ショートショート 最後の授業
小川さん
まだ暑さが残る九月の日暮れ、駅の構内を早足で歩く哲郎の姿があった。
帰る場所への通過点にすぎない見慣れた駅。
週末ということもあってか、すれ違う人々の表情もどこか余裕がある。
平日の朝に決まって目にする彼女は、出勤前に駅の構内で挨拶を交わすことが多い。
彼女は駅に十数体いるロボットの内の一体だ。
以前は案内用ロボットだけが人型だったが、最近では警備用や掃除用のロボットまで人型が増えてきた。
人間と見分けのつかないレベルのものまである。
朝から哲郎に笑顔で挨拶する小川さんは、パッと見三十代後半くらいで、たまに仕事の手を休めて空を眺める人間ぽい一面もある。
哲郎はロボットの中でも小川さんだけは少し違う目で見ていた。
一人暮らしの長い哲郎には、小川さんがもしもロボットじゃなかったらとでも思っていたのかもしれない。
一昔前、駅の構内を掃除していたのは人間だった。
若い人もいたし、定年退職後の生活の足しにと働く高齢者もいた。
しかし時代の流れで次第にロボットへと変わっていった。
疲れることもサボることもなく、どれだけ仕事を頼んでも嫌な顔一つせず文句も言わない。
それでいて一体で二人分の仕事量を軽くこなした。
そんな中、小川さんだけは少し違っていた。
哲郎も最初に見た時は作業ロボットとしか見ていなかったが、挨拶や何気ない会話をするうちに小川さんの精巧に表現された人間ぽい表情や喋り方に好感を持ち始めているようだった。
哲郎は一度冗談で、小川さんに付き合いたいと言ったことがある。
小川さんはちょっと困った表情で「考えときます」と返して少し顔が赤くなった。
こんな田舎の駅にも最新ロボットが導入されるようになるとは、哲郎にとって恋人が人間である必要はないのかもしれない。
哲郎はある日の夕方、小川さんに明日引っ越しして遠くへ行くことを伝えると、小川さんは明らかに残念そうな表情を見せた。
いつも笑顔で会話に乗ってくれる小川さんが、その日だけはほとんど喋らなくなってしまった。
引っ越しの日、最後に顔を見ておこうと駅の構内を見渡すと、そこにはもう小川さんの姿はなかった。
他の人型掃除ロボットに小川さんのことをたずねると、若い男性ロボットはこう答えた。
「オガワサンハキノウタイショクサレマシタ」
「退職?」
思わず返す哲郎にロボットは話を続けた。
「ナニカショックナコトガアッタヨウデス」
「ロボットがショックを受けて退職だって?」
「オガワサンハ、カイシャノジュウギョウインノナカデ、タッタヒトリノニンゲンデシタ」
哲郎は「ハッ!!」とした顔をして、頭を抱え、背中を丸めるようにベンチに座った。
右手の握りこぶしをこれ以上ないくらいに固く握りしめ、何度も自分の太ももを叩いた。
それからボソッと呟いた。
「俺はなんて馬鹿なんだ・・・・・・」
終
砂の街
街の人間はみんなやつれていた。
病をわずらったわけでもないのに、誰もが歳を重ねるごとに目に見えてやつれていった。
おかげでこの土地は呪われていて、けっして長く住んではいけないという噂まで流れている。
修は二十代の時、この街に引っ越してきた。
こっちに来て十年は経つ。
当時付き合っていた彼女とは三年続いたが、この街に住み続けたいと希望する修に対し、どうしても街が肌に合わない彼女は修の元から去っていった。
彼女は別れ際、修にこう言い残していった。
「この街からは出たほうがいい」
彼女は生まれも育ちもこの街で、ずっと得体の知れない違和感があったらしい。
修も少なからず他の街にはない、どこか異質なものを感じていた。
しかし不思議とそれが心地よかった。
彼女よりこの街を選んでしまった修にも、街に対する不満がまったくないわけではない。
この街の異様なまでの砂の多さだ。
砂浜や砂漠を歩いているわけでもないのに、気がつくとフードや靴の中に砂が入り込んでいたりする。
たまに砂嵐も起こる。
この街は建物、特に鉄筋コンクリートの劣化も早い。
一番影響を受けているのは人間で、みんなやつれ、まるで砂漠の旅人といった様子だ。
修自身も頬がこけ、気がつけば足のサイズまで小さくなっていた。
最近は身体にうまく力が入らない。
たまに大きな雨が降ると、道路にたまった砂が流されてさっぱりする。
辺境の地にあるこの街は年々人が離れ、人口は修が来た時の十分の一にまで減少した。
そんなある日、別れた彼女から「まだ街に住んでいるの?」と連絡があった。
彼女は街を出たあとも、時々街の情報を集めていたらしい。
そんな彼女の口から思いもよらぬことを聞いた。
砂がどこから来たかわかったというのだ。
彼女が言うには、砂は外国の砂漠で発生したものが風に乗って飛んできたものではなく、もともと街やその周辺に砂が多いというわけでもない。
驚くことに、街にあるものが砂へと変化しているのだという。
それはたとえば鉄筋コンクリートの建物だったり、ブロック塀だったり。
一番恐ろしいのは、人間の体も少しずつ砂へ変化しているということだった。
靴の中に砂が入り込んだのではなく、まるで人間が死んで土に帰るかのように、足が砂へと変化しているのだという。
「一刻も早く街を出て!!」と懇願する彼女に修はこう返した。
「気づかってくれてありがとう。でもそれは君が街を出る前に気づいていたよ。だから君を止めなかった。僕はね、この呪われた街に魅せられたんだ。だから最後の一人になっても残るよ」
彼女は少し語気を強めながら言った。
「あなたは死に場所を求めるにはまだ若すぎる! 生きて! 街から出て生きのびるのよ!!」
修は軽くため息をついてから、かすれた声をふり絞ってこたえた。
「ぼ、僕の腰から下は・・・・・・すでに砂になって飛んでいったんだ。体力もそろそろ限界だ。それとね、今はお昼だけど窓の外は真っ暗なんだ。この音聞こえるかい?」
修の住む街は猛烈な砂嵐によって陽の光が遮断され、夜のように暗くなっていた。
すべてのものを砂へと変えながら吹き荒れる風は、ゴーゴーと恐ろしい音を立てている。
修は腕の力だけで這いながら窓に近づき、なんとかロックを外し一気に窓を開け放った。
砂嵐は一瞬で修を飲み込み、砂嵐の一部となって真っ暗な空へと舞い上がった。
翌日、連絡の途絶えた修の身を案じ、車を飛ばし街へとやってきた彼女の目に映ったのは、雲一つない澄んだ青空と、どこまでも果てしなく続く砂丘だった。
まるで最初から、街やそこに生きる人など存在しなかったかのように。
終
予知夢
厳しい夏の暑さが和らぎ、木々も色付き始めた九月中旬。
守はたった一人、標高二千メートルを超える険しい山のいただきに到達した。
山頂で海苔の巻かれた梅干し入りおにぎり三つと、アタリメ、それに卵焼きとウインナーを平らげた。
太陽はやや西へ傾き雲の動きは速い。
下山を始めた守の足取りは、まるで急かされるような後ろからの重力を抑えるように、一歩一歩しっかりと登山道を踏みしめている。
しばらく下山を続けると、前を歩く二人組の中年女性が見えてきた。
距離が詰まり守のペースの速さに気づいた二人は、守を先に行かせようと立ち止まる。
女性たちの立っている場所は狭く後ろは崖。
道をゆずるにはまずい場所だ。
サッサと追い越そうと軽く挨拶して横を通り抜けようとした時、一人の女性がさらに一歩後ろへ下がったことで、木の根に足を引っかけ転倒した。
守は崖の方へ倒れていく女性のリュックをギリギリの所でつかみ、必死に登山道へ引き上げた。
しかしその瞬間、今度は守がバランスを崩して、そのまま遥か下へと滑落していった。
女性たちの悲鳴とともに、守の体は、岩や地面からむき出しの木の根に何度も当たった。
守は沢辺に一人立っていた。
沢の中には人が倒れている。
リュックはかついでいなかったが、守はうつ伏せで倒れている者が自分だとすぐに気づいた。
守は半分ほど水中に沈んだ自分の死体のウエストポーチを開きスマホを見た。
画面は大きく割れ、電源は切れてしまっている。
守は呆然と立ち尽くした。
そして夢から目覚めた。
枕元には大きな登山用リュックとウエストポーチ。
その向こうに奥さんの理子が立っている。
奥さんは不満そうな顔で「どうしても行くの? 嫌な予感がするから今回はやめて」と言った。
そう言いつつも、テーブルの上には昨日お願いした弁当が用意されている。
理子は言った。
「野菜買ってなかったから、あるものつめたよ」
「それってもしかしてさ、海苔を巻いた梅干し入りのおにぎり三つとアタリメ、それにウインナーと卵焼き?」
「え? え? なんで分かったの?」
理子はとても驚いた。
「今日は登山やめとくよ。この弁当、朝食にしていいかい? で、お昼は二人でどこかへ食べに行こう」
理子は「うん、いいよ!」と言って嬉しそうな顔を見せた。
終
月明かり
時計の針は深夜零時を指した。
日付が変わり、今日も時が刻まれ始める。
同時に仕事も終わり、ぼくは会社をあとにした。
まだ暑い盛りで子供たちは夏休み終盤を迎えている。
今夜はやたらと強い風が吹く。
雲は多いが幸い雨は降っていない。
空でも強風が吹き荒れているようで、満月が黒い雲に隠れたり、白い雲に隠れたりと忙しそうに動いて見える。
雲の切れ間には大きめの赤い星も輝いている。
僕はこんな夜空が好きだ。
雲一つない夜空を、真っ白な輝きを放つ大きな満月が通り過ぎていくのも悪くない。
けれども今夜の空のように、無数に連なる雲たちにさえぎられながらも、たまにひょこっと出て、短い時間だけパアッと明るなって、また雲の中へ消えていく。
そんな夜空も好きだ。
満月は黒い雲に隠れると、まるで存在を否定されたかのように居なくなる。
白く薄い雲は光が透け、満月が後ろにいるよって教えてくれる。
人間はさ、生きていると楽しいことばかりじゃない。
辛いことだってある。
でもね、ぼくは思うんだ。
どんなに空が暗く見えても、光が無くなってしまったわけではないんだ。
たまたま隠れているだけで、本当は輝いているんだよ。
ぼくはここにいるよ!! ってね。
ぼくは雲から出たり隠れたりする満月を眺めながら、なんだか少しだけ嬉しくなった。
終
半島へ
タケシは高校生活最後の夏休みを目前にして、終業式の朝を迎えていた。
昨夜は夜遅くまで一人旅の動画を観ていたタケシ。
朝礼が終わり、クラスの生徒がゾロゾロと体育館へ移動し始めても、両手を枕にして机の上で静かに寝息を立てている。
タケシが目覚めた時、教室には誰も居なくなっていた。
「はあ・・・・・・」とため息をつくタケシ。
数ヶ月前、クラスメイト数人からのイジメが原因で転校していったヨウヘイ。
ヨウヘイをかばったことで他の生徒とは関係が悪くなった。
そんな奴らと仲良くできるほど器用ではない。
幸い孤立して話し相手もいないというほどではなかったものの、ヨウヘイのことがあってからは明らかにクラスメイトとの会話は減った。
最近はタケシの中で、なんのために生きているのだろうという気持ちが大きくなってきて、とても卒業後の進路など考える気にもなれなかった。
とりあえずどこかで働いて、最低限度の生活ができればいい。
タケシはそう思っていた。
タケシの心は、どこからかこみ上げてきた怒りと、やるせない気持ちが混ざり合い、化学反応が起こった。
たった一人残った教室の黒板を、こぶしで殴りつけた。
黒板は想像以上に硬かったらしく、「いって・・・・・・」と声を漏らす。
突然ガラガラっと教室の扉が開き、「タケシ!!」っと誰かが呼んだ。
二つ隣のクラスのシンジだ。
「なんだ、シンジもサボってたのか」
「おお!! てか、今黒板殴ってたやろ」
シンジはニヤニヤしている。
「見られたか。なんかイライラしてよ」
二人は階段を昇り屋上へ出る扉に背中をもたれかけて座った。
タケシはふと、ヨウヘイの転校が決まったあとに、シンジがヨウヘイをいじめていた奴らを殴ったことを思い出した。
相手は五人いて、結局返り討ちにあったが、その気迫に奴らは少し引いていた。
「なあシンジ」
「ん?」
「なんであの時あいつらと喧嘩したんだ?」
「ああ、あれか・・・・・・たまたま俺の嫌いな奴がお前と同じだったからだろ」
「二人は同時くらいに笑った。
シンジが立ち上がって、屋上へ出る扉の窓から外を眺めて言った。
「夏休みどうする?」
タケシは下を向いたまま答えた。
「一人でどっか遠くへ旅したいなと」
それに興味をしめしたようにシンジが言葉を返す。
「それってさ、ソロプレイ専用?」
「は? なんだよそれ」
「いや、だからさ、俺も暇だからお供すんぜって話。ちなみに何で行くんだよ」
「歩きかな」
「ばっかだな、それじゃあ距離稼げないだろ! かといってあんまり出費もしたくないし、自転車にするか?」
「うちにある自転車じゃ、坂や長距離は厳しいよ」
「大丈夫! 俺そろそろ新しくロードバイク買うんだよ。だから俺のクロスバイク使っていいよ。整備してあるからぜんぜん現役だぞ! パンク修理とかちょっとした整備ならできるしな」
夏休みに入って十日ほど過ぎた頃、シンジからロードを買ったと連絡が来た。
ヘルメットと自転車はシンジが用意してくれる。
シンジの話では自転車のサドルを長距離走ってもお尻が痛くならない、柔らかくてやや幅広のものに変えておいてくれるらしい。
タケシは新しくリュックとレインコートに地図、そして寝袋とライトも買った。
それに着替えやタオル、モバイルバッテリーなど、最低限必要そうなものを詰めるとリュックはパンパンになった。
出費を抑えるため基本は野宿で、安い宿が見つかれば利用する。
総走行距離四百キロ超の半島一周の旅が始まった。
夜中に出発し、二人はほとんど一晩中、風を切って走り続けた。
最初の難関だった山越えを無事終えると、一気に視界が開け、眼下に半島西側の海岸が見えてきた。
海は青い空を映しながら陽の光を反射してキラキラと輝いている。
その遥か先に見える水平線。
半島の西から北に延々と続く緑深き美しい大地。
最初の休憩は海辺近くの小さな公園で、二人ともベンチに横になって一時間ほど眠った。
「さて、またしばらく走るか」とゆっくりと走り出すシンジに、タケシは後ろから言った。
「なあ、シンジ・・・・・・俺、始業式はそんなに憂鬱じゃ無い気がする」
「何わけのわからないこと言ってんだよ!!」
振り向かずにそう返したシンジの表情は、タケシからは見えなかった。
その表情は、隠しきれない嬉しさがこぼれ落ちそうになっていた。
終
奈落
地の底とも地獄とも奈落とも呼ばれるその場所は、あの世にあった。
奈落では騙し合いや略奪が日常茶飯事で、信用できることなど何一つ無い。
ある日、空から一本のロープがするするとおりてきた。
奈落の者たちは口々にこう言った。
「これは上の連中の罠に違いない。高く登ったところで振り落とそうとするに違いない」
実際に誰かがロープにつかまってみても何も起こらず、何かを待っているようだった。
「おれたちを魚か何かと思っているのか! ふざけていやがる」
奈落の者たちは悪態をついた。
数日経ってもロープは下がったままで、奈落を統率する悪名高い男はしびれを切らしたのかこう言った。
「誰か登ってみろ!!」
奈落の者たちはお互いに顔を見合わせ戸惑いを隠し切れない様子だ。
そんな中、一人がこう言った。
「お前が行けよ!!」
そう言われたのは一人の女だった。
生前、心を病んだ末に幼い我が子とともに高所から飛び降りた女。
女は死後に離ればなれになった我が子を執念で探して奈落にたどり着いた。
奈落では力の弱い者に、自由も生きる選択肢も与えてくれない。
女は幼い我が子を背中にくくりつけゆっくりと登り始めた。
普通なら鍛錬もされていない女の力では登ることなどできない。
ましてや我が子を背負っているのでなおさらだ。
しかし女はゆっくりと少しずつ登り続けた。
限られた食料を奪いあう奈落では、幼い子どもの食料さえ確保することは難しく、下手をすると食料にされてしまう。
女はそのことをよく知っていたので登り続けた。
自分のためではなく我が子のために必死に登り続けた。
そんな気持ちをつゆ知らずか、愚か者がロープをゆすって「早く登れ!!」とあおった。
それでも女は必死にロープにしがみつき耐えた。
すると突如、ロープがするすると上へ動き始める。
女が足を絡ませ必死にしがみつくロープは、どこまでもどこまでも登っていく。
奈落の者たちはロープをおさえようとしたが、時すでに遅く、ロープは女と幼な子を連れて空へと登っていく。
愚かな者たちが女に石を投げつけて落とそうとする。
石の一つが女のこめかみに命中して血が流れた。
それでも女はロープをはなさなかった。
女はついに、下からは見えなくなるほど高くまで登ってきていた。
周囲は霧に包まれ視界はほとんど無い。
どうやら雲の中に入ったようだ。
上の方から声が聞こえてきた。
「重くてこれ以上は引っ張れない!! 背中の荷物を捨てて登ってこい!!」
女には我が子を背負ったままロープを登る力は残されていなかった。
かといって幼な子だけでロープは登れない。
女は身体から下のロープを切り離そうといたが、ロープは丈夫で傷さえつかない。
女は悩んだ末にナイフで自らの腕を一本切り落とした。
腕と流れ落ちる血によって少しだけ軽くなった。
ロープはふたたびゆっくりと上がり始めた。
遥か下では奈落を統率する男が空から落ちてきた腕を手に取り、「やはり罠だったか」とつぶやいた。
女は引き上げられ、新しい世界に立った。
そこがどこかは分からなかったが、そこにいる人々の表情から、奈落と比べれば天国に近いということは確かだった。
女にはもう生きる力が残されていなかった。
「どうか、この子をお願いします。この子の名前は・・・・・・」
そこまでいうと、女は力尽きて奈落へと落ちていった。
それからどれくらいの時間が過ぎただろうか。
そこには奈落を統率する片腕の女の姿があった。
女は暇さえあればよく空を見上げた。
風の強い日も、雨の降る日も、雪の降る日も、女はよく空を見上げた。
一本のロープがするするとおりてくるのを女は待ち続けた。
終
約束を守る男
私の彼は絶対に約束を守る。
守れなかったら切腹するのではないかと思うくらい、きっちり約束を守る。
待ち合わせに遅れたことなんて一度も無いし、口にしたことは全力でやりとげようとする。
ある意味不器用なのかもしれない。
私はそんな誠実な彼が好きだ。
彼は私に、「次に会う時に二人の歳を足した数だけ焼き鳥を食べるよ」と言った。
彼は串の焼き鳥をよく食べる。
中でもモモと皮は大好物だ。
私は思った。
今度ばかりは約束が果たされることはないだろう。
彼は二十八歳。
私は三十歳ということにしてあるが、本当は五十歳。
予定より二十本も増えてしまう。
私が嘘をついていたので約束は無効だが、彼は本当の歳を聞いても動じなかった。
それくらいは計算のうちとでもいう風に、生ビールを飲みながら次々と串を平らげていく。
そしてついには七十八本の串を平らげた。
「すごい! 約束を守ったね!! でも、年齢サバ読んでてごめん」
私がそう言うと彼は、「ぼくは約束を守ることが生きがいなんだ。それ以外のことはどうでもいいよ」と言った。
それ以来、私は彼と会っていない。
もう会わないと約束したから。
終
鹿になった死長
ぼくは死んでから五十年経つ。
ついに生まれ変わるチャンスが訪れた。
死んだ人はその人の心のあり方によって、天国にある無数の層に分かれて暮らしている。
みんな死役所にある転送器を使って新しい命として生まれ変わることが出来るが、あまりにも生まれ変わりたい人が多すぎて抽選になっている。
天国は平和で住みやすいものの、退屈で成長や達成感を味わうこともできない。地上の生きている人たちの様子をテレビのように観ることも出来るが、それも飽きてくる。
なので多くの人は、地上が混沌としていることを知っていても抽選に殺到するのだ。
しかし今日は転送器が動かない。
転送器運転の資格を持つ一級転送士たちが一斉にストライキを始めたのだ。
理由は三時のオヤツが鹿煎餅になったこと。
みんなの不満は爆発し、怒りは死長に向けられた。
死長が苦情をシカトして死長室に引きこもったことで、事態はさらに長期戦の様相を呈している。
生前ラグビー部だったぼくは、怒りに任せて死長室の扉に高速タックルをかまして扉をぶち破った。
すると部屋の中には積み上げられたオヤツの山。よく見ると鹿せんべいだ。
鹿用に作られた煎餅がうまいはずもないが、死長は大好物らしい。
毎回大量に注文すれば安くなるからと、自分が食べたいためだけに職員の給料から天引きしているお金で買っているオヤツを鹿煎餅にしてしまったのだ。
ぼくが扉を破ると、死民がなだれ込んできた。
死長は死民たちの連携によって手渡しで転送器まで運ばれ、どこかへ転送された。
そのあとぼくも転送され生まれ変わった。
時は流れて、ここは奈良公園。
ぼくは成長し観光客として公園を訪れている。
ぼくが鹿煎餅を持って歩いていると、食い意地の張った一匹狼ならぬ一匹の鹿が、ぼくの手から他の鹿の分の煎餅も奪い取り、木の陰で満足そうにムシャムシャと頬張っていた。
ここに来たのは初めてだけど、あの鹿を見ていると、何か思い出せそうで思い出せない。ただなぜか腹が立つ。
終
灰色の青春とひとすじの光
小学四年生の時に父の仕事の都合で転校してきた私は、新しい学校が肌に合わなかった。
自己否定が激しく、繊細でいつもビクビクしていた私は、同級生によくいじめられた。
楽しい思い出なんてほとんど無く、仲の良い友達もいなかった私の学校生活は、コンクリートのような冷たい灰色をしていた。
ただ、習字の授業の時だけ教室にやってくる教頭先生だけは、どこか他の人とは違う雰囲気があった。
私のことを褒めてくれた唯一無二の存在でもある。
「こんな素晴らしい字を書いている」
私の半紙をみんなに見えるように掲げて見せた。
誰も何も言わなかったけど、私は内心嬉しかった。
ある日、優秀作品が職員室前の廊下に貼り出さられた。金や銀の紙が貼り付けられている。
その中に私の作品は無かった。
担任の先生は、教頭先生があなたに金賞をあげれると楽しみにしていたのよと教えてくれた。
私は金賞を取るつもりで真剣に書いたので、授業中に書いた字と何が違うのか分からなかった。教頭先生には見えて私には見えない何かがあったのだろう。
それから十数年経った今も、私の見ている世界は冷たい灰色のままだ。
私は街で教頭先生とすれ違った。
一瞬目が合ったけどお互い何も言わなかった。
私は覚えていたけど、教頭先生にとっては、数えきれないほど教えてきた生徒たちの一人にすぎない。影の薄い私を覚えていないのも無理はない。
「高田さん!! 高田さんじゃない?」
誰かが私の名を読んでいるので振り返った。同姓の他人だろうか?
近づいてきた一人の老紳士は教頭先生だった。
「元気してた? 十数年ぶりか」
「はい、ご無沙汰しています。お変わりないですね」
他愛もない話を少ししたあと、別れ際に教頭先生はこう言った。
「君の書く字は素晴らしかった。たった一文字の中にも自分の世界を表現していたよ。君はきっとクリエイターとしての才能がある。それを活かすかは君次第だな。がんばって!!」
教頭先生と別れて家路につく足取りは軽く、空を見上げると雲間から光が射していた。
灰色の空から届いたひとすじの光が、私の足下を照らした。
終
最後の授業
娘の高校生活最後の懇談会が終わった。
順番が最後だったこともあって、卒業後の進路について先生とじっくり話せた。
「実は二十数年前、この教室で授業を受けていたんですよ。懐かしいなあ」
席を立ったぼくは、窓の近くまで行ってそう言った。
「母校でしたか。それはそれは。思い出の詰まった教室ですね」
ぼくは半分ほど開いた三階の教室の窓から外を眺めた。
当時の担任の先生の顔を思い出したが、ぼくはその記憶を無意識に封印しようとした。それでもハッキリと記憶が甦ってきた。
「お前たちはすぐ勉強をさぼりたがるけど、先生にだって投げ出したくなる時はある。それが今日だ。だけどな、このまま職員室へ戻っても怒られるだけだ。ここでサボることにする」
生徒たちは馬鹿にしたような表情を見せた。中にはツボにハマったのか笑い転げている者もいる。
「かくれんぼでもしないか?」
先生の突然の提案に、笑う者、キョトンとするもの、悪態をつく者もいる。
「せんせーやべーよ」
なんて声も聞こえてくる。
「よし!! 先生が学校のどこかに隠れるから、最初に見つけた者の頼みをなんでも聞いてやるぞ」
「よっしゃ先生、じゃあ補習無しね」
「賞金がいいなー」
「じゃあ全員目をつむって机の上に頭を伏せろ。それから田島!」
「え? はい!」
「お前が三十数えろ」
「はーい」
「田島が三十数え終わったら探し始めていいぞ」
「よし、じゃあ目をつむって机に頭ふせてくれ!!」
「いち、にい、さん、しー・・・・・・さんじゅう!!」
生徒たちはまず、教室の中を探した。
教卓の下や掃除用具が入っているロッカーなど。身体を隠せる場所は限られている。
居ないことが分かると、みんな教室を出て探し始めた。
他の教室に紛れていないか覗いたり、トイレに理科室、駐車場にグラウンドも探した。
でもぼくだけは教室に残った。
先生の言動に強い違和感を覚えたからだ。
だから理由を考えていた。
ぼくはふと、教室の中の小さな変化に気づいた。
先ほどまですべて閉まっていた窓が、一ヶ所だけ半分ほど開いている。
ぼくは吸い込まれるように窓に近づき外を眺めた。
そしてぼくが最初に先生を見つけた。
先生は飛び降り自殺していた。
その日はたまたま、ぼくたち三年生だけの登校日だったので、下の階の後輩たちは目撃せずにすんだ。
あれから二十数年経ち、ぼくはあの時と同じ窓の外を見て呟いた。
「最初に見つけた者の頼み・・・・・・。先生、ぼくの成長した姿を、そして成長したぼくの子供をあなたに見てほしかった。あの時、ぼくが数えなかったら・・・・・・」
「田島さん。どうかされましたか?」
ぼくは先生の声で我に返った。
「いえ、ちょっと昔を思い出しただけです。ありがとうございました」
ぼくはもう二度と来ないであろう校舎を眺めながら思った。
「あの時、先生は最後の授業でぼくたちに何か伝えたかったのだろうか? 苦しみに気づいてほしかったのだろうか? 誰か一人でも目を開けていたら、先生は救われていたかもしれない。ぼくたちは、ただ言われた通りに目をつむって数を数えた。先生・・・もう、そんな生き方はしたくしないよ。ぼくは自分の道を行く」
終
幸運のルーレット(前編)
ぼくは昔から家に居場所が無かった。
義理の両親になった親戚の人は、ぼくの本当の両親が残した遺産を貰うことを条件にぼくを養子にした。
しかし、血の繋がっている自分たちの子どもとぼくとでは、不公平を通り越して虐待としか思えないほど接し方に差があった。
食事はぼくだけみんなの残り物をもらい、後片付けはいつもぼくの仕事だった。
何も残っていない時は空腹で寝付けず、泣き疲れることで眠りに落ちた。
そして眠れば悪夢にうなされ、時には幻覚や金縛りにも見舞われた。
いつもほとんど同じ服を着て、家事の多くをこなすぼく。ミスすれば義理の親から罵声を浴びせられ暴力をふるわれる。
家ではそんな闇を抱えていたぼくにも学校へ行けば親友がいた。
よっちゃんと呼んでいたその男の子は、ぼくとは正反対の秀才で、高い学歴を持つ親に英才教育され、箱入り娘のように大切に育てられた。
近所の人の通報によって虐待が問題になり、ぼくは遠くの児童養護施設に行くことになった。
よっちゃんとの別れの前日、ぼくはお祭りによっちゃんを誘った。
家からは徒歩三十分ほどかかる場所だが、ぼくの足取りは軽い。
なぜならもうあの家には戻らなくていい。
祭りの露店が並ぶ場所から更に北へ三十分歩くと駅に出る。
その場所で明日の早朝に施設の人と待ち合わせしているのだ。
施設の人は駅までの路面電車代の二百円をくれたが、ぼくはそれを祭りで使うと決めていた。夜は祭りで時間を潰し、駅までは歩いて行くと。
よっちゃんの家の向かいにある公園で、ブランコに揺られながら待っていたが来る様子は無い。
来ないことは知っていた。
なぜならよっちゃんの家には厳しい門限があり、子ども同士の夜遊びなんて絶対に認めない。それにもうすぐ夕食の時間だ。よっちゃんの家では七時ちょうどに夕食を食べる。
施設は遠く、子どもが気軽に行き来できる距離ではない。だからもう会えないと思い誘ったのだ。
ぼくは公園を出て、夜中までやっているお祭りで時間を潰そうと歩き出すと、よっちゃんの家の前に人影が見えた。
家の前でよっちゃんとお母さんが何やら言い争いをしている。
ぼくが「おーーい!!」と叫ぶと、それに気づいたよっちゃんが走り出した。歩道橋を駆け上がりこっちに向かって走ってくる。
近くまで来た時に、よっちゃんが今さっきまで泣いていたのが分かった。
親が止めるのを必死に振り切って、ぼくとの最後の約束を守るために、後先も考えず走ってきたのだ。
後編へ続く
幸運のルーレット(後編)
よっちゃんは急に飛び出してきたので財布を忘れてきたらしい。
ぼくらの全財産は、ぼくの上着のポケットに入っていた百円玉が二枚だけ。
大勢の人混みの中、二人で露店を見てまわるのは楽しかった。ベビーカステラにタコ焼きに焼そば。射的にクジ、お化け屋敷もあった。
夜の闇の中で虹色の光を放つオモチャは、子どもの好奇心をくすぐるには十分だ。
しかしそれらのオモチャは、五百円するものがほとんどで、一番安いものでも三百円だった。
ぼくらは人混みをすり抜け、神社へ向かった。
もう会えないかもしれない。
それでもぼくたちはずっと友達でいたかったし、必ずまた再会したかった。
あまりの人混みに圧倒され、鈴を鳴らさず少し離れた場所から神様に手を合わせ、よっちゃんとの再会を願った。
境内を歩いていたぼくは、田楽の屋台に目が釘付けになった。
一回二百円。
確かにそう書かれていた。
串に刺したコンニャクに甘い味噌を付けて食べるもので、紙製で手作りのルーレットが置いてあり、回して出た数だけ串を貰えるというもの。
ぼくは「やろう!!」と言った。二百円はとっておいた方がいいよと言うよっちゃんを無視して、ぼくは屋台のおばちゃんに「一回」と言って二百円を手渡した。ぼくは今使わなければいつ使うんだと思った。
「はいよ」っと笑顔でお金を受け取ったおばちゃんはルーレットを指差して「そのルーレット回してね」と言った。
ぼくたちにはもう後が無い。
心配そうに見守るよっちゃんをよそに、ぼくは力強くルーレットを回した。
数字がたくさん書いてあり、一番大きな数字は二十、次に十五。二十の範囲はかなり狭く、まずそこで止まることはないだろう。それは頭の悪いぼくでもわかった。
ルーレットの針が五周か六周したところで、ようやく落ちついた。
ぼくたちは針の止まった場所に書いてある数字を見て固まった。
針はあろうことか一を指している。後わずかでも進んでいれば十五だったのに。
十五といかなくても、せめて二なら一本ずつ食べれるというのに。これでは小さな薄いコンニャクを二人で分けなければいけない。
よっちゃんは言った。
「ぼくはいいよ。もうご飯食べたから」
見えすいた嘘をつくよっちゃんの優しさが、よけいにぼくの心に突き刺さった。
すると驚くことにおばちゃんは、一で止まっていたルーレットの針を指で少し動かし隣の十五に合わせた。
「今日は特別だよ」
そう言っておばちゃんはプラスチック容器に乗せられた十五本の田楽を渡してくれた。その顔は優しさと情に溢れていて、まるでこちらの事情をすべてを見透されているかのようにも思えた。
ぼくらはお礼を言ってそれぞれ七本ずつ食べ、最後の一本は二人で仲良く半分ずつ食べた。
幸運のルーレット。ぼくはあの日の出来事をそう呼んでいる。
それから十五年後。
ぼくの送った手紙がきっかけで、再びよっちゃんとの親交が始まった。
ぼくたちは大人になり、経済力と多くの知識や経験を得た。
今度はぼくたちが、誰かの回すルーレットの針を幸運へと導く番だ。
終
あとがき
ショートショートを一日一作投稿するようになって、最初はハードルが高く感じられました。しかしやってみれば慣れるもので、こうして有料でしか公開しない作品も書くことができました。
元々はインフルエンサーのイケハヤさんの影響を受けて、ブログ(アメブロ)で雑記ブログみたいなことを始めたのが始まりだったと思います。イケハヤさんが居なかったら、積み立てNISA、ふるさと納税、ブログ、ツイッター、note、どれ一つやっていなかったと思います。なので感謝しかありません。
人生って死ぬまで挑戦ですよね。学び、継続し、新しいことに挑戦する。
この作品は有料で出す腰痛夫の最初の作品です。その最初の作品を購入してくださる方は腰痛夫にとって特別な存在です。本当にありがとうございます。今後もコツコツと腕を磨いていきますので応援よろしくお願いします。
基本的にすべて無料公開にしています。読んで頂けるだけで幸せです。でも、もし読んでみて、この小説にはお金を払う価値があると思って頂けるなら、それは僕にとって最高の励みになります。もしよろしければサポートお願いします。