約二十年前フランスで何を撮っていたか(1998年)

画像1 ケルヒャーで洗浄する前のオペラ・ガルニエ。探せば半分洗浄して「使用前使用後」のようなたたずまいのオペラ座の写真もあるはず。見つかったら載せる、
画像2 この年はFIFAワールドカップがフランス各地で開催され、メトロの車内吊り広告もこんな風に。
画像3 日本戦三試合と準決勝二試合と決勝戦のチケットを取ったつもりが例の入場券詐欺でチケットは全部パーw。パリで何の予定もない数週間を味わうと言うまさかの展開に。「ベンハー」を上映していたのでスクリーンで見るチャンスとばかりに勇み立った。念のために窓口で「これフランス語は字幕だよね」と尋ねたら「吹き替えよ」だとw。チャールトン・ヘストンがフランス語を話すのはちょっと……。
画像4 当時の定宿のメトロ「カデ」駅近くの「デルテラファイエット」で暇を持て余していたら向かいのジナゴで婚礼が始まった。
画像5 三階の部屋から写真を撮ったり紙吹雪を撒いたりして祝福していたら、「降りて来いよ」と呼ばれ新郎新婦の写真まで撮った。翌年、撮った写真をラビ(ユダヤ教の聖職者)に寄託して二人に届けてもらった。そんなこともありこのジナゴは出入り自由にして貰った。あの二人幸せに暮らしているといいな。
画像6 メトロ「イエナ」駅の広場に設置された「自由の炎」。この前の年にこの地下の自動車専用道路で非業の死を遂げたダイアナ元妃の異例のモニュメントがこれ。
画像7 当時はまだ観光名所と言う感じではなかった。今はいつ行っても花の数が半端ない。
画像8 暇なもんでマレ地区のピカソ美術館へ。
画像9 フランス(に限らずほぼ世界中どこでも)の美術館は鑑賞客に寛容だ。子供たちも「名作!」じゃなくて「面白い絵」を楽しんでいる。(もちろん授業の一環で許可を得ている)
画像10 でも、フランスの寛容さはそれに止まらない。ピカソ美術館の正面にあるこの建物は当時空家でそれを良いことに美術系の学生が不法侵入し占拠してアトリエ兼住居として勝手に使っていた。国立の美術館の真ん前で「反美術!」を謳っている。
画像11 私は野次馬根性の塊なので当然中に入ってみた。
画像12 建物の内部は混沌そのもの。
画像13 滅茶苦茶w。
画像14 もう何が何だか分からないw。
画像15 で、とどめがこれ。「Don't PABULO me!」だ。ピカソといっしょにすんじゃねー!といったところかw。
画像16 なんとか、一試合だけ日本戦のチケットをここでは書けないとんでもない方法で入手して一路クロアチア戦が行われるナントへ。あ、この一連の写真はまだ銀塩カメラで撮っていて、紙焼きをスキャンして掲載しているので画質に関しては許してね。
画像17 これがナントのスタジアム。クロアチア戦は0-1で敗北した。ゴール裏の席だったがその直下で川口能活がスーケルのシュートを股抜きで決められた。
画像18 いつもは渡仏の際はエールフランスの直行便でCDGへ飛ぶのだが、この年はさすがに選択の余地はなくBAでヒースロー経由でパリに入った。で、その日がなんと地下鉄「パディントン線」の開業の日だった。そんな新線が出来るとは知らず、便利さに驚いた。
画像19 開業日はなんと無料で利用できたので一等車両へ。
画像20 パディントン駅ではこのようなレセプションも行われていたので、ちょいとシャンパーニュでもご馳走になろうと思ったけれど、さすがに招待者だけだった。とまぁ、約二十年前も今とあまり変わらない。好き勝手に生きている。ただ、フットワークと言うかアクティビティーは半減している。まぁ、今年七十歳になるのでそれはそれと受け入れなければなるまい。これでおしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?