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コンテンツ消費という言葉に違和感を抱くオタクの戯言

こんにちは。irokaです。

今日はね、コイツめんどくせ〜って思われるかもしれないけど、エンタメ大好き人間として思っていることを書きます。

コンテンツ消費という言葉が苦手です。

世の中には一生かかっても見切れないほどの映像、音楽、作品が溢れています。
たくさんあるコンテンツから自分の興味があること、心躍るものを選ぶことができる非常に素敵なことだと思っています。

最近よく聞く「コンテンツ消費」という言葉。
そこには、その作品を見た聞いたいう事実は残るけど、どんな内容であったかは翌朝には忘れてるようなイメージが残る。消費という語感がそうさせるのか、インスタントな存在に思えて違和感なのです。

完全にわたしの主観なこともわかっています。

わたしは、コンテンツは誠心誠意受け止めたい。
頭や心で味わって、クリエイター側が何を伝えたかったのか、私はどう思ったのかを噛み締めたいのです。

わたしは推しの動画や音楽を聴くとき「消費」という感覚はありません。
むしろありがたく「享受」しています。

モヤモヤした気持ちを解放してくれたり、悲しみに寄り添ってくれたり、あるいは幸せな気持ちにしてくれたり。
だから私は愛すべき作品に触れているときこそ、享受という言葉を使いたいのです。
学びや刺激、感情を与えてくれる尊い存在だと認識して恩恵を受けたいです。

とはいえ、現代はとっても忙しい。

どうしても時間がなくてポイントだけ拾って見る必要があることもあります。
倍速で聞いて情報を得たいことだってよくあります。

情報として頭に入ってくればいいものなのか、得たことを咀嚼して感情や行動を変化させるものなのかによって、コンテンツを「消費」するのか「享受」するのかを選びたいなって話です。

以上、アニメや音楽が大好きなオタクの戯言でした。

iroka.

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