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ショートショート【愚者の塔】

男は遥か前方にそびえるとてつもなく巨大な塔を眺めていた。

その塔はあまりに大きく、頂きは雲に隠れて見ることはできない。

男が塔の近くまでやってくると、入り口付近で壁に背をもたれて座り込んでいた老人が意味不明な言葉を投げかけてきた。

「頂上の大皿には乗るな。隠れろ!」

老人の顔はよく日に焼け、あごには二十センチはあろうかという長い髭をたくわえていた。


荒野の果てにそびえる塔は、人々の間で楽園につながる唯一の道であると信じられ、幸せの塔と呼ばれていた。


無数ある階層にはそれぞれ現世によく似た世界が存在し、数えきれないくらい多くの人々が生活している。

階層ごとに税金が徴収され、集まったお金は塔を統べる教祖と役人に配られ、それ以外では塔の修繕と治安の維持に充てられた。

塔の中で最高権力を持つ教祖は、月に一度神と交信し、塔の高層に住む人間を百人だけ楽園へと導いているらしい。



塔は上の階層にいくほど税金が高くなった。

それと引き換えに治安の良さと物質的な豊かさが手に入る。

そして高層に住む者は運が良ければ楽園へ移住できるのだ。

より豊かな暮らしを求める者は上の階層への移住を目指して必死に働いた。

税金を払えぬ者は追放され、下の階層へと追いやられる。



男がこの地にやってきてから五十年が経っていた。

初めて塔を眺めた時は、あまりの大きさに驚き、とても頂上にたどり着ける気がしなかった。

男が塔の下層でコツコツ貯めたお金の多くは税金に消えてしまう。

下層は治安が悪く、ひったくりや強奪などが毎日のように起こっていた。

多くの人は、稼いだお金を預かり所と呼ばれる所に決して安くない手数料を払って預けている。


男は五十年かけて、ついに教祖の住む一つ下の階層まで上がってきていた。

この階層に住む人は塔の中でも富裕層と呼ばれ治安の良さも約束される。

それもそのはずで、ここでは窃盗も傷害も塔からの追放となる。

刃物など武器になるようなものを持ち歩けば高額な罰金を科される。

男はこの階層に来てからは、言い争いさえほとんど目にすることはない。


男はずっと違和感を感じていた。

何度も塔の上へ上へと移住をくり返してきた。

そのたびに治安はよくなり、引き換えに税金と預かり所の手数料は増えていく。



だが何かおかしい。

本当に毎月選ばれた百人は楽園へ行けたのだろうか? 頂上と楽園のことを知っているのは教祖と一部の役人だけ。


ある日、男の住む部屋に手紙が届いた。

ついに天国へ行ける百人の一人に男が選ばれたのだ。



頂上へ出発する日の朝になって、男は塔の前に居た老人の言葉を思いだしていた。



男を含む選ばれた百人は役人に案内され、頂上に出るための扉の前までやってきた。

先頭にいた数人が扉を開くと草原が広がっていた。草原の中央には小高い丘があり、丘の上に巨大な皿が置いてある。

役人は全員その上に乗るように指示すると、自分は皿に近づかず、遠くからその様子を見ている。

みんなが皿に向かって歩き出す中、男は草原を見て違和感を感じた。

草原はまるで巨大な何かが通ったような跡が残っている。

みんなが大皿に向かって歩く中、男はたった一人、背の高い草に隠れながらその場からそっと離れていった。

そして遠くの草陰から様子をうかがっていると、大皿の方へ色白の若く美しい女が近づいてくる。

案内した役人は、人々が大皿に乗ったことと女の登場を確認すると、逃げるように去っていった。

どうやらこの若い女が教祖らしい。

教祖らしい女は後ろで束ねていた長く綺麗な髪をほどきながら不敵な笑みを浮かべた。

「よくいらっしゃいましたみなさん。おいしそうな魂ばかりですね」

そう言ったかと思うと、瞬く間に目を疑うような巨大な大蛇へと姿を変えた。


教祖の正体は、この世界を支配し人間の魂を喰らう大蛇の化け物だったのだ。

塔の愚かな役人たちは、自分たちが助かるためにあの化け物と交渉し、毎月のように何も知らない人々を楽園へ行けると騙し、生け贄として捧げていたのだ。

大蛇は逃げ出す人々を樹齢数千年の大木のような胴体で囲い逃げ道を断った。

大蛇は次から次へと人々を一瞬で丸呑みにしていったあと、再び女の姿に戻った。

妊婦のように膨れた腹をポンポンと叩き、満足そうな表情を見せたかと思ったら、大皿の上で仰向けになって眠りについた。



男はなるべく音を立てないよう大蛇に忍び寄り、密かに隠し持っていたナイフを女の首に突き立て、渾身の力でそのまま首を切り落とした。

「グギャ ャ ャ ャ ャ ャ ーー!」

断末魔の叫びとともに女は再び大蛇に姿を変えた。

しかしすでに頭は胴体から離れ、身体の自由も効かない。

大蛇はピクリとも動かなくなった。

男は大蛇の膨れた胴体を切り裂き、呑みこまれた人々を助けだす。



その後、それまで役人だった者は入れ替わり、税金は下がり、預かり所の手数料も安くなった。

大皿は撤去され、代わりに慰霊碑が建てられ多くの人がお参りに訪れるようになった。


かつて薬園に繋がる幸せの塔と呼ばれたこの場所は、愚かな人間に警鐘を鳴らすかのように、いつしか愚者の塔と呼ばれるようになった。


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