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ストレスフリーなコミュニケーション

先日、私の事務所で打ち合わせをしたのですが、最近の私の体調について相手の方にお知らせしたことは無かったのに、相手の方が私の身体のことを気遣ってくださって、身体に良さそうなものをたくさん差し入れてくださったんです。身体を壊した時にはこういうのってよくある風景なのかもしれませんが、実は私自身、すごくうれしかったんですよね。

私は十数個の発信媒体を持っていて、そのすべてを掛け合わせていただくと、私の人生の大半は解明できてしまうくらい、近況や思想的な部分を発信しています。なので、私と関わってくださっている方々の大半はその中のいくつかの媒体はチェックしてくださっているだろうという驕りがあるのも事実で、面と向かって何かを告白したりすることはほとんどありません。

でもよく世間では「目を見て話す」ことが重要視されるじゃないですか。もちろんこれには私も賛成ではあるのですが、私にたいして興味を持っていない人にまで、自分にとって大事なことを「目を見て話す」必要はないんじゃないかとも思っているんです。

たまにいらっしゃるのですが、10年20年前のイメージのまま情報をアップデートしていらっしゃらない方。10年20年前に活動していたことを現在でも同じことずっとしているかのように話してくる方。連絡をくださるのは嬉しいのですが、「10年20年は私の情報をチェックしていないんだな」「仲良さそうに話してはくるけれど、本当は興味ないんじゃないの?」とも感じてしまうんです。そうなってしまうと、わざわざ訂正したり否定したりするわけでもなく、その流れに乗ってしまうんですけどね。

「普段どんな仕事をしているのかわからない」と言われることもしばしばなのですが、私にしてみたら「ホームページに書いてあるよ?」と言うだけの話しですし、雑談の中で話すと「自慢話しかよ!」って言われたりすることもあって、基本的には聞かれない限りは答えないようにしているし、あまりにもリスペクトを感じられない人にも話しません。

なので「目を見て話す」ことがいくら重要でも、本音で語れないのであれば「目を見て話す」も、さほど意味を持つものでもないなと。振り返ってみれば、誰かと話すことが自分にとってすごくストレスがかかっていたんだなとこの記事を書きながら思いました。今さら?と言う言葉が脳裏をかすめつつ…。

コロナ禍でコミュニケーションの仕方が大きく変わり、新旧真偽のはっきりしない情報ばかりが世の中に溢れています。裏付けを取らないと信じる事さえできない現在。そんな中で出会ったストレスフリーなコミュニケーション。それが私の心の琴線に触れたのかもしれませんね。

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