるか?」
水沢は目を丸くしたが、しばらく考えたあとで、
「……そうだなぁ。たぶん、ものすごい集中力を発揮して狙いに行くだろうな。彼女の姿が見えたら、そこに打つかも知れない」
「そうか。やはりそういうものなのか……」
「……監督に、何を言われたんだよ? まさか、彼女作れって言われたわけじゃないだろう?」
「似たようなもんだ」
「うへぇ! あの監督がそんなことを! 変わったなぁ」
驚く水沢に、僕は監督の言った「宿題」について話した。
「やっとつじつまが合ったぜ。なるほど、そういうことか。よりによって『愛』とはね。お前も大変な宿題を出されちまったな」
「僕はどうしたらいい? 愛の『あ』の字も分からないんだぞ?」
「そう言われてもな。まずは、身近な女の子と話してみれば? そうだなぁ、例えば春山とか。あの子なら話しかけやすいだろう? それに春山は、本郷のことが好きでずっと野球続けてきたって噂もあるくらいだ。何かヒントが得られるかも知れないぜ?」
「春山クン、か」
つぶやいてはみたものの、このときは彼女に対して特別な思いは抱かなかった。
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