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JTCおじさんの悲哀

どの立ち位置でもの言ってんの?

先日、4月1日付で今私が勤めている部門から本社に異動したそこそこの偉いさん(以下A氏)から、電話がかかってきました。

内容は昨年度から実行している施策の進捗状況の確認です。そこまでならまだいいのですが、私に資料の作成を依頼してきました。すでにレポートラインから外れたおじさんからなぜこのような指示を受けなければならないのでしょう。

私の勤め先は創業されて100年以上の歴史があります。
誰もがJTC(Japan Traditional Company)に分類すると思います。

そのような組織ですから手続きには厳格です。
部門をまたいで仕事を依頼するには、その部門長の承認を得なければなりません。それが暗黙のルールになっています。
(同じ部門の中の課を跨いで仕事を依頼するには依頼先の課長に、部門を跨いで仕事を依頼するには依頼先の部長の承認を得なければなりません。)

そんなこと勤続30年を超えるA氏はわかりきっているはずですが、私の上司である部長・課長を通すこともなく、直接依頼をしてきました。

何でこんなことをするのか?
私や部下の残業時間が増えて、36協定に違反すると責任を取るのはA氏ではなく私の上司である課長や、部長です。
A氏は何ら責任を追わずに、何の成果に結びつくかわからない資料の作成を要求してくる。極めてふざけた行為です。

そんな行為をベテランでありながら平然と実行してくる。
一体全体どういうことなのか?



A氏は自分を会社と同一化しているのでしょう。

A氏は昨年まで私が所属する部門で30年近く勤めてきており、今年度初めて部を超えた異動になりました。彼にとって私の勤め先は、人生そのものとも呼べるところなのでしょう。その中で研鑽を重ね権威あるポジションに着くことができました。(一緒に仕事した人たちからの評判はすこぶる悪いですが)

A氏の能力に問題があろうと周囲の人たちには守るべき家族がおりますので基本的にはその権威には逆らえません。

なので昨年度まで基本的に自分がやりたいと思ったことは実行できる立ち位置にいました。
それがそのまま自分の実力であると勘違いしてしまったのでしょう。何の疑いもなく私に仕事の依頼をしてきました。A氏はあくまでも業務の一環とぐらいにしか考えていないと思います。

会社内の極めて限定的な権威を絶対視し、その中でのみ通用する錯覚資産が自身の実力であると思い込む。

そこまでに至る過程は次のようなものなのかもしれません。

入社した当初は目の前の仕事に注力することが全てです。まずは組織の中の駒になりきらなければ組織にとって何ももたらすことのできません。
まずは自身を少しでも有能な駒に仕立てていくことを目指していきます。

それなりの駒になれた後、周囲からも頼りにされ、日々自己効力感の向上を実感できる日々が続き、役職をもらうことになると今度は別の問題が起こります。

実務をすることが他人になるという問題です。

自分の個人的な能力のみでどうにかなるなら、徹夜してでも終わらせることができますが、他人が実務をする場合はそうもいきません。部下の人数が少ない場合は何とかなるのでしょうが、組織が大きくなればなるほど他人に仕事を任せなければ業務はまわりません。

A氏が他人に業務を任せる際によく活用していたものが権力です。
仕事の名の下に部下の都合など考えず、自分の都合のみを考えて業務を進めていく。

どうしても強引な手法だと不満がたまっていきますが、成果さえ出ていれば、部下の苦労も報われるものです。そう成果さえ出ていれば。

しかし任される組織が大きくなるにつれてそのような無理を通すことは難しくなります。A氏が直接、実務者に指示を出すわけではないからです。

A氏から直接的に指示を受ける多くの課長クラスは、A氏ほどの強引さを行使することができません。負担ばかりが増えていきますので現場のモチベーションは低下し、担当者が仕事の目的を見失い、ただの作業をダラダラとやることになります。成果らしい成果など出るはずがありません。

そんな状況ではA氏に対する不平不満のみがたまっていき、仕事などルーティン業務すら回らなくなります。権力をいくら行使しても何もすすまない。担当者の時は日々実感できていた自己効力感が感じられない毎日を過ごす。

仕事の進め方が悪すぎるため、誰も率先して関わりたいとは思いません。社内で率先して手を差し伸べてくれる人もいない。部下に慕われていないことにも薄々気づいている。

ハリボテの権威にすがるしかA氏には選択肢はないのでしょう。今までとってきたやり方を変えることなどできない。権力とは仕事を進めるための道具でしかないのに、今まで自分が行使してきた借り物の道具に固執し、自身の存在意義を見出そうとする。

権力の行使を通じて積み上げてきた実績を活用するのではなく、かつて持っていた権力に縋るしかない。かなり惨めな状況です。




A氏はどうすればよかったのでしょうか?


会社以外にも社会との接点を持っておくべきだったのかもしれません。

A氏は他人に対してことごとくリスペクトに欠く言動を繰り返してきました。役割にすぎない権力を肥大化させ、自身を至高の存在であると錯覚し、中身のないプライドばかりが大きくなる。

A氏の自己認識を相対化させるためには、「圧倒的」なものに触れる続けることが重要なのでしょう。その1つには入社当時のような経験があるのだと思います。

新人の時、自身は「無」であり、周囲の上司、先輩は「圧倒的」な存在です。

自身のアウトプットがゴミであれば「圧倒的」な存在からの強烈なフィードバックを受けます。自身の小ささを知り少しでも周囲の役に立ちたいと考える。そうでなければなけなしの居場所ですらなくなってしまいます。まさに権力とは程遠い位置であるといえます。

そこまでの経験でなくても、「圧倒的」な偉人の創作物に触れること、他の分野で「圧倒的」な成果を出し続けている人をフォローし、「自分の立場であれば、そこまでの取り組みができたのか?」という問いを投げ続けることで自身の存在を小さくしていくことはできます。

noteの記事1つとってもそうです。
ここまでで2500字程度書いてますが執筆開始から1週間以上かかっています。最低週1回と思っていますが、なんやかんやでダラダラ伸びてしまっています。

私はこんな体たらくな訳ですが、世間には週に2回以上とか毎日更新されている猛者もおられるわけです。

私は書き方とか、取り組む姿勢を見直さなければいけないのでしょう。
この事実を正しく受け止め、自身を変えていくという回路を通じて確かな実力を蓄えていく必要があるのです。これらの作業は全て自分の責任で実行することになります。

会社内におりながらこの回路を新しく作ることは役職が高くなるほどに難しくなります。なぜなら他人が介在するからです。

部下がミスをした時、その上司は責任を問われることとなりますが、その質が低すぎる場合は、どうしても他責の考えが頭をもたげてしまいます。

最初は同情できるようなケースであってもそのような機会が重なると、やがて「成果が上がらないのは、命令を遂行できない部下のせい」という他責思考に取り憑かれていくことになるのでしょう。介在する人が多ければ多いほどその言い訳はもっともらしく聞こえてきます。

このような負のスパイラルから脱却し、今一度自分の立ち位置を固めていく。

権力がなくなっても大丈夫。所詮他人の評価だ。そんなものなくても自分は自身を変えて生きていくことができる。

そう思えるだけの実力を蓄えることができる。そのためには自責で思考する回路が必要です。

他人からの借り物でゲタをはくのではなく、淡々と自身の足場を固めていき、会社からの影響など微塵も受けない確固たるあなたの立ち位置を作っていく。それはきっとあなた独自のものになるのでしょう。


共に生きていきましょう。

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