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十人十色の深み

実は、私たちは、思うより、一人一人、かなり違った感覚を、持っているのではないかと、考えるようになった。ここでの『感覚』とは、感じ方とか受け止め方という、文化的や心理的な印象に関することではなく、5感と言われる感覚器が受け取って、それを処理する、一般的に、より身体的と考えられている機能のことである。感覚器官が受け取る情報は、個人によって、かなり違うのではないか。

たとえば、同じ青色を見たとしても、多少違って見えるだろうと言うのは、前提としてあるのだろう。けれど、実際、どれくらい違っているかを、確かめることは、簡単ではない。私など、何となく、大体同じだろうと、仮定してしまってきた。けれど、最近、見えているものは、思うより、違うかもしれないと、認識をあらためている。

少し違った話だけれど、私は油絵の具にアレルギーがあるようだ。何に反応しているのか、隣で描いている人がいたり、乾いてない絵がある部屋にいるだけで、具合が悪くなる場合がある。臭いなどは、それほどするとは思わないので、それ以外のものに反応しているようだ。

同じ部屋にいても、私ほど反応する人の方が、少数派だから、同じものでも、反応するかどうかは、人によるのは明らかだ。味や、触感、音なども、反応が多様なのは、一つのものを、同様に受信していないと言うことだろう。

他の人の目や耳のある位置、形が、おおよそ同じなので、感覚に違いはあっても、微小なのだろうと、見当付けて、会話をして、時に、「なんで、わからないの」と、思ったり、言ったりしてしまうことはある。相手の見えてる世界が、どれほど違うか体験することがないので、自分の世界を基準にしているのである。本当のところは、相手に見えている世界は、体験できないので、知らない世界のことである。

この話、コインを裏返すと、人からの、「なんで、そうなの」みたいな非難や批判も、全然気にしなくて良いと言うことを、示している。

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