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私が続けている、手書きの「手紙」を送ること


みなさんが最近手紙を書いたのはいつですか?


電話やSNSなどで簡単にコミュニケーションを取ることができるようになってしまった現代では、時間を割いて手紙を書くことは少ないと思う。私自身も、そのようなデジタル媒体に頼って生活している人間の一人。


手紙が良いものだとわかっているものの、実際に書いてみようとなると謎の羞恥心に苛まれているうちに筆が進まなくなってくる。


今でさえ仲の良い友人の誕生日や記念日に手書きで手紙を書いて渡すようにしている私も、最初に手紙を書いた時には重いと思われないか心配だった。

けれど友人はその手紙をとても喜んでくれて「手紙、やっぱりいいな。」とじんわり感じたのを覚えている。


書くことで素直になれる。今も昔も手書きのあたたかさは同じ

幼い頃は携帯もネットも使うことができなかったので、小さなメモ帳で学校の友達と手紙交換をよくしていた。

手紙に限らず、交換日記やプロフィール交換など、今思い出すと懐かしくて少し恥ずかしい思い出ばかり。

そんな思い出たちについて考えていると、ペンと紙を使って文字に思いを書き表したときは、なんだか素直に思っていることを伝えてられていたなぁと感じる。

直接は伝えられないことも、文章なら伝えることができるというのも手紙の醍醐味。筆を進めて手紙に書き綴ることは、言葉にして話すよりもずっと簡単にできてしまう。不思議。

例え字が綺麗でなくても一生懸命書いた文字というのには、その人の思いやりの気持ちや人柄を感じ取ることができると私は思う。

幼い頃のひらがなばかりの手紙にだって、確かにそこにはあたたかさがあったから、今でも捨てずに保管してあるんだろうな。

相手だけを想って手紙を書く。そんな丁寧で愛のある時間が好き

私は思い立ったらすぐに手紙が書けるように、文房具屋さんに立ち寄った際にはレターセットを購入してストックしている。

いざ手紙を書こうとしたときに、そのストックの中から便箋や封筒を選ぶ時間も好き。渡す相手にはどんなデザインの便箋が似合うか、封筒は縦にしようか横にしようか…なんて。

でも私はこんな時間が愛おしく、大切に感じる。

そのレターセットを選んでいる場面や手紙を書いているときは、相手だけ想う時間。さまざまなコミュニケーションツールが発達し同時にたくさんの人と連絡を取れる時代に、ひとりの相手だけを想う時間なんてあまり作れないもの。

言葉を選び、ペンで書き、自らの手で封をする。こんな変哲もない行動も「相手のために」と考えると、手紙があたたかく想いにあふれる理由がわかってくるような気がする。

変化することのない手紙の価値。それは人の心と心が繋がり合う限り廃れない

確かに電話やSNSはとても便利だし、伝達も早く、写真や音声など細かい情報を届けることができる。

けれど手紙はそれらと比べて「気持ちの届き方が違うのでは?」と、私は感じていた。

手紙を受け取った方は文字だけを頼りに相手を思い、気持ちを想像し、文章の口調や語尾など様々な部分から相手の思いを感じ取る…。

そんなプロセスを通すことで、気持ちをより深く、大切に届け受け取ることができるのではないかと。

しかも手紙は電話と違い一過性のものではなく、何度でも読み返せるという特徴がある。

手紙を開くだけで何度でも相手の思いに触れることができる、そんな素敵な宝箱のようなものが「手紙」なのではないだろうか。

このように思いや気持ちを伝える手段として、手紙には多くの価値があると思う。きっとこれからも手紙は廃れることなく、人の心を繋ぎあたためるためのツールとして存在する。きっと廃れない。なぜかそう確信している自分がいる。

私も人生であと何通の手紙を書くことができるだろうか。伝えたい思いは、伝えられるうちに伝えたいものだ。



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