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『空気を読むのが大切』は、日本独自のものか?

私の応えは、大きい声で『NO』『いいえ』となります。

日本とアメリカしか知らないので、アメリカのことだけになりますが、ここでも、空気を読むのは大切な、世渡りテクで、ある意味、日本より大切だと思います。

ただ、日本とは、『空気』の内容、コンテンツとプログラム言語が違っていますので、日本で空気を読むのが上手くても、アメリカでも世渡り上手になれるかは、わかりません。もしかしたら、基本的なことは、同じなので、スキルは、共通のもので行けるかもしれません。

一つ、アメリカが、日本と違うところは、こちらでは、「『空気』を読むのが、大切だよ。」という人がいない、ということでしょうか。そういう意味では、日本の方が、親切かもしれません。

見るところ、アメリカ社会で人々は、学校や、職場、コミュニティーにいながら、身体感覚で、空気を読むのを習得しています。

アメリカは、日本より、多民族、多文化、多言語社会です。なので、それぞれの文化内、言語内で、『空気』が細分化しています。さらに、社会階級(貧富、学歴とか)でも、『空気』の感じが違い、さらに使われる『言葉使い』が違います。英語は、同じですが、グループや場によって、使われるタイプの英語があります。なので、自分のいるグループの、『空気』=コードで、話す、行動している様子です。グループが変われば、『空気』=コードも違いますので、そちらに対応します。もちろん、どの程度合わせるかは、個人判断です。

その辺り、うまく世渡りしている人たちを見ると、「すごいなぁー。」と、思います。

私は、かなり、トンチンカンです。それで、アメリカ人が、『あぁ、こいつは、外国人だから。英語も変だし。』と思ったりしているのが、見える時があります。これは、トンチンカンで許されるとか、そういうことではなく、ただ、『仲間でないので、変でも問題ない』とされるということです。

ただ、実は、私は日本でも、トンチンカンです。空気は、『読めない』のか、『読まない』のか、自分でも今ひとつわからないのですが、どちらもでしょう。ただ、外国では、私が日本人だから、『出来ない』と思うようです。

日本でも、アメリカでもそうですけれど、『空気読む』のは、それが、自分を守ることに必要だと考えているからです。

空気を読めなければ、日本人の間では、露骨に怒られることもあります。それは辛いですが、ある意味、理由がはっきり告げられる分、わかりやすいと言えるでしょう。

アメリカでは、文化が細分化してるため、基本的に、行動や、言語がずれていると、他のグループの人間だと認識されます。それは、はっきりとは告げられません。要は、信頼関係を作れる相手として認識されないということです。

私は、それでも、長年アメリカの一つの場所にいるので、付き合いが長い人からは、ある程度、『信頼しても良い』に、入れられている感じがする時があります。だいたい、10年から15年くらいは、かかったと思います。

途中、私は、こっちで仲間を作るとか諦めていたので、15年くらいたって、突然、「ともこ、長い付き合いだから」と、なって、少し驚いてる次第です。

そういうわけで、私は、『空気を読む』のは、日本独自の鬱陶しい風習だと考えていたけれど、そうでもないと思ってます。

それと、私、空気読んでないように、見えますが、自分なりには、多少、どこにいても、『空気読むのに参加してる』と、思ってるのですが。

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