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SS【ハシゴ】
男が空を眺めていると、真っ黒の雨雲から一本のハシゴがするすると下りてきた。
ここは悪党どもが死ぬと行き着く奈落と呼ばれる世界。
あの世に無数とある広大な層。その最下層にあたる。
自分の欲や利益のために他人を平気で騙す、そんな輩が五万と居る。
信用できるものは己の力だけ。いつ寝首をかかれるか分からない。
そんな世界の住人と言えども、情に生きる者もいる。
男はこの世界が苦痛でしかなかった。
ある日、天からハシゴが降りてきた。
鷹のように遠くを見通せる男の視力をもってしても、ハシゴの先は真っ黒な雨雲に隠れて拝むことはできない。
男が雨雲を眺めていると、いつの間にか奈落の独裁者が大勢の配下を連れてやって来た。
独裁者は男にハシゴを登って先に何があるか見てこいと言う。
男は何も言わずハシゴを登り始めた。
もしハシゴの先が違う世界へ通じていても、そのまま逃げれば家族は無事に済まないだろう。
男は自分の運命を呪うかのように、時おり天を睨みながら黙々と登り続けた。
ハシゴを登りきり、雲の遥か上にあった別の世界の入り口を見つけた男は、そこでしばらく何やら考えこんだ。そしてハシゴを下りていった。
男は地上まで下りると独裁者にこう言った。
「雲の上は人を食らう鬼どもが徘徊しています。ハシゴは鬼どもが我々を食うために下ろしたに違いありません。火を放って燃やしてしまいましょう」
すると独裁者はニヤリと笑って言った。
「よし、ではお前の家族に行かせるとしよう」
男に本当の家族は居なかったが、ここで知り合った女と、その幼い息子と一緒に暮らしていた。
とてもじゃないが女こどもの生きていける場所ではない。
女こどもが血と暴力の支配するこの奈落で生き残るには、誰かの助けが必要だ。
だから男は放浪の末にやって来た女とまだ幼い息子を、自分の家族だと偽って守ろうとした。
女は幼い子どもを背中にくくりつけてハシゴ登り始めた。
早く登れと煽る悪党たち。
男は女にだけ聞こえるように囁いた。
「こっちを向かずに聞け。いいか、何があっても登りきれ。そして絶対戻ってくるんじゃないぞ!!」
女は何かを言おうとしたが、男は何も言うなと顔で合図した。
女は必死にハシゴを登り、その姿が小さくなり始めると、独裁者は配下の一人に合図を出した。
配下はハシゴに樽一杯の油をかけ、火を放った。
火は瞬く間に燃え盛り、上へ上へと登っていく。
「なんてことを・・・・・・」
男は怒りで震えている。
女は下から迫る火に気づき悲鳴を上げた。
「下を見るな!! 登れ!! 登りきるんだ!!」
男は叫びながら、地面から空へ大きく両手を振り上げ、登れ!! 登れ!! と合図した。
男の声が聞こえたのか、女はペースを上げてハシゴを登りだした。
ついに女の姿は雲の中に消え、ハシゴも消えてしまった。
男はニヤリと笑った。
先に雲の上の世界を見ていた男。その視界に入っていたのは、畑のあぜ道を元気に走り回る子どもたちや、太陽に向かって咲くヒマワリ。男にとってそこは天国に見えた。
ハシゴの先には尼さんが待っていて、こう言った。
「そのハシゴは誰か一人が登りきれば消えて無くなります。どう使うかはあなたしだいです」
男は恐ろしく強い。
その気になれば、独裁者やその配下を蹴散らすこともできる。
しかし誰かをかばいながら生きていけるほど、この世界は甘くない。自分の身を守るだけで精一杯なのだ。
弱みの無くなった男は鬼神のような表情で悪党たちを睨みつけた。
それから数年後のある日、ふたたび天からハシゴがするすると下りてきた。
男は鬼たちの様子を見てくると言ってハシゴを登っていった。
幼い息子を背負い、ハシゴを登りきった女のいる天国へと。
終
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