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2022年をもって、<山口不動産>が終わります。~よりカラフルでユニークなまちをつくっていくために~


皆さま、師走のお忙しいなかお過ごしのことと思いますが、このnoteの場をお借りし、皆さまにご報告したいことがあります。
 
私が代表を務める山口不動産株式会社は、2023年1月より、社名を<株式会社 ironowa>(いろのわ)に変え、新たなスタートを切ることにしました。
 
この新社名<ironowa>には、「様々な個性やバックグラウンドを持つ人々がまちに集まり、互いに手を取り合い、各自が主体的になって暮らせるまちをつくりたい」という想いを込めています。

なぜ、社名を<ironowa>に変えるのか? ~想い描く未来と、「山口」との苦悩~

「創業75年を超える会社が、なぜいま社名を変える必要があるのか?」と思われる方もいるかもしれませんが、これは決して単なる思いつきではありません。

山口不動産に入社して以降、手前味噌ながら僕は様々なことにチャレンジをしてきたつもりです。
 
<星野リゾート>の誘致を皮切りに、『東京大塚のれん街』をつくったり、『eightdays dining』を経営したり・・・etc色々な失敗や成功を繰り返しながら、大塚のまちの体温をあげることに努めてきました。
加えて、まちの清掃活動「#CleanUpOtsuka」や、季節毎にビアfesやレモンサワーfesも開催したりと、アソシエーション(=つながり作り)実現のための試行錯誤をし続けています。

今、こうした不動産賃貸業の枠を超えた取り組みが増え、会社にとってその重要性が増していく中で感じ始めたのは、「これからよりスケール感のある新たな事業を展開していくにあたって、“不動産”という単語や“個人”の名前が社名に付いているのは限界があるのでは・・・」というモヤモヤでした。
 
一方で、75年以上続く山口不動産を、自分の代で社名変更し「山口」の名を無くすことはここまで受け継いで発展させてきた代々の経営者の方々、及びそれを支えてきた山口家の方々に対して、礼を失することになるのでは?、という思いも抱えていました。

そもそも武藤姓である僕が社長になったのは、親族内では「大ママ」と呼ばれていた「女帝」、5代目社長の祖母・山口裕子との約束がありました。祖母は外孫でありながら初孫である僕に、幼い頃から期待をかけてくれ、度々、僕に会社を任せたいと言ってくれていました。そして先代6代目社長は僕の母です。

このような背景がありながらの僕の独断での社名変更は、亡き祖母や母、そして山口家の方々の反感を買うのではないか!?かつての親族間トラブルを思い出させて、再び母や親族に辛い思いをさせてしまうのではないか・・・。
そこまでして社名を変更しなくても<山口不動産>のままで出来ることだってあるかもしれない・・・そんな考えが頭の中でずっとせめぎ合っていました。

社名変更への葛藤を振り払ってくれた、曾祖父の一冊の本。

僕が社名変更すべきか否か、苦悩し葛藤している最中、たまたま会社の書棚を眺めていた時のことです。

「何だこれ?」。
 
書棚の中に、茶色のちょっと豪華な布張りの本を見つけました。タイトルは『しのぶ 山口萬一追想録』。昭和50年(1975年)の発行と奥付に書いてあります。

山口萬一は山口家の11代目当主で、山口不動産の創業者。地元の名士で特定郵便局長も務めた、私の曾祖父です(僕が生まれる前に亡くなってしまったので、会ったことはないのですが・・)。そう、それは曾祖父が亡くなった際、親族・関係者が一周忌の追悼のためにつくった本でした。
 
曾祖父の身近にいた人々が、思い思いに綴る曾祖父とのエピソードの数々。曾祖父が頑固で恐れられる存在でありながらも、いかに器が大きな人物で、周囲から愛され慕われ、尊敬されていたのかを伺い知ることができました。「土地は投機の対象にしてはならない。実際に使う人に開放すべきである」という経営哲学には、自分と通じるものも感じました。
 

(自宅の庭にて)

そんな本をパラパラと眺めていたところ、巻末のページでふと手が止まりました。そこには個人年譜が載っていたのです。
 
「ん?」。
 
よく見てみると、「1947年(昭和22年)豊栄産業を設立」と書いてあります。「豊栄産業ってなんだ?」。で、隣りの1951年(昭和26年)の欄を見てみると、「豊栄産業を山口不動産に改名する」と書いてありました。 
 
そうなんです。会社の創業者である曾祖父自身が一度、社名を変えていたんです。なぜ社名を変えたのか、なぜ山口不動産という社名にしたのかなどは、本に記述もなく、また当時を知る人も残っていないので知る術はありません。
 
ここからは僕の想像でしかありませんが、曾祖父はきっと、「一度決めてしまった社名だから」と、そこで思考停止してしまうような人物ではなかった戦後の混乱の中にあっても、常にやるべきことを見据えて、変わることを厭わなかった。僕も、そうありたい
 
僕が「山口」ではなく「武藤」姓だからとか、単純に社名が好みじゃないとか、そんな理由で社名を変更するのでは、それこそ礼を失することになってしまう。
 
けれど、今回の社名変更は決してそんな軽々しい動機からではありません。先祖の方々が代々守り、そして築き上げてくれたものに想いを馳せながら、これから描く未来―「カラフルな個性をもつ人々が、手を取り合って暮らすまち」―を具現化するために行うものです。そうであるならば、先祖の皆さまにもお許しいただけるのでは、いや、きっと賛成してくれる。
 
決意を固めた「今」が、社名変更の絶好のタイミングだ。一冊の曽祖父の本が、僕の背中を押してくれました

不退転の覚悟で。

大塚のまちに暮らすひと、働くひと、その個性やバックグラウンドは実に多様です。僕は、<ironowa>への社名変更をきっかけに、改めてこの多様性と向き合い、まちの強みにしていきたいと思っています。
 
僕に会社を任せてくれた亡き祖母や母の期待以上に、このまちに変化を起こしていきたい。
まずはここ「大塚」から、想いを同じくする仲間と手を取り合い、不退転の覚悟で、真摯に努力し、邁進していきます。
 
これまでの75年間、<山口不動産>を支えて頂き、本当に有難うございました。
そして、これからの<ironowa>を楽しみにしていてください!
 
年の瀬のご報告となりましたが、皆さま、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

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