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【連載小説】「好きが言えない 2」# 30 父

 歓声が一段と大きくなったように感じる。そこに母の声も混じっているのだろうか……。

 僕は昨日の夜、母宛にメールを送った。たった一言、文章とも言えないそれを見たからこそ、母はここへやってきた、きっとそうなのだろう。

 拒絶し続けてきた僕からの返信。それだけでも母にとっては大きな変化だったに違いない。僕だってそうだ。きっかけをもらわないままだったら、ここまで勝ち上がることすら叶わなかったかもしれない。母との対面は息をしていない状態だったかもしれない。

 僕はきっと、このあと母に会うだろう。自分でも何を言うかは分からないけれど、とにかく会う。向こうが歩み寄ってきたのなら、僕ももう一歩前へ出なければ、進まなければならない。

 昼前だというのに夏の日差しが容赦なく照りつけ、本郷クンの立つ当たりには陽炎が揺らめいている。
 この暑さを感じられるのも、僕が生きているという証だ。この、焦げ付くほどの暑さは夏の大会でしか味わえないと言ってもいい。

「どーんと来い! 君の絶好球を、どこにでも投げてくれ!」

 腕を大きく広げ、それからミットを構える。本郷クンは大きくうなずき、すぐに振りかぶる。
 初球は剛速球のストレート。バッターは手を出すことも出来ずにワンストライクとなる。

「まだ球速が上がるのかよ……」
 電光掲示板に表示された速度を見てバッターがぽつりとつぶやいた。

「彼の球はこんなもんじゃないさ」
 僕は揺さぶりをかけるように言った。

「ふん、そんな自信、へし折ってやる」

「残念ながら、今日の彼を止めることは不可能だ。この僕でさえもね」

 バッターは眉間にしわを寄せて本郷クンを睨み付けた。それを見ても彼は表情を崩さず次の投球をする。
 わずかにバットが球に当たる。完全に振り遅れている。球は空高く上がった。

「任せて!」
 春山クンが手を広げ、ファウルボールをキャッチした。

「ワンアウト! ナイス、詩乃!」
 本郷クンが吠えるように言うと、春山クンはニコニコしながら返球した。

「ちっ、女のくせに野球なんかしやがって」
 倒れたバッターが捨て台詞を吐いた。

「女性が野球をしちゃいけない理由なんてない。彼女は野球を心から愛している。そんなふうにしか言えない君とは違うんだよ」

 バッターは今にも僕に掴みかかろうとしたが、次のバッターがそれを制した。

「打ち取られたやつはなぜ打てなかったかを考えろ。負け惜しみは見苦しいだけだ」

 よく見ればそれは相手チームのキャプテンだった。なぜか、少し前までの自分の姿を見ているような気分になる。それは実際、正論ではあるが非情な感じがした。

「仲間に厳しいな」

「この状況下で情なんかいらないだろ。オレたちの夏が続くかどうかが懸かってんだから」

「僕もそう思ってたよ。けど、大会で勝つことだけがすべてじゃないよ」

「ふーん、なら負けてくれる?」

「あいにく、今日だけは負けるわけにはいかないんだ。君にもアウトになってもらう」

「なにをふざけたことを。ごちゃごちゃ言ってないで早くあいつに投げさせろ」

 さすがのキャプテンもいらいらした様子で本郷クンを見た。

「そんなに早くアウトになりたいなら、望み通りにしてあげるよ」

 僕はそう言ってすぐ本郷クンにサインを送った。彼はうなずき振りかぶる。
 バッターが動く。この球を狙っている。が、そうはさせない。
 球はバッターの目の前でぐんと落ちる。バットが球を切る。僕は変化したその球をしっかり掴んだ。

「ストライク!」

 彼のシンカーはよく落ちる。これを打てるバッターはなかなかいないだろう。目を白黒させるバッターにその後も次々決め球を投じ、あっという間に抑え込んでしまった。

「なぜ打てなかったか、ベンチで考えておくといい」

 僕は去って行く彼に向かってそう言った。彼は無言で戻っていく。ベンチに入っても誰も彼を慰めはしなかった。一人、ベンチの隅に座る彼は頭を抱え込み、動かなくなった。

「あと一人だ!」

 本郷クンが仲間を鼓舞する。天に掲げた一本指が頼もしく映る。

「最後のバッターにはならねぇぞ」

 次に出てきたバッターが言った。誰だって最後の一人にはなりたくない。けれど、僕らは三人で抑えると決めている。

「悪いけど、最後のバッターは君だ」

「嫌だね。なにが何でも塁に出てやる!」

 その顔は勝ちへの執着心で満ち満ちていた。全身に力が入っているのが分かる。

 そんなんじゃ打てないよ。心の中でつぶやき、僕は本郷クンにサインを送る。

 スライダーでいこう。しかし彼は首を振る。
 では、シンカー? それも違うという。
 ならば、ストレートか。彼はようやく首を縦に振った。
 最後は得意のストレートで攻めようというのか。この鼻息の荒さなら力で運ばれる可能性もある。

「タイム!」
 僕はこの試合、初めてのタイムを取って本郷クンのもとへ走った。

「ここで敢えてまっすぐなのか? あのバッターはたぶん、打ってくるよ」

「わがまま言ってすみません。でも、勝負してみたいんです」

「どうしても?」

「どうしても」

「分かった。初球はそれで行こう。ただし、初球だけだ。後は変化球で頼む。そして必ず抑える。いいね?」

「……部長もやっぱ、勝ちたいんですね」

「何を今更」

「おれは今この瞬間をめっちゃ楽しんでますよ」

 その一言で分かった。一回だろうが九回だろうが、彼は常に自分の持ち玉が通用するかどうか試したいのだ。幾度となく勝ち星を挙げてきたからこその台詞とも言えるだろう。思わず笑ってしまう。

「なんか、おかしなこと言いましたか?」

「いや……。君らしいと思ってね。よし、分かった。前言撤回。君の好きなように投げればいい。さっき約束したからね。どこに投げても僕はすべて受け止める。その方が僕も心から野球を楽しめる気がするよ」

「でしょう? いまの部長なら分かってくれると思ってました」

 わくわくしている自分がいた。たとえここで逆転されても僕は後悔しないだろう。それが、本郷クンを信じ、勝負した結果なら甘んじて受け入れる。

 僕が野球をしているのはもう、甲子園に行くためじゃない。「今、この瞬間を生きている」と感じるためだ。
 定位置に戻る。待たされたバッターはいらついている様子だった。

「話は済んだか? じらすのも大概にしろよ」

「最後の一人に投げる球だ、こちらも作戦を立てる必要がある」

「最後最後、ってうるさいやつだな」

「事実だから仕方がない」

「…………! 絶対に打つ……!」

 バッターは目を三角にして僕を睨んだ。果たして怒りは長打のエネルギーになるだろうか。それとも調子を狂わせるだろうか。
 もはやどちらでもかまわない。僕らバッテリーを楽しませてくれるなら。

 本郷クンが力強くうなずき振りかぶった。ミットを構え、待つ。
 打ち合わせ通りのストレート。バットが動く。が、球はミットの中に収まった。パシッといい音が響く。
 155キロの表示に球場がどよめく。

「155キロ……? くそっ、次こそは打つ……!」

 バッターは自らに暗示をかけるようにつぶやいた。
 本郷クンはすぐさま次の投球フォームに入る。一気に決めるつもりのようだ。
 次もまっすぐ。内角ストレート。あまりに速いからか、バットは出ない。

「ストライク!」

 ストライクゾーンぎりぎりのところに投げられるのが今の本郷クンだ。僕は大きくうなずきながら返球する。
 ツーストライク。追い込んだ。バッターに焦りの色が見え隠れする。

 いよいよ、最後か。こちらも思わず固唾を呑む。
 次のピッチング。繰り出された球はまたしてもストレート。

「来たっ!」
 バッターは待ってましたとばかりにバットを力強く振った。

 カンッ!

 球が、僕の真上にあがった。マスクを取り、両手を広げる。

 逆光になる。真夏の太陽がまぶしい。一瞬、球を見失う。

「あっ……」
 そのとき、父の姿がはっきりと見えた。


 ――成長したな、コウ。もう、大丈夫だな。

 ――うん。父さんに会いに行くのはもう少し先になりそうだ。

 ――それでいい。

 ――見ていてくれたんだよね、僕のホームランを。

 ――ああ。甲子園に連れて行ってくれるよりもずっと嬉しかったよ。
   ……コウ。母さんを頼むよ。
   あのとき、母さんはコウを否定したんじゃない。
   母さんなりにお前を心配していただけなんだ。

 ――……分かってたよ、はじめから。
   ……お互い、慰め合う言葉を知らなかった、それだけのことだったんだって。

 ――コウは賢いな。お前がどこにいても父さんは見守っているからね……。

 球はミットにしっかりと収まった。試合が、終わった。


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