愛されてるという実感
電車の中で赤ちゃんが泣いている。
この泣き方はまだ本泣きではないから、かまってほしいか眠いのだろう。
自分の子ではないのに、なんとなく区別がつくようになってきた。
そういえば女性は本能的に子供の泣き声に反応するようにできているって聞いたことがあったような・・・
そんなことを考えながら、泣いている赤ちゃんの顔を見る。
思った通り。まだ涙は出ていない。
お母さんが抱っこしてあやすとすぐに収まった。
「小さい時にたくさん抱っこしてあげると、大きくなってから自然と親離れできるのよ」
いつだったか、母が教えてくれた言葉を思い出した。
昔、怒られてふてくされた後、しばらくして頭を冷やしてちゃんと「ごめんなさい」をした。
そうすると、ずっと怒っていた母がふっと笑うので、
その笑顔で許された感じがして涙が出てくる。
その度に泣きながらギュッと母に抱きついていた記憶がある。
そうすると、母は途中だった家事の手を止めてギューっと抱きしめ返してくれる。
腕の中で母の匂いを感じていると、気持ちが落ち着いてきて、自然と笑顔になれた。
たくさん怒られたけど、それ以上の愛情をもらったと思う。
だから、18歳で上京して家族と離れても、孤独感は感じなかったし、
今でも実家に帰れば、変わらない母の愛情を一身に受けていると感じる。
今は抱きつくことはないけれど、ふと近くを通る時に感じる母の匂いも、あの頃と変わらない。
誰かの愛情を充分に感じると、離れていても安心できる。
これって大人も同じなんじゃないかな。
誰かに愛されているという実感は、いつになっても大事だと思う。
無償の愛を提供できる人は、たしかにいる。本当にすごい。
でも、多くの人は、どこかで誰かに満たしてもらったから、
人を包み込むような愛情を与えられるようになると思う。
もし自分に子供ができたら、私がいろんな人にもらった愛情を思い切り伝えて、
大きくなったら人をたくさん愛せる人になってほしい。
30歳を超え、周りの友人たちが出産ラッシュに入った感じがする。
東京のラッシュは故郷の群馬よりも遅い。
まだ子供がいない友人もたくさんいるので、焦る気持ちはあまりないが、
それでも自分が結婚すると、今までよりも妊婦さんや子供連れのママや家族連れが目につくようになった。
近いうち、自分にも子供ができるのだろうか。
年の離れた妹がいるので、赤ちゃんの世話はそれなりにしてきた。
しかし、責任を持って自分が教育し、褒め、時には叱るというのは、全く別物。
空っぽでまっさらな一人の人間に、自分が教えた常識や価値観が入って人格が形成されていくと思うと、やっぱり不安はある。
でも、自分が母にしてもらったことは、ちゃんと伝えていきたい。
27年も人生の先輩である母は、
器が大きすぎてまだまだ追いつけないけれど、
私自身もいつかは、女性として尊敬する母以上の女性になりたいと思っている。
泣き止んで寝てしまった赤ちゃんを片手で抱き、慣れた様子でもう片方の手でベビーカーを押しながら、お母さんが電車から降りて行った。
やっぱりお母さんは強くて逞しい。
来月の結婚式で読む花嫁からの手紙に、このことを書こうと考えながら、その背中を見送った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?